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2009年9月の31件の記事

2009年9月30日 (水)

文庫本2冊

001  芦原街道沿いの大型書店「Super KaBoS 新二の宮店」(形的には「勝木書店二の宮店」が移った店)へ行く。

 2度めなのだが、場所が道路に面していないので、少しわかりづらい。

 欲しい本はたくさんあるが、事情(?)により、文庫本を2冊のみ買った。

  • 「一遍聖絵」岩波文庫、聖戒・編、大橋敏雄・校注、2008年7刷
  • 「ユーカラ」岩波文庫、金田一京助・採集・訳、2007年8刷

 

2009年9月29日 (火)

詩誌「水脈」40号

003  吉田郡にお住まいの詩人、辻Kさんが、詩誌「水脈」40号を送って下さった。

 「福井詩人会議・水脈」発行、2009年9月・刊。

 40号記念号ということで、内部よりK通夫さん、S周一さんが、文章を寄せている。

 年2回発行を続けてきて、来年には20周年を迎える。

 詩作品では、I冴子さんの「忘れない」(一)(二)が、感動的だった。孫恋いの作品だけれど、両腕や耳元の感覚に、去った孫の記憶が残って、いとしさを募らせる、というもの。

 なお「水脈」40号には、詩、詩人論の他に、俳句、小説、社会評論なども載っている。詩誌としては、どうだろうか、疑問が残る。

2009年9月28日 (月)

詩誌「アリゼ」第132号

004  兵庫県・在住の女性詩人SYさんが送ってくださった同人詩誌「アリゼ」第132号を読みおえる。

 SYさんが福井県出身のご縁で(何回か、お会いした事もある)、「アリゼ」を欠かさず送って下さって、有難い事である。

 詩作品を読み通して感じるのは、童話化した作品が多いことである。童話の特性は、空想性と単純化だろうか。

 詩の童話化が、時代への迎合か、抵抗か。

 僕がこんな事を書くのは、戦時下の木下順二の業績を思うからだ。

 詩が、知性よりも感性に訴えようとするのは、文学として一歩後退である。

2009年9月27日 (日)

2,001件め

 エクセル形式による文庫本蔵書データベースへの入力が、東海林さだおのエッセイ集「ワニの丸かじり」(文春文庫)でもって、2,001件めとなった。

 1,800件を越えたのが、このブログによると、今年7月15日である。

 200件入力に2ヶ月余りで、少しペースアップしているか。

 これと、残りの文庫本の様子では、文庫本蔵書は、2,500件(冊数はそれ以上)という予想も、ホラではなくなってきた。

2009年9月26日 (土)

水上比呂美「ざくろの水脈」

003  東京都・在住の歌人・水上比呂美さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第1歌集「ざくろの水脈」を送って下さった。

 2009年10月付け・刊、柊書房・発行。

 お会いしたときの感じでは、体のあまり丈夫でない、朗らかそうな人だったが、どこに「怖れへの感覚」は潜んでいたのだろう。

 ミステリー小説の読みすぎ、サスペンスドラマの観すぎではなく、彼女はただ素直な心の持ち主なのだろう。

 素直な心にとって、悪心の世間は、怖ろしい物事に満ちているだろう。

 以下にこの歌集より、7首を引く。

人生は後半がよし八十の義父がデートに出かける日暮れ

曇つた日たつたふたりのをとこ乗せ回送電車はせかせかとゆく

終電に飽かずいちやつくカップルをもし百舌ならば速贄(はやにへ)にせむ

死者のため煙草を買はむ斎場の自販機に千円札を入れたり

四人分二十四個の餃子焼き一人帰らず八個づつ盛る

裏庭の手押しポンプの井戸端でつつかけのまま足を洗ひき

新宿の改札口の全てから出られず切符一枚なくして

彼岸花

001 002  近所の小川(少しだけれど蛍も生まれる)の土手に、彼岸花が群れ咲いている。

 幾つもの群落を成している。

 死人花などと呼んで忌む人もいるようだが、僕には親しい花で好きだ。

 幼い頃に、この花で首飾りを作って、首にかけて遊んだ、懐かしい思い出がある。

2009年9月25日 (金)

