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2011年11月の28件の記事

2011年11月20日 (日)

サザンカ2種

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 11月3日の記事で紹介した、薄ピンクのサザンカの花のあと、2種のサザンカが庭に咲いている。

 左の写真は、普通種の赤花である。

 雨などで少し傷んでいる。

 右の写真は、白八重の花である。

 剪定あとに何年か咲かなかったが、去年くらいからまた咲くようになった。

2011年11月19日 (土)

4冊の本

 ごく最近に、4冊の本が手許に集まったので、紹介する。まず詩人のI信夫さんが、

  • 中正敏・詩集「いのちの籠・拾遺Ⅱ」(2011年11月、詩人会議出版・刊)

を送られた。ほとんどがソネットの詩である。ソネット詩集「光る波」を出版したばかりの僕に、参考に、という事だろう。

 1昨日の11月17日に、結社歌誌、

  • 「コスモス」2011-12月号

が送られて来た。また今日の午前の外出で、「KaBoSワッセ店」で、

  • 「歌壇」(本阿弥書店)2011-12月号

を買った。またネットの楽天ブックスに注文していた詩集、

  • J.R.ヒメーネス「プラテーロとわたし」(岩波文庫、2011年3刷)

が届いた。前回の版で買いたかったが、買いそびれたので、今回の重版を買った。

2011年11月18日 (金)

「大英博物館 6」

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 写真集「NHK 大英博物館 6 マヤとアステカ・太陽帝国の興亡」を見おえる。

 1991年、日本放送出版協会・発行。

 このシリーズの、最後の1冊である。

 「アステカ・モザイク」と称される、彫刻や頭蓋骨にトルコ石の細片を貼り付けた作品が目立つ。写真の表紙も、その1つである。

 石に刻んだ神像などに、特徴がある。

 のちにヨーロッパ的美とされる、長身足長ではないのである。

 短胴短足で大きな頭、3等身くらいの物がある。当時の現実でそれに近かった訳ではなく、独特な理念があったのだろう。

2011年11月17日 (木)

詩誌「木立ち」第110号

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 県内に在住の詩人・I秀子さんが、同人詩誌「木立ち」第110号を送って下さった。

 巻頭はN悦子さんの「水玉とスコール」である。

 銃、核爆弾、日常などをまじえてえがいて、世界を丸ごと把握しようとするようだ。

 I秀子さんの「夜這い星 Ⅱ」は、シュールな描きながら、彫刻のような言葉の質がある。

 編集発行者であるK明日夫さんの「雑歌 草しずく」は、西行の短歌の引用もしながら、優しい高級な抒情詩である。

 M迪男さんのエッセイ「地震の記憶」は、1948年の福井地震の体験を描いて、読者は東日本大震災へ思いを引かれる。

2011年11月16日 (水)

詩誌「果実」65号

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 県内に在住の詩人K不二夫さんが、同人詩誌「果実」65号を送って下さった。

 果実の会、平成23年11月・発行。

 F則行さんの「トンガ」は、市民菜園に当たった彼が、トンガ(唐鍬)で土を起こしながら、野菜を育てる計画に高揚する心を描いて、軽妙である。

 T篤朗さんの「線路5 -遮断機-」を含む5編が、重厚である。軽い風な作品も読みたい。

 K不二夫さんの「弁当箱の夕焼けの空」は、家を出た父を待ち続ける幼い兄弟妹3人を描いて、哀切である。彼の幼年時代の一大事であろう。

2011年11月15日 (火)

3回め電子書籍化

 先日にS社へ電子書籍化依頼した8冊が仕上がって、昨日にサイトよりダウンロードした。

 そのあと、ややこしい手続きを経て(初心者なので、簡単にいかない)、フォルダに収め、CDに入れた。

 内容は、アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」7冊(岩波文庫)と、カール・サンドバーグ「シカゴ詩集」(?文庫)である。

 目当ては「シカゴ詩集」で、本紙の茶ばみが、電子化の白黒指定で、消えるかと思った。しかし茶ばみは、グレー(黒点の集合?)で残り、目論見通りに行かなかった。

 これがうまく行けば、同様に茶ばんだ詩歌集、30冊ほどの文庫本を電子書籍化するつもりだった。しかしそれがうまく行かなかったので、それら詩歌集はそのまま読む事になった。

2011年11月14日 (月)

2,800件め

 文庫本蔵書データベースの、エクセル互換ソフトへの入力が、2,800件を越えた。

 2,500件めの報告が、2011年6月28日だから、これまでと比べれば、スピードアップしたか。スローペースには違いないけれど。

 2,800件めの本は、伝記「マタハリ」(M・グリッランディ・著、秋本典子・訳、中公文庫、1989年・4版)であった。

 文庫本蔵書は、3,000件を大きく越えそうだ。

2011年11月12日 (土)

岡井隆「中国の世紀末」

 「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)より、3番めの歌集、「中国の世紀末」を読みおえる。

 原著は、1988年、六法出版社・発行。

 1987年の中国旅行に取材した作品群である。

 第Ⅲ巻の月報にある、荻原裕幸、石井辰彦との鼎談で、彼は「完成度を意識しなかった」「これは自由に書きました」と述べている。

 そういう点はあるかも知れないが、彼独特の視点で、力感のある作品だ。

 以下に8首を引く。

中国に在ればか否かゆくりなく涌き出でて日本嫌悪のこころ

かぎりなく来る自転車は伝へ聞き来しに似ながらひたひたと、国

いにしへゆ深し深しと思ひ来ぬすべてが違(ちが)ふ闇のいろさへ

大鋏(おおばさみ)、リムジン・バスの席に飽きなめらかすぎる日本語に飽く

生きて老い苦しむ人の生きざまをただに見てすぐ見てすぐるのみ

年老いし前衛歌人も時としてまなこかがやき言ふことがある

日本がはるけく怖き仕事場に見えてくる朝北京にありき

まどろめばすべての部屋に父が居てすぎゆく時と言葉かはせり

 一部、ルビを省いた所がある。

2011年11月11日 (金)

「リルケ全集(4)」

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 「リルケ全集(4)小説」を読みおえる。

 昭和48年、彌生書房・刊。

 小説「マルテの手記」他2編、説話「神さまのお話」を収める。

 この(3)の読了を報告したのが、2010年6月13日の記事 だから、1年5ヶ月をかけて(4)を読みおえた事になる。応接間ですこしずつ読んできた。

 詩人の小説は、面白い作ではない。

 「マルテの手記」は、良家の青年が家を飛び出して、都市の生活の孤独に苦しみ、かつての日々を回想する、没落を描いたのみの小説ではない、とリルケは手紙の中でたびたび書いているらしい。「はげしい生活のちからが流れている…」と。

2011年11月10日 (木)

「大英博物館 5」

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 写真集「NHK 大英博物館 5 中央アジア・東西文明の十字路」を見おえる。

 日本放送出版協会、1991年・刊。

 楼蘭、ニヤ遺跡、敦煌莫高窟、他の遺跡から発掘等がなされた品物の写真が並ぶ。

 幾ぶんかは、シルクロードの写真集、世界遺産のDVDで知っていたもの。

 それにしても、「富は略奪より始まる」という言葉を思い出す。誰の発言か知らない。

 しかしその報いはあるのであって、大英帝国の没落に至った。(僕の私見である)。

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