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今日午後、越前市(旧・武生市)武生中央公園で催されている「2007たけふ菊人形祭」を見物してきた。子供が幼い頃は、家族三人でよく遊んだものだが、今日は吟行を兼ねてひとりである。菊人形は「風林火山」の一場面である。短歌は幾つかできたが、手帳を車に忘れて出たから、ケイタイの「メモ」に書き込む仕儀となった。
子安 文「私のミュンヘン日記」(中公新書797)を読みおえる。ドイツのシュタイナー学校を卒業するまでの手記。若い娘さんの本音に近い話を読めたようで、面白かった。写真がひどくて、済みません。
庭に金木犀の花が咲き、よい匂いがする。珍しくないかもしれないが、写真をアップした。裏庭にもう一本、金木犀の木があるが、日当たりが悪いのか、花が咲かない。近所の川の土手に彼岸花が群生していたので、写真を撮ってきた。この花で、首飾りを作って遊んだ幼時がなつかしい。
末房長明さんの第2歌集「遠賀川」(2003年、梓書院・刊)を読みおえる。彼は福岡県在住、「未来」所属の歌人。彼は警官として警察署長まで昇って定年を迎えた人だから、職務的、社会的立場から、露わなことを短歌にできず、微温的作品がこの歌集には多いようだ。激しい感情のあったことを示す1首を見つけた。
川面より吹きくる夜の風さむく眼にありしなみだ乾けり
定年を迎えて、力量のある歌人だから、それからの作品を読んでみたい人だ。
河西治枝さんの第一歌集「リテラ・ポプリ」(2003年、砂子屋書房・刊)を読みおえる。彼女は東京都在住、「未来」所属の歌人。すこし頼りないような作品が混じる。それより僕に気になるのは、終止形で止めるところを、連用形でとめて、変な感じを与える作品が幾首かあることである。たとえば、
天よりの投網のごとき春霞あわきストールわが肩を包み
気に入った作品より1首。
加速する冬の兆しを受けとめて赤き林檎をさくりと割りぬ
村上春樹「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」(中公文庫)を読みおえる。フィッツジェラルド論2部と、第3部には短篇小説「自立する娘」と「リッチ・ボーイ」の翻訳が収められている。フィッツジェラルド論は敬愛と情熱のこもった文である。短篇小説の「リッチ・ボーイ」は、村上春樹がフィッツジェラルドの短篇小説ベスト5に入ると称賛しているが、僕には面白くなかった。むしろ翻訳者が名作圏外とする「自立する娘」のほうに、共感する面があった。
「日本の古本屋」を通して大阪市の古本屋「光国書店」に註文していた本、「伊藤整全集 Ⅰ 雪明かりの路 冬夜 他」が届いた。以前に買った他の端本で、かなり厚い本であることを知っていたから、相当な数の詩篇が収められていると期待していた。しかし届いた本を見ると、初め半分ほどが詩篇で、あと半分は初期短篇小説集(これも貴重であるが)であった。ともかく彼の全詩篇が手許に来て良かった。
彼の小説では「氾濫」に感銘を受けた。
W・アーヴィングの「スケッチ・ブック」(新潮文庫、2000年33刷)を読みおえる。原著の32篇の物語とエッセイより、12篇を抄訳したもの。感動的な話も多いのだが、そんなに名作として知られないのは、センチメンタルとかロマンチック過ぎるとかで、否定する人がいるからだろう。
「歌壇」2007-10月号を読みおえる。
福井市在住の詩人YSさんが送って下さった詩誌「木立ち」第100号を読みおえる。上質な詩作品が並んでいる。「100号に寄せて」の欄(12ページ)に、同人全員10名と寄稿者1名が、詩誌100号の感慨を寄せている。101号より新たな出発をするとあるが、どういう形になるのか気になるところである。
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