結社歌誌「コスモス」2011-5月号を読む。
初めから「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」(2名×15首)、「コスモス新鋭特集」(4名×7首、最終回)など。
今号には、「第48回 桐の花賞」と、「第33回 評論・随筆賞」の発表がある。
僕が付箋を貼った1首は、「COSMOS集」の「あすなろ集」特選より、130ページ下段、Yヨシ子さんの次の作品である。
ときめきも意欲も若き日と同じなのに鏡は老婆を写す
気持ちは若いのに、体力と神経がついていかない、という場面に僕もよく会う。
また句またがりも、大胆である。
先日「BOOK OFF 米松店」で、文庫本3冊を買ったので、以下に挙げる。
1と2は、小説である。4月24日の記事で書いた「いくつもの週末」で、彼女の文章力を見直したから。
3は、彼のノンフィクション小説である。彼の「聖の青春」と「将棋の子」は読んだが、その後の小説は何冊か買ったまま、読んでいない。
平成23年4月、果実の会・刊。
県内の教師(及びそのOB)を同人とする詩誌である。
6名の12編の詩、他に4編の散文が載る。
詩では、T篤朗さんの3編、「電信柱―残った響き―」「歩道橋の下で」「線路1 ―踏み切りで―」が興深い。中原中也を思わせる、喪失感だろうか。
しかも彼は、評論(と呼ぶべきだろう)の「写生の短歌」において、正岡子規の短歌1首、「瓶にさす藤の花房短ければ畳の上に届かざりけり」についてB5判4ページをもって、巨細にわたって論ずる(少し授業っぽいけれど)力があるのだ。
以下に「歩道橋の下で」(全5連)のうち、初めの連のみ引く。
歩道橋の下で
T篤朗
通りすがりの歩道橋の下
いつも見る親子
それがここしばらく見ないのだ
わたしは気になる
毎日そばを通るとき
車のスピードを落とす
今日もやはりいなかった
(後略)
この4月5日の記事で購入を紹介した、図録「トルコ三大文明展」を見おえる。
2003年、NHK・NHKプロモーション・刊。
まずヒッタイト帝国文明では、膨大な「粘土板文書」に惹かれる。楔形文字で書かれた文書は、実用文書だけれども、紀元前15世紀からのものがあり、言葉に関わる者として気になる。すでに解読されている。
ビザンツ帝国は、395年に東西に分離したローマ帝国の東ローマ帝国の発展したものである。各帝王にちなんだたくさんの種類の金貨などが載る。
オスマン帝国は、トルコ人・イスラム文化の国である。スルタンの花押入り文書、見事な白磁・青磁の器がある。
他に宝飾(硬玉、金銀、ルビー、エメラルド、ダイヤ、真珠、トルコ石、ガーネットなど)に飾られた、器、ターバンの飾り、短剣などが、きらびやかである。
集英社文庫、2003年11刷。
江國香織は、1964年生れ、現代の流行作家である。
この「いくつもの週末」は、(銀行員の)夫との新婚生活を叙した、16章より成る「エッセイ集」である。
夫は「なにを書いてもいい」と言ってくれたと、あとがきの「おわりに」にある。
新婚生活は、ひどい夫婦喧嘩があったりする。彼女はそれを、「嵐」と呼び、細かくは描写しない。
新婚生活は、これまで生きてきた生活と人格の出会いだから、誰でも多少はそうなるだろう。
彼女の純粋さと夫の優しさが、破局を回避する。新婚を叙しながら、文章のしっかりした、佳いノンフィクション(少しはフィクションが入っているかも知れない)である。
先日にT晃弘さんが届けて下さった、同人詩誌「青魚」No.74を読みおえる。
僕はソネット8編、「はやぶさ(改稿)」「やけど」「デビュー」「深夜に」「乳房」「不穏な日」「文庫本」「ズボン」を、載せてもらった。
B5判、2段組み、4ページである。
T幸男さんが、「山祇(やまつみ)の森閑(しじま)の箴諫」他、23編(18ページ)を載せている。
世を怒り嘆くTさん節が戻ってきたようで、僕は嬉しい。
彼はペン書き(万年筆ではないかも知れない)の自筆原稿を、縮尺して載せているのだが、率が高くなったのか、僕の老眼が進んだのか、僕の裸眼では読み取れない所があった。
写真のフィルム(ポジはしていない)を見るための、台あり拡大鏡を使って詩行を追い、しばし感興を起こしたのだった。
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