« 2011年10月 | メイン | 2011年12月 »
ごく最近に、4冊の本が手許に集まったので、紹介する。まず詩人のI信夫さんが、
を送られた。ほとんどがソネットの詩である。ソネット詩集「光る波」を出版したばかりの僕に、参考に、という事だろう。
1昨日の11月17日に、結社歌誌、
が送られて来た。また今日の午前の外出で、「KaBoSワッセ店」で、
を買った。またネットの楽天ブックスに注文していた詩集、
が届いた。前回の版で買いたかったが、買いそびれたので、今回の重版を買った。
先日にS社へ電子書籍化依頼した8冊が仕上がって、昨日にサイトよりダウンロードした。
そのあと、ややこしい手続きを経て(初心者なので、簡単にいかない)、フォルダに収め、CDに入れた。
内容は、アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」7冊(岩波文庫)と、カール・サンドバーグ「シカゴ詩集」(?文庫)である。
目当ては「シカゴ詩集」で、本紙の茶ばみが、電子化の白黒指定で、消えるかと思った。しかし茶ばみは、グレー(黒点の集合?)で残り、目論見通りに行かなかった。
これがうまく行けば、同様に茶ばんだ詩歌集、30冊ほどの文庫本を電子書籍化するつもりだった。しかしそれがうまく行かなかったので、それら詩歌集はそのまま読む事になった。
文庫本蔵書データベースの、エクセル互換ソフトへの入力が、2,800件を越えた。
2,500件めの報告が、2011年6月28日だから、これまでと比べれば、スピードアップしたか。スローペースには違いないけれど。
2,800件めの本は、伝記「マタハリ」(M・グリッランディ・著、秋本典子・訳、中公文庫、1989年・4版)であった。
文庫本蔵書は、3,000件を大きく越えそうだ。
「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)より、3番めの歌集、「中国の世紀末」を読みおえる。
原著は、1988年、六法出版社・発行。
1987年の中国旅行に取材した作品群である。
第Ⅲ巻の月報にある、荻原裕幸、石井辰彦との鼎談で、彼は「完成度を意識しなかった」「これは自由に書きました」と述べている。
そういう点はあるかも知れないが、彼独特の視点で、力感のある作品だ。
以下に8首を引く。
中国に在ればか否かゆくりなく涌き出でて日本嫌悪のこころ
かぎりなく来る自転車は伝へ聞き来しに似ながらひたひたと、国
いにしへゆ深し深しと思ひ来ぬすべてが違(ちが)ふ闇のいろさへ
大鋏(おおばさみ)、リムジン・バスの席に飽きなめらかすぎる日本語に飽く
生きて老い苦しむ人の生きざまをただに見てすぐ見てすぐるのみ
年老いし前衛歌人も時としてまなこかがやき言ふことがある
日本がはるけく怖き仕事場に見えてくる朝北京にありき
まどろめばすべての部屋に父が居てすぎゆく時と言葉かはせり
一部、ルビを省いた所がある。
昭和48年、彌生書房・刊。
小説「マルテの手記」他2編、説話「神さまのお話」を収める。
この(3)の読了を報告したのが、2010年6月13日の記事 だから、1年5ヶ月をかけて(4)を読みおえた事になる。応接間ですこしずつ読んできた。
詩人の小説は、面白い作ではない。
「マルテの手記」は、良家の青年が家を飛び出して、都市の生活の孤独に苦しみ、かつての日々を回想する、没落を描いたのみの小説ではない、とリルケは手紙の中でたびたび書いているらしい。「はげしい生活のちからが流れている…」と。
最近のコメント