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2010年7月の28件の記事

2010年7月31日 (土)

黒田鄙人「願結び」

001  福井県に在住の詩人、黒田Hさんが、ご父君の遺句集「願結び」を送って下さった。

 著者・黒田鄙人、宮本印刷、平成22年7月・刊。

 著者は若くから作句していたが、いずれかの俳誌に参加していたか、ということは書かれていない。

 著者の没後に発見された句帳5冊、約1,600句より、子供たち兄弟姉妹5人が集まって三分の一程度に絞り、吉田透思朗さん(福井県俳句作家協会会長、福井県現代俳句協会会長)に黒田Hさんの関わりから依頼して、更に300句程に厳選してもらい、跋文を得た。

 巻末には兄弟姉妹5人の、ご父君の思い出の記も載せ、没後8年目の霊前に捧げたい、とある。

 句風は、新らし味と機知のある、優れたものと思われる。

 以下に6句を引く。

飾る雛とてなく妻とふたりかな

椿咲く囁く時のかたちして

よく似たる顔を並べて昼寝かな

朝市やまだ濡れてゐる籠の茄子

村廃れそれより桐の花の濃し

めおと滝めおとのままで凍ててをり

2010年7月30日 (金)

還暦

 先日、還暦の誕生日を迎えた。

 妻と二人で、「海鮮アトム」という回転寿司屋へ行き、少し食べた。

 妻の車の運転だったが、アルコールは飲まなかった。僕は少人数で飲むと、悪酔いする場合があるので。

 さらにその数日前に、洋装品店で通勤用の靴とズボンを買い、F時計店で腕時計のベルトを替えた(腕が太くなったのか、ベルトの跡がつくようになったため)。

 お祝いということで、妻が買ってくれた。

2010年7月29日 (木)

木槿2種

002 005  庭で、2種の木槿の花が咲いている。

 左の写真が、赤花一重、右の写真が、白花八重である。

 双方とも、梢の高いところの花なので、望遠に弱い(接写にはわりあい強い)、僕のコンパクトデジカメでは、うまく写らなかった。

 他にも木槿の木があって、枝葉は茂っているのだが、花が咲かない。これからなのか。

2010年7月28日 (水)

「棧橋」No.103

No_001  季刊同人歌誌「棧橋」No.103を読みおえる。

 散文では、飛ばしたものもある。

 新しい人、若い人を含めて、短歌の上手な歌人ばかりだ。

 (僕のことは、さて措いて)。

 今号より、T公彦氏とK富紀子さん、お2人のエッセイの連載が始まった。

 お2人とも、個性の強い文体なので、今後の進展を僕は楽しみにしている。

 僕は参加できなかったのだが、「天浜線一泊批評会」の記録や写真も掲載されて、羨ましい。

2010年7月26日 (月)

「鮎川信夫全集Ⅶ 自伝随筆」

003  「鮎川信夫全集Ⅶ 自伝随筆」を読みおえる。

 思潮社、2001年・刊。

 箱、帯、月報、箱と本体にパラフィン紙カバー、678ページ。

 帯に「私生活を明かさなかった著者の身辺的色彩の濃い文章を集めた異色の一巻」とあるが、これくらい自伝的な文章を遺せば、充分という気がする。

 ただし彼が亡くなったとき、彼の内縁の奥さんが、吉本隆明等の友人にも知られない人だった、というエピソードがある。

 後半には詩人論も多く、彼の執着した森川義信や、中桐雅夫への追悼、山之口獏、尾形亀之助、中原中也、T・S・エリオット等をめぐって、好意的に述べている。

2010年7月25日 (日)

「歌壇」8月号

003_2  総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2010-8月号を読みおえる。

 短歌作品を読んで、散文はほとんど読まなかった。

 「特集 戦後65年―短歌が詠み継ぐあの夏」も、僕の最大事件は学生時代にあったので、読み通すほどの熱意が湧かない。

 「追悼 竹山広」も、彼の短歌をほとんど読んでいないので、鼎談や追悼文を読んでもなあ、という気がする。

 彼の全歌集が数々の賞を受けた時、気持ちが動いたが、結局買わなかった。

 第7回「筑紫歌壇賞」が発表された。60歳を越えてからの第1歌集が対象という、ユニークな賞である。

 他の総合歌誌は知らないのだが、「歌壇」は中堅歌人の短歌作品を、多く載せていると思う。

2010年7月24日 (土)

「コスモス」8月号

 歌誌「コスモス」2010-8月号を読みおえる。

 初めから「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。

 ただしこれからも、時間を見つけて、本誌を読んでいく予定である。

 「COSMOS集」では、I佑太さん、S美衣さん、Kなおさん、K真紀さんたち若手に加え、わが地元支部のT忠一さんも「あすなろ集」より「水張田」5首が選ばれて、頼もしい。

2010年7月23日 (金)

詩誌「アリゼ」第137号

001  兵庫県に在住の詩人、S陽子さんが、同人詩誌「アリゼ」第137号を、お便りを添えて、送って下さった。

 今号は「大野新 追悼号」とも呼ぶべく、彼の詩6編と、S陽子さんの「日溜まりの中で」を含む、追悼文12編が載っている。

 大野新さんは、同人ではなかったが、詩誌の合評会に必ず参加した、とあり、僕は「アリゼ」の寄贈を長く受けながら、その事を知らなかった。

 詩誌「青魚」№72のT晃弘さんの「あとがき」や「福井県詩人懇話会会報」第24号によると、大野新さんは、1992年11月15日、旧・福井新聞社会館の地下ホールで催された「『詩集ふくい ’92』出版記念のつどい」にて、「私詩をどう超えるか」と題して講演をおこなった。それを聴いたことだけが、大野新さんと僕の関わりである。

 他に詩19編と、「船室」と題するエッセイのコーナーなど。

2010年7月22日 (木)

フーコー「わたしは花火師です」

001  ミシェル・フーコー「わたしは花火師です」を、読みおえる。

 ちくま学芸文庫、2008年・刊。

 この本には、2つのインタビュー記事、「わたしは花火師です」「哲学を厄介払いする」と、3つの講演記録、「批判とは何か―批判と啓蒙」「医療化の歴史」「近代技術への病院の統合」が、収められる。

 初めのインタビューで彼は、自分は歴史家でも哲学者でもなく、「花火師(「爆破技師」の意味もある)」であり、壁を倒し前へ進みたい、と述べている。

 また、ポーランドとチュニジアに暮らした時期の経験が、のちの発想(共産主義にも資本主義にも拠らない)の源になっているようだ。

 講演記録「批判とは何か―批判と啓蒙」では、次の言葉が僕に残った。

 「『統治されることを望まない』ということは、手短に言えば、権威が真理であるとして主張することを、真理としてうけいれないことです。」

2010年7月19日 (月)

「歌壇」8月号・他

 勝木書店系の「KaBos 新二の宮店」へ行く。

 この店へ行くのも、4、5回めなので、駐車場への入り方に慣れる。

 2冊を買う。

  • 「歌壇」2010-8月号(本阿弥書店)

 「歌壇」は、僕がただ1種のみ買っている、総合歌誌である。

 特集は、「戦後65年―短歌が詠み継ぐあの夏」。他に「追悼 竹山広」が特集されている。

  • ユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」、岩波文庫、2008年8刷。

 知覚(おもに視覚)・行動において、生物種ごとに独特なものがある、と説く。

 人類に当てはめれば、構造主義に関わるかも知れない。

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