3冊を買う
今日は夏休みだったので、午前中に「勝木書店ワッセ店」へ行く。
綜合歌誌「歌壇」9月号と、織田作之助「夫婦善哉」(新潮文庫)を買う。
同店内の「古本センター」にも寄ったが、何も買わず。
帰宅すると、小さい郵便物が届いている。「日本の古本屋」を通して、福岡市の古書店「井筒屋古書部」に注文してあった、菊池寛「恩讐の彼方に 忠直卿行状記 他8篇」(岩波文庫)だった。
今日は夏休みだったので、午前中に「勝木書店ワッセ店」へ行く。
綜合歌誌「歌壇」9月号と、織田作之助「夫婦善哉」(新潮文庫)を買う。
同店内の「古本センター」にも寄ったが、何も買わず。
帰宅すると、小さい郵便物が届いている。「日本の古本屋」を通して、福岡市の古書店「井筒屋古書部」に注文してあった、菊池寛「恩讐の彼方に 忠直卿行状記 他8篇」(岩波文庫)だった。
午後、「BOOK OFF二の宮店」へ行く。
サプライズというか、サドンデスで割引があった。「今から約3分後の4時40分より15分間のみ、5冊以上の本を買われれば、レジにてすべて半額とします」と、店内放送があったのだ。客たちが、うろうろし始める。
僕も豪華本のコーナーにも行ってみたのだが、結局、文庫本を5冊買ったのみだった。なんと肝っ玉の小さいことか。
以下に、その5冊を列記する。
石川啄木歌集「一握の砂・悲しき玩具」(新潮文庫、平成9年・刊)を読みおえる。写真の表紙は、おなじみだろう。
僕はこの本で、啄木の短歌をよく読みかえす。8冊本の全集を読み通した事もあるが、彼の良さをひと通り知るには、この文庫本で充分である。
啄木の短歌は、僕の短歌の原点、と言うより、僕の文学の原点である。
「一握の砂」の「忘れがたき人人」(二)より引く。
さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのこと
「それだけのこと」とは反語であって、彼は万感の思いをこめて、さりげなく告げたのである。
「悲しき玩具」より、巻末の1首を引く。
庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。
貧窮の中で彼もまた、小市民的生活に憧れたのだな、と感銘深いものがある。
一昨日の夜、2度にわたって本の山が崩れた。1度目は積み直したが、2度めの崩落の本は積み直せなかった。
その本を積む場所を空けるため、既読の本40冊ほどを、「古本センター」へ持って行った。21冊が売れて、千円余りだった。買い取ってもらえなかった20冊ほどを持って帰った。
書庫があれば、こんな事もないのだが、場所はあっても財政的に無理なので、こんな始末になる。
季刊同人歌誌の「棧橋」№95を詠みおえる。散文では飛ばしたものもある。
昭和10年代生まれの作者の「楡区」には、歳を召された方の豊かな作品がある。
高野公彦氏の連作「虹消えて」では、故郷への思いに打たれる。僕は農家の次男だけれども、故郷の本家近くに住んでいるので、望郷の思いはないが、遊学(?)した神戸の地と友人たちへの思いは断ちがたい。
宮崎小夜子さんの「みどりご時間」はお孫さんを詠んだ連作だけれども、写実ばかりではなく、また始まったばかりの人生に寄せる思いが深い。
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