1998年、河出書房新社・刊。
帯、カバー、314ページ。
「佐佐木幸綱の世界」Ⅰ期Ⅱ期合わせて16冊のうち、歌集篇のすべて4冊を、僕は有している。
この本には、「緑晶」「群黎」「男魂歌」「直立せよ一行の詩」「夏の鏡」「火を運ぶ」の、初期6冊の歌集が収められた。
この本の初めの歌は、巧まぬユーモアも心情的リアリティもある。あとのほうになってくると、酒びたりの歌のようで、酔っ払いの咆哮のように思えて、僕は好きになれない。
付箋をはった歌より、5首を以下に引く。
<賭け>は清し未来つきぬく鉄あればすさまじく折れゆく幾本ぞ
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず
運は天、地は志、歌は海、わが神として女笑えり
黄葉(もみじば)の過ぎにし父と思えれど秋山に来て心を洗う
小綬鶏の声が鋭く駈けのぼるわれには見えぬ天の坂道
ちくま文庫、2005年7刷。
昔に1度読んだ原文も、数年前に読んだ「恋する伊勢物語」も、内容はよく覚えていなかった。
俵万智の、おっとりした解釈は、好感がもてて、的を外してはいないようだ。
「無欲の勝利」と題して紹介されている第123段の話に惹かれる。情熱の冷めかけた男が、女に歌を詠んで贈る。
年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
女からの返歌は次のようだった。
野とならば鶉となりてなきをらむ狩にだにやは君は来ざらむ
俵万智も「痛々しいほどのけなげさ」とは評するが、「技術論で分析してみよう」と恋の駆け引きに論じ入って、情緒に深入りしない点が、残念である。
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