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2010年3月の28件の記事

2010年3月21日 (日)

洋種椿「ヒット・パレード」

002  玄関うちに取り込んでおいた鉢物のうち、洋種椿「ヒット・パレード」の花が、1輪咲いた。

 この品種を、「洋種椿銘鑑」(文化出版局、昭和51年・刊)で見ても、載っていない。

 「現在 日本で咲く 洋種椿品種」(コーベ・カメリア・ソサエティ、2005年・刊)には載っている。

 濃桃、牡丹咲き、立ち上がった弁、大輪、ジャポニカ系、とある。(US-Nucclo 1961)とあるのは、1961年にアメリカで発表された、ということか。

 咲いた花が、色薄く、弁も少なく、輪も小さいのは、鉢植えの苗でようやく1輪が、春早く玄関うちで、咲いてしまったせいだろう。

2010年3月20日 (土)

「詩の研究会」3月例会

001  今日土曜日の昼12時より、F市内の某カルチュアセンターの1室で、同人詩誌「群青」のメンバーが集まり、「詩の研究会」3月例会が開かれた。

 メンバーは、僕、こぐま星座さん(変名多数)、KMさん、AUさんの4名。

 まず詩集、詩誌等の受け渡しと、僕の作成した、詩誌「群青」17号の収支明細書の配布があった。

 そのあと、AUさんが先日、東京の思潮社、印刷所、製本所等を巡ってきたので、その報告を聞く。

 研究は、こぐま星座さんが作成した多数のコピーを基に行われた。元の本は、詩1編ごとに石垣りんさんがその下に、コメントを付したもの。

 山村暮鳥から高橋順子に至る10名の詩を、それぞれ美点を挙げて感心したり、あるいは「想定内の表現」などとバッサリ斬ったり、午後3時まで、思うところを述べ合った。

2010年3月19日 (金)

前田真三「WHITE  FANTASY」

001  前田真三(1922年・生)の写真集、「WHITE FANTASY」を見おえる。

 講談社、1990年・4刷。

 カバー見返しを見ると、彼はこの他に同社より、「春の大地」「夏雲の丘」「秋の彩り」も出版している。

 この写真集では、雪原、樹木、遠景の家屋、など単純な構成を選んでいるようだ。

 中で、雪をかぶる紅葉を写した「名残の色」、雪の降るさまを写した「粉雪舞う」が美しい。

 デジタルカメラではないだろうが、写真に手を加えて単純化しているようだ。

2010年3月18日 (木)

五十嵐播水「播水句集」

 「増補 現代俳句大系」第1巻(角川書店、昭和56年・刊)より、3番めの句集、五十嵐播水「播水句集」を読みおえる。

 この「増補 現代俳句大系」は、個人の全句集ではなく、また句集よりの抄出句選でもなく、名句集とされる本の集成なので、僕も1句集ずつ取り上げる。

 五十嵐播水は、医学博士となった人である。

 アマチュア文学が、旦那衆の芸事や、病気療養者の排悶の具に、終わってはいけないと思う。労働者の生の叫びや呟きであってほしい。

 以下に4句を引く。

曼珠沙華折る子に柩通りけり

潮焼けの面ひとしき双子かな

足袋はいて足のぬくさや秋の雨

菜の花の道高まれば海見ゆる

2010年3月16日 (火)

同人詩誌「アリゼ」第135号

002  僕たちの同人詩誌「群青」第17号を送らせてもらった方の中で、兵庫県に在住の詩人、S陽子さんがお便りと共に、同人詩誌「アリゼ」第135号を送ってくださった。

 「アリゼ」は、兵庫県に在住の詩人を、おもに同人とする詩誌である。

 A敏さんの「小浜島」、T美夜さんの「能舞台・春占(はるうら)」に見られる古風、N直子さんの「二千九年大晦日の客」、N佳枝さんの「ソラ豆」に見られるメルヘン調、など詩風は様ざまである。