片岡絢「ひかりの拍手」

003  東京都・在住の歌人・片岡絢さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第1歌集「ひかりの拍手」を送って下さった。

 2009年10月付け・刊、柊書房・発行。

 家庭では優しい娘さんなのに、世間へは体当たりでぶつかってゆく。

 若さゆえの特権だろうか。駆け引きしたり、すり抜けしたりしない、純粋な性格ゆえだろうか。

 時に、痛々しく思える作品がある。

 おおまつ。さんが彼のブログ「something like that」(このブログのリンク集にあり)の9月23日付け記事で、親切で的確な評を載せている。

 この歌集の上梓をステップに、彼女の短歌も生活も変わってゆくだろう。

 以下に、この歌集より6首を引く。

しづかなる雑木林に入りゆけば光はふいに和音に変はる

夕焼けの丘に来てをりもう何もしたくないとふ願ひかがやく

いい男に騙されるならそれはそれ素晴しいことと母宣(のたま)ひき

帰り来て愚痴の止まらぬ我が前に母は置きたり天ぷらうどん

生きてゐるうちしか逢へぬ人ばかりゐるかなしさをどうすればいい

お客様そりやあねえだろなめんなよ、といふ気持ちはない(たまにある)

2009年9月24日 (木)

藤岡成子「白鳥よ」

002  兵庫県・在住の歌人・藤岡成子さん(「コスモス」「棧橋」所属)が、第2歌集「白鳥よ」を送って下さった。

 2009年9月発行、本阿弥書店・刊。

 長く市長を務めたご夫君を亡くされた孤独のなか、親しかった兄や姑を亡くされ、苦しみのなかで短歌を詠み続けて、第1歌集「真如の月」が第2回「筑紫歌壇賞」を受け、また「コスモス」内の「O先生賞」も受けた。

 時にひょうきんな詠みぶりの歌もある。

 人柄の大きさを思わせて、歌柄も大きい。

 また自然な比喩の歌も多く、羨ましい。

 以下に、付箋を貼った7首を引く。

冬眠より覚めし蛙のぼそぼそのその顔寝起きの夫に似てをり

ぼろぼろのわたしの影がわたくしを引つぱり昼の階段のぼる

炭坑節「サノヨイヨイ」とはやす姑何と不思議な百三の声

「おかあさん」と四十一年したしみし姑の柩に庭の花置く

さびしい日はモーツァルトを聞きながら徹底的に君を思はう

わたしの子はキャベツが好きで春菊は嫌ひなのよと紋白蝶いふ

気負ひゐしころの私を見るやうな深く辞儀する候補者婦人

2009年9月23日 (水)

鷗外「舞姫・うたかたの記 他三篇」

003  森鷗外「舞姫・うたかたの記 他三篇」を、読みおえる。

 岩波文庫、1998年34刷。

 ここに収められた5編のうち、「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」3編がドイツ留学に想を得た小説、「そめちがへ」は初期から中期への移行期の小説、「ふた夜」がドイツ作家ハックレンデルの小説の翻訳である。

 「舞姫」の留学生の倫理性が問題視されるけれども、この小説にもフィクションは多いだろう。たとえ狂気した恋人、二人のあいだの子供のそれからの生活と、帰朝後の鷗外の業績を比べようとしても、致し方のない事だろう。

 ハックレンデルの「ふた夜」には、さすがにヨーロッパの小説は進んでいて、表現も展開も見事だと、感嘆した。

「歌壇」2009-10月号

002  歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2009-10月号を読みおえる。

 今号の特集は、「短歌の図書館-歌人の読書案内」である。

 読書が僕のほとんど唯一の取り柄だと思っているので、この特集の文章を、すべて読んだ。

 「私の座右の十冊」10編も面白く、「私が買いたい一冊」(こういう本があったら買いたいというもの)6編も斬新だった。

 栗木京子さんの30首連載「青い手帖の旅人」は、10回め「余れる腕も」である。不思議な魅力のある歌を詠む歌人だ。

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