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2011年12月の28件の記事

2011年12月31日 (土)

本の買い納め

 昨日、久しぶりに「BOOK OFF 米松店」へ行き、文庫本5冊を買った。

 今年に僕が買う本の、買い納めである。以下に列記する。

  • 井上荒野「森のなかのママ」(集英社文庫)
  • 同「ベーコン」(同)
  • 同「もう切るわ」(光文社文庫)
  • 同「だりや荘」(文春文庫)
  • 梨木香歩「からくり からくさ」(新潮文庫)

 以前から気になっていた作家、井上荒野の作品を、廉価に買えて良かった。

 
 
 今年も多くの方が、このつたないブログを読んでくださった。

 来年もよろしくお願いいたします。

 皆様、佳いお年をお迎えください。

2011年12月30日 (金)

ヒメーネス「プラテーロとわたし」

Cimg5570 今年11月19日の記事で、「楽天ブックス」よりの到着を報じた詩集、J.R.ヒメーネス「プラテーロとわたし」を読みおえる。

 岩波文庫、2011年3刷。

 306ページに138編の散文詩、73ページに306件の訳注、13ページの解説、参考地図2点を収める。

 スペインの首都マドリッドで神経を傷めた詩人が、故郷の田園に戻り、けなげな驢馬プラテーロに語りかけ、共に遊ぶ様が、プラテーロへの追悼を含めて、散文詩化されている。

 詳細な後注は、めんどうでも確かめたほうが、詩の理解に役立つ。

 後半に入って病状が良くなると、初めの療養期より、情が薄くなるようだ。彼は首都に戻り、スペイン内戦の時に脱出し、アメリカ・プエルトリコ・キューバなどで暮らし、祖国に帰らなかった。

 1956年、詩人が晩年の75歳のときに、ノーベル文学賞を受けた。

2011年12月29日 (木)

佐々木悠二「美的生活のすすめ」

Cimg5567 今月20日に、AUさんより借りた詩集6冊(当日、記事あり)のうち、4番めの佐々木悠二「美的生活のすすめ」を読みおえる。

 2004年、書房犀・刊。

 当時89歳の著者が、フェラーリを駆ってブラジルを訪れたり(「ボサノバの聞こえる街」)、また「スノッブな生き方が好きだ」と公言して(「ネービーブレザー」より)、からだ作り、身の回り品を高めるために努めて、美的生活を享受しているようだ。

 それが上品ぶった上滑りにならないのは、事務所を維持するなど、生活がまっとうだからであろう。

 僕からすれば、音楽を聴く、パソコンに向かう、読書をする、創作もする(これは彼も実行しているが)など、つつましい楽しみを得てゆけば良いだろうに、という思いを抱く。

2011年12月28日 (水)

仕事納め

 今日、12月28日が、僕たち(再任用職員、非常勤職員)の、仕事納めだった。

 退く前に、管理職者と仲間に、年末の挨拶をして帰った。

 29日、30日は、技術管理職員らが、ふだんは僕たちがしている、作業業務に就く。

 今日は、年1番の作業量だったろうが、昔の現場に比べればずんと少なかった。

 来年の3日まで、本漬けになりたい。

2011年12月27日 (火)

桂川幾郎「わたし は わたし か ?」

Cimg5563 12月20日に、AUさんに借りた詩集6冊のうち、3番めの、桂川幾郎さんの第3詩集、「わたし は わたし か ?」を読みおえる。

 巻頭の「鏡の部屋」に、

  「ここはどこ?」

  「わたしはだあれ?」


  
「出口はどっち?」

   「隙間はどこ?」

 とあるように、自己喪失が大きなテーマである。

 老化、「ことばが とおくに」と空虚感を示す。

 ひとりの若者へ、父へ、挽歌を送りながら、巻末の「レッド・アイのある夏」では、家族との絆の中に、自己の居場所を見つけている。

 

2011年12月26日 (月)

「歌壇」1月号

Cimg5560 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012-1月号を読みおえる。

 新春巻頭作品では、大口玲子さんの「大風呂敷」16首が沁みる。「Skype」等新しい言葉、仙台を離れた妻をかばいいるらしい夫など切実な事柄を、真面目に詠んでいる。

 新春対談の、「介護を詠む、震災を詠む」を完読する。

 歌人の小島ゆかりさんと、俳人の正木ゆう子さんは親しいらしく、「牧水賞の歌人」シリーズの小島ゆかりさんの本でも、対談していたと記憶する。

 僕は両親の介護をほとんどしなかった(弟であり)し、東日本大震災にも異見があるけれども、プロの二人が語る事は了解できる。

 特集の「短歌特有のことばの魅力」は良くない。「短歌特有の言葉」を、僕も使う事があるけれども、語調や音数合わせのためである。短歌界の発展のためには、むしろ避けたい事である。

