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前川明人さんの第5歌集「円型」(2005年、本阿弥書店・刊)を読みおえる。
彼は「未来」「幻桃」所属。当時、「長崎歌人会」相談役。第4歌集「空間」にて、「第18回長崎県文学賞」受賞。
彼はかなり狷介な方のようだ。次のような歌がある。
毒舌者理不尽ものと言わば言え磨いて齧らん酸っぱいりんご
ご自分では、次の歌のように、
反骨を持つことわびし縹渺の海ゆくヨットの傾きににて
と「反骨」だと納得しているようだが、そのような生き方はつらく、寂しいものだろう。その因は、17歳の夏の長崎被爆と、敗戦の経験(その翌21年から、彼は作歌を始めている)から来ているようだが。
集中、僕の1番好きな歌は、次の1首である。
どこでどう食い違ったのか青空の雲を食べいる公園キリン
「日本の古本屋」を通して「書肆 秋櫻舎」に注文していた本、「サン=テグジュペリ・コレクション」7冊揃いが届いた。
この選集の購入は失敗だった。小説4作は文庫本や世界文学全集の端本でも買えるものだし、あと彼の書いたものとしては、わずかな書簡しかない。残りの大きな部分は、当時の彼の周囲にいた人の回想文が占めている。
僕としては、周囲の人の回想文は、要らない。
「サン=テグジュペリ著作集」の端本の、「城砦」3冊や「母への手紙/若き日の手紙」を買って、彼の本を充実させよう。
「鮎川信夫全集 Ⅰ 全詩集」(1989年、思潮社・刊)を読みおえる。詩集未収録詩篇、翻訳詩を含め、687ページの大冊である。
彼の述作の中心である、生涯の詩を数十言で述べることは出来ないが、スケッチを描いてみたい。
戦前はモダニズム詩人であった彼が、従軍と敗戦を経て、戦死者の「遺言執行人」として現れ、その志はのちの生涯を貫いた。
海外ミステリー小説の翻訳などで生計を立てながら、二重生活者として、詩や評論を発表し続けた。
1つ気づいた事がある。彼の詩に登場する他者は、1篇にたいてい一人(亡き友人、妻、娘、恋人)である。中期以降の田村隆一の詩に、多くの個人が現れるのと、対照的である。もちろん、双方に例外はある。
彼の詩集篇の、最後の詩は「風景論」という。第4連の4行を引用する。
遠ざかる列車のひびきに
家族あわせの円居が
窓の灯をにじませる夜には
いつもかわらぬ休息がありますように
鮎川信夫「風景論」より
「コスモス短歌会 愛知支部」の支部誌「コスモス愛知」第523号が、竹の子さんから、送られてきた。
巻頭の「作品」欄、47名×7首の作品は、力作、連作が並んでいて、けっして本誌落ちの作品を載せているわけではないことが知られる。
「ひびき」欄の僕の拙文はさて措き、「521号作品評」欄の、竹の子さん(本名で書くべきか)の評が暖かい。1名1首の優れた歌を取り上げ、美点を掬い取って述べている。
批評は、褒め上げて良いと思う。自分の作品のいけない所は、自分が一番よく知っているし、酷評するのが相手の力量を上げるものでは無いと信じる。
今日は、重陽の節句(菊の節句)である。
「勝木書店ワッセ店」と、同店内の「古本センター」で、買い物をした。そのリストを以下に掲げる。
新刊本
古本
本は山のようにあるが、いつ読めるのか。ただし定年後は、ほとんど本を買えないから、とも思う。
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