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福井市在住の詩人・山田清吉さんがお手紙とともに、自選詩画集「詩集『べと』から『だんだんたんぼ』より」(2008年10月、福井新聞社・刊)を下さった。
酒井由美子さんが漉いた竹紙に渡辺淳(あつし)さんが絵を描き、山田さんが自作の詩を筆で書いたもの。3者の味わいのあるコラボレーションである。
詩集のなかで、僕としては最新詩集「だんだんたんぼ」(2004年、紫陽社・刊)が好きだ。この詩集は、「北陸現代詩人賞」を受賞している。
詩「ぐうだら」の冒頭、
子供に示しがつきませんと
息子の嫁はんに怒られ
夜中にふいと家を出た
に笑ってしまった。また「百姓の手(子供の手)」の中ほど、
お前は悪くないその盗んだ手が悪いんじゃ
さあその手を切り落さねばと恐ろしい剣幕
押し切りの上にこの手を引きずり乗せる
にはジンときた。僕も悪事を重ねる身ではある。
有吉玉青の小説「黄色いリボン」(幻冬舎文庫、平成9年・刊)を読みおえる。
著者は作家・有吉佐和子の娘さんである。
ストーリーは、若い女性がアメリカのボストンに留学中の物語である。時期は、湾岸戦争とその前後。
アメリカが湾岸で戦争中なのに、学生や一般市民は、勉強やレクリエーションに熱心で、戦争の影の無さへの違和感が大きなモチーフである。
また主人公は日本人の青年留学生と同居を始め、その青年の帰国決定によって、同居も終わろうとしている。愛憎のどろどろは殆ど無い。
著者の「文庫版あとがき」でも明らかなように、作品はフィクションだけれども、筋の展開や描写はあまりにも鮮やかである。若い感性と、文人の血筋だろうか。
JR福井駅前の古書店「好文堂」で、岩波文庫「林達夫評論集」(中川定久・編、1988年・刊)を買った。
彼は在野にあって批評を書き、第二次大戦中に戦時下抵抗もあったようだ。彼の文章を1度は読みたいと思っていた。
「日本の古本屋」を通して「天牛書店」に注文していた本、岩波文庫「特命全権大使米欧回覧実記」(久米邦武・編、田中彰・校注、1992年・刊)5冊揃いが届いた。紙カバーの岩波文庫、5冊揃いとしては安価だった。
届いて気づいたのだが、仮名はすべてカタカナで、濁点も付いていない。僕は地理・歴史に詳しくないこともあって、読みこなせるかどうか、わからない。
「勝木書店ワッセ店」内の「古本センター」に、この本の端本(パラフィン紙カバー)があったから、内容を確認しておけばよかった。
職場の温室で、1株の洋蘭が3花を咲かせた。この花に至るまでに、長い話がある。
3年前の秋、灯油の高騰などにより、僕は温室での洋蘭栽培を諦め、40鉢ほどを職場のT主任に譲った。主任はそれらを、職場の温室に持ち込んだ。
しかしその後の世話が悪く、ほとんどの株が枯れてしまった。生き残ったけれどボロボロの6鉢をIさんの勧めで、今年6月に僕が自分の温室に持ち帰り、植え替えなどして育てた。10月にまた職場の温室に持ち込み、1株が乏しい花を咲かせたものだ。他の株は、2、3年、培養しないと花を咲かせないようだ。
この花の株には名札がなく、品種名のわからない洋蘭は、金銭的価値がほとんど無い。まあ珍しいきれいな花なので、他の株とともに育てていこう。
僕とこぐま星座さんとの二人詩誌「群青」第13号を送った返礼に、定道明さんと張籠二三枝(はりこ・ふみえ)さんが、同じ文学誌「青磁」第25号をそれぞれ送ってくださった。
「青磁」は、福井県内の書き手による文学同人誌で、おもに小説と作家論を載せている。
僕は今回、定さんの「橘曙覧記念文学館 建設時の思い出」「『春さきの風』考」と、張籠さんの「われも忘れじ」のみを読んだ。
定さんの「橘曙覧記念文学館 建設時の思い出」は、アメリカのクリントン大統領のスピーチにおける引用から、橘曙覧フィーバーが起こり、地元の関係者が記念文学館建設へ一気に動いた、当時の熱気が伝わる回想記である。
「『春さきの風』考」は、中野重治の短編小説「春さきの風」の当時の評価や、モデルの家族の生涯を、周囲の人の文章や実地調査によって、押さえどころを効かして描いた、丁寧な評論である。
張籠さん(高校文芸部の1年か2年の後輩)の「われも忘れじ」は、同窓会を描いた小説で、特別な事件は起こらない。ただ、うしろめたさのような翳りがあり、それは現在の生活が幸せなところから来ているのかも知れない。
この小説を含めて、彼女の小説にはしばしば高校文芸部時代のエピソードが描かれ、当時の前衛詩熱に付いて行けなかったコンプレックスが尾を引いているようだ。当事者の一人として僕は、彼女に済まない気持ちになる。
もっとも彼女は、「青磁」「日本海作家」などに次々と小説の力作を発表しているので、それはそれでよいのだが。
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