2011年12月25日 (日)

「春山行夫詩集」

Cimg5558_2
 先日、家のパソコンに向かっている時、5分ほど待つ必要があって、「日本の古本屋」で「春山行夫詩集」を検索した。

 すると、5250円の1冊が出ていた。ここ1年間くらい欲しくて、でもこれまで12000円とか、14000円の本では買えなくて、もやもやしていた。

 格安の本が出たので、コメントに「汚れや、書き込み等が無ければ買います」と添えて、東京都の「ほん吉」に注文した。

 魔の5分間だった。

 前払いなので、12月15日に本代と送料と振替手数料を郵便局のATMで支払った。(郵便振替は、入金確認まで日数がかかる)。さらに「ゆうメール」で送るという事で、配達をしている昨日(24日・土曜日)に届いた。

 1990年、吟遊社・刊。

 この本は、春山行夫(1902~1994)の、実質的な全詩集である。

 「北園克衛全詩集」、「安西冬衛全詩集」に加えて、戦前よりの3大モダニスト詩人の、全詩集が揃った。

 それらを、いつ読み始められるかは、わからない。

2011年12月24日 (土)

桂川幾郎「妻のいない夜」

Cimg5554 今月20日に(記事あり)、AUさんに借りた詩集6冊のうちの、1冊を読みおえる。

 桂川幾郎(かつらがわ・いくろう)さんの第2詩集、「妻のいない夜」である。

 紫陽社、1988年・刊。

 彼は岐阜県・在住、僕とほぼ同世代である。

 関心の向く所が似ているようで、彼のほうが大人である。

 表題作の「妻のいない夜」には、次のフレーズがある。

要するに

妻のいない夜には

私は

私と向い合うしかないということなんでしょうね

 僕は、自分と向い合う事を避けて、パソコンに向かっているような思いをする。短かった少年期、無慚だった青年期と向い合っても、しようが無い気がして。

 巻末の「短詩篇」のしまいの作、「本音」はショックだった。後半を引く。

君はまだこだわっているのか

 (本音で生きられるような幸福な時代は

 とっくの昔に終ったんだよ)

 僕はそれでも、本音を語り合える、何人かの友人をほしいと思う。

2011年12月23日 (金)

牧野よしえ「白菜漬け」

Cimg5550 福井県に在住の詩人、牧野よしえさんの第1詩集、「白菜漬け」を読みおえる。

 新・北陸現代詩人シリーズ、2011年10月、能登印刷出版部・刊。

 今月20日に(記事あり)、AUさんより借りた詩集6冊のうちの、1冊である。

 彼女は、僕より4歳年上である。

 人生(とくに嫁してより)の哀歓を経て、今は穏やかな心境にあるようだ。

 またカバー裏見返しの経歴を読むと、童話創作も成すようだ。

 以下に、好ましく思ったフレーズを引く。

 「雪桜」より。

満開の雪桜を見た

和紙のようなやわらかい灯りにつつまれ

牡丹桜が浮かびあがっている

細い枝の先々までも

こんもりと咲き誇って

 「お見舞い」より。

顔には一〇〇年間

生きて来た年輪がきざまれている

 ~手鏡がほしいの

と 私の顔をみつめる

長年の美容師としての習性だろうか

女としての業 それとも執着だろうか

 「東風の吹く頃に」より。

いま

父のように 受けとめる術を覚え

母のように やり過ごす知恵もついた

2011年12月22日 (木)

「山川登美子歌集」

Cimg5547 「楽天ブックス」に注文していた、「山川登美子歌集」が届く。

 岩波文庫、今野寿美・編、2011年12月・刊。

 この本は、岩波書店のホームページのうち、岩波文庫のサイトから知った。

 しかしホームページからでもなく、書店に取寄せ依頼するでもなく、「楽天ブックス」(他には「Amazon」の場合もある)で買った。送料無料で、時間と労力の節約が出来、電子決済である。

 山川登美子は、与謝野晶子らと短歌創作を競ったが、結婚のため郷里に戻り、29歳の若さで亡くなった。

 それだけなら、歌集を買うかどうかわからないが、彼女は若狭出身で、僕と同県なので(地方は違うけれど)、関心がある。

 若狭では毎年、彼女の忌祭が催される。

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