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2012年2月の30件の記事

2012年2月29日 (水)

尾崎迷堂「孤輪」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第4巻(昭和56年・刊)より、11番めの句集、尾崎迷堂「孤輪」を読みおえる。

 原著は、昭和16年、泰文堂・刊。

 自序、1000句、水原秋櫻子の「跋」を収める。

 彼は天台宗の僧侶である。

 このあたりの巻には、僧侶、結核患者、男勝りの女流、等の句集が多い。

 なぜ労働者の句集がないか。当時、句作が大衆化していなかったのか、戦時下の句集で戦争吟の無い(あっても僅かな)句集を、後世に拾い上げようとすると、めぼしい本はそれらしか無かったのか。監修者の拘りもあるようだ。

 この句集の著者は、密教・禅の僧であって、月並みな句はない。以下に5句を引く。

元日やたゞ世の常の筧音

文机は経机かな西行忌

夏の雲の移り易きを好みけり

秋風に衰へも無き大樹かな

湯を汲みて濡れし茶杓の冴えにけり

2012年2月28日 (火)

詩誌「野行き」vol.3

Cimg5713 福井市在住の詩人、A幸代さんが、個人詩誌「野行き」vol.3を送って下さった。

 平成24年2月・刊。

 初めより順に、「あじさい」「月夜」「じゃまもの」「釣り」「音」の、5編を載せる。

 穏やかな心境、レトリックは進み、知的好奇心が生きているなど、彼女は秀でた境地にいるようだ。

 亡き父を思い遣る「釣り」にも惹かれるが、今回は以下の「月夜」全編を引用する。なお、作者のご了解は得てある。

  

  月夜

    A幸代


冬の夜

一人で家路を急いでいた

糺の森の中を通るのが

いつもの帰り道


ふと足もとを見ると

葉を落とした木々の枝が

網目状に影を広げている

皓皓とした月夜だ

その中を歩いていた


月と木と自分とがつながる

深い夜に包まれて

2012年2月27日 (月)

藤原定「僕はいる 僕はいない」

 沖積舎「藤原定全詩集」(1992年・刊)より、3番めの詩集、「僕はいる 僕はいない」を読みおえる。今月15日の記事にある「距離」に続いて。

 原著は、1964年、昭森社・刊。

 ようやく戦後詩的な世界におおわれる。方法的にシュールリアリズム、手法的に暗喩の多用、思想的に実存主義的な世界だ。

 たとえば、「夜の中へ」の初連は次のようだ。


夜の中へ

   藤原定


あなたにも私にももう方位感覚が失われたのに

跪かねばならぬ時が来ている

涸れてしまった泉のまわりで

候鳥が古い記憶をまさぐるように

 

 初め2行がシュールな設定(作者の心的状況の暗喩)であり、あと2行が(この場合には「ように」が使われて、直喩のようだが、暗喩の中の比喩は暗喩だと思う)更に暗喩を重ねて描いている。

 このような日本の戦後詩の世界は、ある時期より崩れてしまい、戦無詩とでも呼ぶべき世界へ入ってしまう。(講師的な事は、書きたくないのだが)。

2012年2月26日 (日)

吉田純治「夕光の石」

Cimg5707 吉田純治・歌集「夕光の石」を読みおえる。

 昭和61年、柊発行所・刊。

 箱、本体にパラフィン紙カバー。

 併せて学んでいる書道の作品の写真、熊谷太三郎の「序」、昭和18年~昭和60年の43年の作品より自選した764首、「後記」他を収める。

 彼は福井県・在住の歌人で、「柊」(アララギ系の地方誌)、「アララギ」に所属。

 昭和20年の福井空襲、昭和23年の福井大地震、昭和26年の大病を経て、昭和29年に独立開業、その後も厳しく働きながら、お孫さんを得るなど、穏やかな初老に入るまでの人生が描き尽くされる。

 評を加える事をしないが、作歌が人生の援けになった事は確かだ。

 以下に8首を引く。

今日一日働き終へし幸思ふ汚れしシャツをわが洗ひつつ

空襲のサイレン鳴りて間もあらず百雷のごと落ちくる爆弾

粥すすり生命(いのち)つなげる妻かなし乳のほそりて吾子の痩せたり

わが病癒えてよりややわが性のやさしくなりしを妻もらしけり

秋たけし夜風身にしむみ社に買ふあてもなき植木見て居り

長椅子にもたれて妻がぼつねんと坐り見てゐる病院の庭

十幾年坐る仕事にあけくれて弱まりし腰おとろへし足

視力やや回復せしを喜びて旅する妻の読経欠かさず

2012年2月25日 (土)

