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この10月14日の記事で、購入を報告した歌書、「岡井隆全歌集 Ⅲ」より、初めの「α(アルファ)の星」を読みおえる。
この本には、6歌集が収められており大部なので、1歌集ごとの感想を報告したい。
彼の独特さは、短歌を詠む力感と、新しい動きを採り入れる自由さだろうか。
「月報 Ⅲ」の、荻原弘幸・石井辰彦との鼎談でも語られた、彼の保守転換と、家族詠の作など、6首を以下に引く。
一票を保守派にいれて帰りたりわが過去へあはきサタイアとして
亡ぶなら核のもとにてわが死なむ人智はそこに暗くこごれば
あたらしきことばの河にあそびつつときにまどへり父親なれば
三人子(みたりご)と妻とが作る四重奏隠喩はつねに生(な)まぐさくして
午後九時に鳴れるチャイムは誰(た)がために誰(たれ)が巻きたる留守居し居れば
若きらを遠きさびしきライバルとして生きむかなまさか嫌ふな
昨日に紹介した3歌誌のうち、「棧橋」No.108を読みおえる。
最も好感をもったのは、Y直さんの「娘といっしょに」12首である。たとえば冒頭、
言ふほどでなけれどけふは誕生日娘に従ひ東京へ行く
とあるように、俗にいう「おのぼりさん」の1連だけれど、素直な作品群である。
見栄をはらず、恥じるような事もしない。
レトリック豊かな作品も結構だけれど、素直な作品も歌壇にあらねばならない。
2003年、砂子屋書房・刊。
彼女は、愛知県・在住、「未来」所属。
257首を収める。岡井隆の跋文、「『花時計』の作者に」を付す。
歌舞伎、能を観劇する教養をもち、国内、外国を旅行しての作品も多い。
僕の及びもつかない境涯である。(僕は僕なりに詠むしかないだろう)。
彼女は、心を鎧う場合があるというか、見得をきったような作品が散見されて、気になる。
以下に7首を引く。
三月は幹の瘤さへつやめくをとりのこされてゐる昼の月
さみだれや春琴ごつこなししとふ潤一郎とその妻松子
山いくつゑぐり採りしかここかしこ巨き窪あり瀬戸珪砂鉱
偏愛に似たれば重くなつかしき聖護院大根抱へて帰る
水面打つ櫂ひそやかにゴンドラは狭き運河の橋くぐりゆく
逃亡はもはやかなはぬ外壁を亜麻色に塗りやさしく棲まむ
PK戦まで追ひつめずひたすらに黒豆を煮む来世紀まで
Amazon内のマーケットプレイス「eco-college」に注文していた、「岡井隆全歌集 Ⅲ」が届いた。
2006年、思潮社・刊。
外箱、箱、カバー、月報、資料集成Ⅱ、あり。
僕は彼の全歌集を、1972年版の1冊本、1987年版の2冊本のⅡ(読了記事あり)、今度の4冊本のⅢと、こまぎれで買っている。
同店にそのⅣもある事を知りながら、財政的に同時には買えない。
詩集や歌集を上梓する予定は、別会計である。
ここに興味深い事実がある。
「岡井隆全歌集」のⅢとⅣが、Amazonのマーケットプレイスにはあるのに、日本最大級を誇る古書店連合サイト「日本の古本屋」には、1冊も出ていないのである。
古本の在庫、価格、ともに両グループは、優劣つけがたい所まで至っているのではないかと、僕は推測する。
めぼしいものが無い。店内が沙漠に思えてくる。
ようやく、江國香織の小説「スイート リトル ライズ」(幻冬舎文庫)と、谷川俊太郎の詩集「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫)を買う。
チェーン古書店では、開店当時は掘り出し物などがあって賑わうが、やがて売れ筋でないデッドストックやそれに近いものが多くなる(チェーン内で、少しは回すだろうが)。
それにセドラーが現れてから(彼らを非難するのではない)、割安ものが少なく、また値下げもされなくなったようだ。
古本を売る側も、貴重な本は、「BOOK OFF」などには売らなくなったのか、目にする機会が少ない。まれにあっても高価である。
CD、DVDは異様に高価だ。
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