今日土曜日の昼12時より、F市内の某カルチュアセンターの1室で、同人詩誌「群青」のメンバーが集まり、「詩の研究会」3月例会が開かれた。
メンバーは、僕、こぐま星座さん(変名多数)、KMさん、AUさんの4名。
まず詩集、詩誌等の受け渡しと、僕の作成した、詩誌「群青」17号の収支明細書の配布があった。
そのあと、AUさんが先日、東京の思潮社、印刷所、製本所等を巡ってきたので、その報告を聞く。
研究は、こぐま星座さんが作成した多数のコピーを基に行われた。元の本は、詩1編ごとに石垣りんさんがその下に、コメントを付したもの。
山村暮鳥から高橋順子に至る10名の詩を、それぞれ美点を挙げて感心したり、あるいは「想定内の表現」などとバッサリ斬ったり、午後3時まで、思うところを述べ合った。
「増補 現代俳句大系」第1巻(角川書店、昭和56年・刊)より、3番めの句集、五十嵐播水「播水句集」を読みおえる。
この「増補 現代俳句大系」は、個人の全句集ではなく、また句集よりの抄出句選でもなく、名句集とされる本の集成なので、僕も1句集ずつ取り上げる。
五十嵐播水は、医学博士となった人である。
アマチュア文学が、旦那衆の芸事や、病気療養者の排悶の具に、終わってはいけないと思う。労働者の生の叫びや呟きであってほしい。
以下に4句を引く。
曼珠沙華折る子に柩通りけり
潮焼けの面ひとしき双子かな
足袋はいて足のぬくさや秋の雨
菜の花の道高まれば海見ゆる
「増補 現代俳句大系」第1巻(角川書店、昭和56年・刊)より、増田龍雨「龍雨句集」を読みおえる。
この本の巻頭は、水原秋櫻子「葛飾」なのだけれども、それは以前に読みおえているので、今回は2冊めの「龍雨句集」を取り上げる。
なんといっても、時代が長閑である。
この句集の上梓が昭和5年で、満州事変が昭和6年、句吟がそれ以前である。
また敗戦という衝撃を受けていない。
句風も長閑であるように思われる。
僕は、1句に1季語、と習ったと覚えているが、この句集には、1句に季語が重複しているのではないか、と思われる作がある。時代の風潮なのか、流派の特性なのか。
ただし僕は、俳句について詳しくないから、誤っているかもしれない。
以下に例を引いてみる。
寒鮒の籠も秤も粉雪かな
枯蔦や昨日に過ぎしクリスマス
極月のどこの社も落葉かな
結社歌誌「コスモス」2010-3月号を読みおえる。
初めより「COSMOS集」までと、「新・扇状地」など。
久しぶりに「その一集」を最後まで読んだ。
僕は本を読むのが好きだが、スピードは遅い。
「コスモス」の「その一集」をしまいまで読んでいると、20日以上かかり、他の本をあまり読めなくなる。4月号以降は、また元の読み方に戻そうと思う。
付箋を貼ったのは、「新・扇状地」の、城戸真紀さんの「<母>のスイッチ」より、次の1首。
ランドセルを子がおろすときわが胸にパチンと入る<母>のスイッチ
張り詰めた気持ちで過ごす日常が思われる。
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