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エクセル形式による文庫本蔵書データベースへの入力が、東海林さだおのエッセイ集「ワニの丸かじり」(文春文庫)でもって、2,001件めとなった。
1,800件を越えたのが、このブログによると、今年7月15日である。
200件入力に2ヶ月余りで、少しペースアップしているか。
これと、残りの文庫本の様子では、文庫本蔵書は、2,500件(冊数はそれ以上)という予想も、ホラではなくなってきた。
東京都・在住の歌人・水上比呂美さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第1歌集「ざくろの水脈」を送って下さった。
2009年10月付け・刊、柊書房・発行。
お会いしたときの感じでは、体のあまり丈夫でない、朗らかそうな人だったが、どこに「怖れへの感覚」は潜んでいたのだろう。
ミステリー小説の読みすぎ、サスペンスドラマの観すぎではなく、彼女はただ素直な心の持ち主なのだろう。
素直な心にとって、悪心の世間は、怖ろしい物事に満ちているだろう。
以下にこの歌集より、7首を引く。
人生は後半がよし八十の義父がデートに出かける日暮れ
曇つた日たつたふたりのをとこ乗せ回送電車はせかせかとゆく
終電に飽かずいちやつくカップルをもし百舌ならば速贄(はやにへ)にせむ
死者のため煙草を買はむ斎場の自販機に千円札を入れたり
四人分二十四個の餃子焼き一人帰らず八個づつ盛る
裏庭の手押しポンプの井戸端でつつかけのまま足を洗ひき
新宿の改札口の全てから出られず切符一枚なくして
東京都・在住の歌人・片岡絢さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第1歌集「ひかりの拍手」を送って下さった。
2009年10月付け・刊、柊書房・発行。
家庭では優しい娘さんなのに、世間へは体当たりでぶつかってゆく。
若さゆえの特権だろうか。駆け引きしたり、すり抜けしたりしない、純粋な性格ゆえだろうか。
時に、痛々しく思える作品がある。
おおまつ。さんが彼のブログ「something like that」(このブログのリンク集にあり)の9月23日付け記事で、親切で的確な評を載せている。
この歌集の上梓をステップに、彼女の短歌も生活も変わってゆくだろう。
以下に、この歌集より6首を引く。
しづかなる雑木林に入りゆけば光はふいに和音に変はる
夕焼けの丘に来てをりもう何もしたくないとふ願ひかがやく
いい男に騙されるならそれはそれ素晴しいことと母宣(のたま)ひき
帰り来て愚痴の止まらぬ我が前に母は置きたり天ぷらうどん
生きてゐるうちしか逢へぬ人ばかりゐるかなしさをどうすればいい
お客様そりやあねえだろなめんなよ、といふ気持ちはない(たまにある)
兵庫県・在住の歌人・藤岡成子さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第2歌集「白鳥よ」を送って下さった。
2009年9月発行、本阿弥書店・刊。
長く市長を務めたご夫君を亡くされた孤独のなか、親しかった兄や姑を亡くされ、苦しみのなかで短歌を詠み続けて、第1歌集「真如の月」が第2回「筑紫歌壇賞」を受け、また「コスモス」内の「O先生賞」も受けた。
時にひょうきんな詠みぶりの歌もある。
人柄の大きさを思わせて、歌柄も大きい。
また自然な比喩の歌も多く、羨ましい。
以下に、付箋を貼った7首を引く。
冬眠より覚めし蛙のぼそぼそのその顔寝起きの夫に似てをり
ぼろぼろのわたしの影がわたくしを引つぱり昼の階段のぼる
炭坑節「サノヨイヨイ」とはやす姑何と不思議な百三の声
「おかあさん」と四十一年したしみし姑の柩に庭の花置く
さびしい日はモーツァルトを聞きながら徹底的に君を思はう
わたしの子はキャベツが好きで春菊は嫌ひなのよと紋白蝶いふ
気負ひゐしころの私を見るやうな深く辞儀する候補者婦人
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