東京都に在住の歌人・桑原正紀氏が、第7歌集「天意」を送って下さった。
2010年8月、短歌研究社・刊。
桑原正紀(くわはら・まさき)氏は、「コスモス」選者、「棧橋」発行人。
奥さんの病気と、歌集の発行について、「あとがき」に記されている。
奥さんは依然として病院暮らしであり、体力は回復しつつあるものの、記憶障害は好転していない、との事である。
仕事以外のほとんど全てを看護に費やす生活から、掉尾には「春のかぜ春のひかりのやはらかく妻をつつめり 癒えずとも…よし」と詠うまでの心境に至っている。
以下に7首を引く。
「いくわよ」と下手投げにて投げ返すボール弱けれどストライクに来る
猫を見舞ひ妻を見舞ひて病院をハシゴする日々 月も痩せたり
ほんのすこし癖ある握りそのままに妻は三年ぶりの箸持つ
すこしづつ覚醒しつつある妻か今日くきやかに「おかえりっ」と言ふ
つぎつぎに片付け洗濯するわれを不安顔して猫が見上ぐる
「どうしたの?」とおどろく妻に花束のいはれを話す何度目ならむ
右手もて手すりをつかみ掛け声をかけて妻はも階段のぼる
午前中に「KaBos新二の宮店」へ行き、「歌壇」2010-9月号と、バルザック「ゴプセック 毬打つ猫の店」(岩波文庫)を買う。
「歌壇」の特集は、「短歌と酒の関係」と「追悼 加藤克己」である。
バルザックの小説は好きなほうで、これまでに数作を読んでいる。
昨日の記事の自己コメントにあるように、F県立図書館などのホームページを「お気に入り」に入れたので、その記事より、「高見順展」を観に行く。
左の写真はポスターの1部、右の写真は自筆詩稿ノートである。この他に、古い単行本なども展示されていた。
彼の全集は持っていないが、「高見順文学全集」6冊揃(講談社、昭和39~40年)を、「古書センター」で買った。今はどこに在るか、わからない。
高校文芸部員時代に、1年先輩の荒川洋治さん(高見順と同じ、現・坂井市三国町の出身)の案内で、高見順の生家と墓地のお墓を、彼を含めて4人で巡っており、その時の写真5枚(モノクロ)が残っている。台紙には、「昭和41年7月28日」と記されている。
また東尋坊遊歩道に、高見順の詩碑(川端康成・筆)が建立された時にも、式典と記念講演会に、仲間と参加した。
彼の本はあまり読んでいなくて、「死の淵より」を含む詩集と、中篇小説を1つ、読んだきりである。
ネット古書店連合サイト「日本の古本屋」を通して、東京都の古書店「光芳書店」へ注文していた、「日本の天然記念物」が届いた。
講談社、1984年2刷。
6冊揃い、外箱なし。
おおよそ、動物篇2冊、植物篇3冊、地質・鉱物篇1冊である。
1984年5月時点での、指定物件の全部が収められる。
各件にカラー写真(複数枚のものもある)と、写真に付された文章とは別に、詳しい解説ページがある。
僕は何も、自然保護に熱心ではないが、DVD「世界遺産」10枚セット(中古品)の購入と鑑賞も含め、時代のそのような流れに引かれつつある。
写真は、6冊の背である。
神奈川県に在住の詩人、中島悦子さんの第3詩集、「マッチ売りの偽書」を読みおえる。
2008年、思潮社・刊。
装丁・稲川方人、帯文・井坂洋子。
この詩集は、先だって、こぐま星座さんに借りた詩集3冊のうち、最後の1冊である。
この詩集は、2009年、第59回「H氏賞」(日本現代詩人会・主催)を受賞している。「H氏賞」は、「詩の芥川賞」とも言われ、詩壇への登竜門である。
彼女は、福井県出身であり、福井県内を中心とする詩誌「木立ち」同人であり、また同詩集にて「北陸現代詩人賞」大賞を受賞している。
内容は、人生のマイナス面を戯画化(寓喩、フィクション化によって)した作品が多いようだ。
それも1方向だろうけれど、極小でいいから人生のプラス面を唱っていたい。
詩「バックグラウンド」の、第2連を以下に引く。
バックグラウンド
(前略)
猿にスーパーで買ったばかりのりんごとインスタントラーメンを奪われる。いくら共存しているとはいえ、このやろーなどと捨てゼリフを言うのは、おもしろい。カラスにも、顔を覚えられつつかれる。おぼえてろーなどと泣きながら家に帰る。もう、人間でいる意味はないようにも思うし、かえって人間でいてもいいようにも思う。知能が低下すると人間もしばしばおおげさに泣きながら暮らすのではないだろうか。
(後略)
「Amazon」に注文していた、アルバムCD、「欧陽菲菲 Best10」が届いた。
彼女がいつころ全盛だったか、僕の記憶ではわからない。
このアルバムに収められている10曲のうち、聴いてみて覚えがあるのは、「ラヴ・イズ・オーヴァー」、「雨の御堂筋」、「雨のエアポート」、「夜汽車」、「恋の十字路」の5曲だった。
御堂筋近くの小店で、フランクフルトソーセージとファンタなどを、対面販売するアルバイトをした事があるので、懐かしい。
ステージでのダイナミックな(パワフルな、エキサイティングな)歌いぶりとは違い、レコーディング・スタジオではオーソドックスな歌いぶりである。
ジャケットの写真がアブナイが、それで買ったのではないので、念のため。
静岡県に在住の歌人、松本由利さん(「コスモス」会員、「棧橋」同人)が、第一歌集「ガウス平面」を送ってくださった。
2010年8月、柊書房・刊。
大松達知・選、高野公彦・帯文。
この歌集には、大きな事件は少ない。ご自身の出産と、その娘さんの進学くらいだろうか。
日常の出来事を取り上げて詠いながら、感じ取り方は特異である。しかも彼女は、その特異さに気づいていないらしい所が、ユニークである。
その源は、歌集の歌にも出てくる「自らに破り捨てたる夢いくつ」の、名残りだろう。
以下に6首を引く。
日にぬくむ額の一点つんと冷えまたつんと冷え春の時雨は
信仰はもたねど心寄せてをり山住神社の朽葉のにほひ
米を研ぐ指に血潮のいろ差して四十歳の生は満ちたり
海の風はまひるがほの上を来てわが寂しさを吹きてゆきたり
ゆふぐれの壁の人影きびきびと働いてをりそれはわが影
はらわたに響くこほろぎ、のどもとに響くすずむし、かたみに鳴きぬ
2007年、思潮社・刊、帯。
この本も、先日にこぐま星座さんより借りた、3冊の詩集のうちの1冊である。
川上さんは、僕が高校生時代よりの、詩兄である。
高校文芸部員時代に、1年先輩の荒川洋治さんのプロデュースで、僕のガリ版詩集「炎の車輪」を出した時、その批評会に、1昨日に紹介した広部英一さんも、川上明日夫さんも、出席してくださってよりのご縁である。
詩人を、言葉派と生活派に分けると、彼は福井県内では数少ない、言葉派の1人である。
詩集の中で最も短い、「波紋」を以下に引く。
波紋
萩の花の すっかり おちた小枝に ぽつんとひとり 空の実が 揺れている
空を映して ぽつんとひとり ぼくは ぼくの涙に すこし浮かんで 生きている
風が吹いて 光がこぼれて
むかし 魂の近所で 暮らしたことのある人が そっと 水辺に おりてくる
そのたびに とおい雨の湖では この世の秋の ちいさな 波紋(さざなみ)が たっている
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