森瑤子「夜光虫」

Cimg5705 森瑤子の小説、「夜光虫」を読みおえる。

 集英社文庫、1989年・5刷。

 森瑤子(1940~1993、享年・52、胃癌による)は、37歳で「情事」でデビュー、流行作家となった。

 没年と同年に、集英社より「自選全集」が出て、そのあと全集は出ていない。

 生前の頃に、僕も彼女の小説、エッセイを文庫本で、たくさん読んだ。

 「夜光虫」は、読まないまま放っておいた文庫本を、蔵書データベースに入力するために出してきて、全部を読んでしまった。

 肉感的な比喩など、なつかしい文体だった。

 内容は、私事を膨らませたというより、フィクションと思うほうが良いのだろう。

2012年2月24日 (金)

岡井隆「E/T」

 思潮社「岡井隆全歌集」Ⅳ(2006年・刊)より、彼の第21歌集「E/T」を読みおえる。

 原著は、2001年、書肆山田・刊。

 100余首の書き下ろし歌集である。

 巻末に、横組み多行分かち書きによる数首があるが、余興と思いたい。このあとに、同じ試みがあるかどうか、僕は知らない。

 ネット上で、短歌を横書きで引用する僕でも、定本では縦書き1行であってほしいと願っている。

 多く新妻頌より、5首を引用する。

食卓のむかうは若き妻の川ふしぎな魚の釣り上げらるる

若き妻のいやがることをすこし言ふ草いきれする臓器のことを

あぶら匂ふアトリエは隣にしづまれり妻から筆をうばつて久しい

亡き友の書き残したる文よみて宵から夜へ時(とき)濃かりける

zigzagに妻の斜面を降りてゆくあらくさの根が頬にいたくて

2012年2月23日 (木)

「コスモス」3月号

 歌誌「コスモス」2012年3月号を読む。

 今の所、初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。

 付箋を貼ったのは「月集シリウス」の、兵庫県のF成子さんの1首(24ページ・上段)。

出し惜しみするは心がちひさいと言ふごと鵯(ひよ)が千両を食ふ

 彼女の今号の歌は、上記を含む5首とも、瀟洒である。

2012年2月22日 (水)

パヴェーゼ「流刑」

Cimg5699 先日、岩波書店のホームページのうち、岩波文庫・新刊のコーナーに、パヴェーゼ「流刑」を見つけた。

 簡単でお得な方法の1つ、「楽天ブックス」に注文して、届けてもらった。

 パヴエーゼ(1908~1950)はイタリアの作家で、訳者の河島英昭はイタリア文学の名訳者である。

 パヴエーゼは、ポール・ニザンと共に、1970年前後の、新左翼青年に人気のあった作家、と記憶している。

 最近また評価が高まったのか、岩波書店より「パヴェーゼ文学集成」(全6巻)が出ている。

 岩波文庫で彼の小説「故郷」(2003年・刊)と、「集英社 世界の文学 14 パヴェーゼ」(1976年・刊)が、僕の手許にある。

2012年2月21日 (火)

「宮柊二歌集」

Cimg5695
 「宮柊二歌集」を読みおえる。なお正しくは、「柊」は異体字を用いる。

 岩波文庫、宮英子・高野公彦・編、1992年・初刷。

 僕はこの本を、仕事場の作業の手空きに、少しずつ読んだ。読んでいる時、僕はいつも充実した思いでいたから、失礼にはならないだろう。

 「宮柊二集」も読みおえたけれど、このようなアンソロジーを読む事も、価値があるだろう。

 先師は、修辞の華やかな歌人ではなかったが、現実の真実を見抜いて鋭かった。また稀にある比喩なども、鋭かった。

 「コスモス」の歌人、今ある歌人が、時々戻ってゆくべき1冊だろう。

2012年2月20日 (月)

岡井隆「臓器(オルガン)」

 思潮社「岡井隆全歌集」Ⅳより、第20歌集「臓器(オルガン)」を読みおえる。

 原著は、2000年、砂子屋書房・刊。大部の歌集である。

 臓器移植、キルギス技師拉致事件等を、題材にした作品がある。

 もっとも僕は、新妻頌歌にも惹かれる。

 以下に7首を引く。

ぞくぞくと底湿りする生き方の薔薇園へ来てぬくみゐたりき

後ろ向きの姿ばかりの患者なれその深部にて臓器(オルガン)尖る

取り出されたる心臓を心臓のなき人間がしかと見送る

きづかざる潮位のやうに上がりきて妻にしあればしづかなり 水

電話は驟雨 ひとの厚意が身のうちを滴るときになみだ出でたり

立ち直り咲き始めたる一本の、鬼の微笑といはばいふべし

駅前のスーパーになく駅ビルのコンビニにないときのいらだち

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