 同人の年齢が上がってきて、自足の念をもつ方も多いと見受けられる。

 同誌には、9編のエッセイが載るが、本音を語る場が、詩ではなく傍流のエッセイだった、という事になってはいけないと心配する。

2010年3月15日 (月)

増田龍雨「龍雨句集」

003  「増補 現代俳句大系」第1巻(角川書店、昭和56年・刊)より、増田龍雨「龍雨句集」を読みおえる。

 この本の巻頭は、水原秋櫻子「葛飾」なのだけれども、それは以前に読みおえているので、今回は2冊めの「龍雨句集」を取り上げる。

 なんといっても、時代が長閑である。

 この句集の上梓が昭和5年で、満州事変が昭和6年、句吟がそれ以前である。

 また敗戦という衝撃を受けていない。

 句風も長閑であるように思われる。

 僕は、1句に1季語、と習ったと覚えているが、この句集には、1句に季語が重複しているのではないか、と思われる作がある。時代の風潮なのか、流派の特性なのか。

 ただし僕は、俳句について詳しくないから、誤っているかもしれない。

 以下に例を引いてみる。

寒鮒の籠も秤も粉雪かな

枯蔦や昨日に過ぎしクリスマス

極月のどこの社も落葉かな

2010年3月14日 (日)

職場の花壇③-1

003 001  今日は日曜日だけれど、出勤日だった。

 職場の花壇では、わずかに花が咲いている。

 左の写真は、クロッカスだと思う。小さい花である。

 右の写真は、黄花のミニ水仙(?)である。

 タイトルの「③-1」は、3年めの第1回、の意である。

 2つは、職場の花壇の「小さい春」だろう。

 花壇の世話をしていた女性職員の2人が、次々に退職し、今は男性のSさんが引き継いでいるが、どれだけ花を咲かせられるか。

2010年3月13日 (土)

「歌壇」3月号

002  綜合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2010-3月号を読みおえる。

 散文では、読まなかったものが多い。歌論を読んで良い歌を創れるほど、僕の作歌力が熟していないからである。

 また特集の「アンソロジー2009 テーマ別私の1首」も読まなかった。1首ずつ傾向の違う短歌を、800首も読むのは辛い。1人10首の80人で800首を読むほうが楽なのではないか。現実にアンソロジーを読まないで書くことは、失礼かもしれないが。

 特別企画の「採れなかったことば」は、各氏の論に説得力があり、僕の為になるようだった。

 柏崎驍二氏の「百たびの雪」20首が、東北の冬を描いて清しい。

2010年3月12日 (金)

「コスモス」3月号

 結社歌誌「コスモス」2010-3月号を読みおえる。

 初めより「COSMOS集」までと、「新・扇状地」など。

 久しぶりに「その一集」を最後まで読んだ。

 僕は本を読むのが好きだが、スピードは遅い。

 「コスモス」の「その一集」をしまいまで読んでいると、20日以上かかり、他の本をあまり読めなくなる。4月号以降は、また元の読み方に戻そうと思う。

 付箋を貼ったのは、「新・扇状地」の、城戸真紀さんの「<母>のスイッチ」より、次の1首。

ランドセルを子がおろすときわが胸にパチンと入る<母>のスイッチ

 張り詰めた気持ちで過ごす日常が思われる。

2010年3月10日 (水)

青山雨子「暇な喫茶店」

003  福井県に在住の詩人、青山雨子さんが、詩集「暇な喫茶店」を下さった。

 書肆山田、2010年3月・刊。

 彼女の話によると、彼女は妻ではなく、定職がない。

 そこからくるアイデンティティの弱さは、題材に日常の様子に向かわせる。

 また「詩に生きるしかない」という、強い決意があるのだろう、日常を題材にしながら、強いバイアスがかかり、表現は大きくひずんでいる。

 またその決意は、勉強熱心となり多くの詩集等を読破し、また相次ぐ詩集の上梓となっている。

 持ち前のプロデュース力も生かして、文学の世界で活躍される事を願う。

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