角川書店「増補 現代俳句大系」第4巻(昭和56年・刊)より、10番めの句集、及川貞(おいかわ・てい)「野道」を読みおえる。
原著は、昭和16年、甲鳥書林・刊。
水原秋櫻子の序文、313句、後記を収める。
平凡な主婦の日常を句にして、当時は異彩を放った、とされる。
彼女はその後、戦争により自分の子、1男2女をすべて失い、海軍軍人であった夫にも何らかの事はあっただろう。それらすべてを、彼女は句を吟ずる事で、乗り越えたようだ。
以下に5句を引く。
桔梗や湖上に雨は降りいでぬ
室咲と並びて縁にものを縫ふ
盆支度して古町のひそとあり
梅雨ふかし蔓まきそめし朝顔に
三つ星の上に月ある寒さかな
沖積舎「藤原定全詩集」(1992年・刊、限定500部)より、2番めの詩集、「距離」を読みおえる。
原著は、1954年、書肆ユリイカ・刊。
恋愛や性を扱った作品をまじえながら、彼の生が描かれてゆく。
それらが創られたと考えられる時期に、妻との別居・離婚があり、詩集刊行の3ヶ月後に再婚している。
彼は第1詩集「天地の間」の自跋で、「私は一介の市井人にすぎず、甚だしく詩才に恵まれた詩人ではないであらうと思つてゐる。」と述べている。
「距離」の詩も、そのような自覚のもとに書かれているようだ。
ただし、それよりの飛躍を窺わせる作品があり、次の「僕はいる 僕はいない」を含め、以降の詩集を読む事を、僕は楽しみにしている。
思潮社「岡井隆全歌集」(全4巻)の第Ⅳ巻(2006年・刊)より、彼の第19歌集「ヴォツェック/海と陸」を読みおえる。
原著は、1999年、ながらみ書房・刊。
その歌作の時期に、自作短歌の朗読を始め、その影響が詠みぶりにあるとされる。
個人的には大きな事もあったようだが、詠みぶりはのびやかだと感じられる。
以下に8首を引く。
しどろもどろの挨拶はまあしかたないウルウルウラム、うるうるうらむ
アトリエにゆきていひたる事を恥づむかし一心に馬鹿なりしころ
それほどでない才質のかなしさを紅葉のやうに見せて去りゆく
もう二度と俺はここへは来ぬだらうさういふ場所が増ゆれしづかに
そばにきてピアソラの話などしてるわが朗読のどきどき近く
その母とわれは別れむそれと知りて三人子(みたりご)ひしとかたまれる見ゆ
実にもう嫌だと思(も)ふが嫌だとは言はない雨の、言はせない降り
海峡を喫水ふかくすぐる船のかたむくみれば我かとおもへ
休日の、還暦1歳の1日を紹介する。
昨夜は夜更かしをしたので、今朝は8時頃に起床。
そのあとパソコンに向かい、メール、ブログの閲覧などで1時間。
そのあと車で出かけて、K喫茶店にてコーヒー。
帰りにT外科医院へ寄るが、ドアが閉まっていた。腰と首のリハビリを受けるつもりだったが、今日は祭日の休みだった。
帰宅して、同人詩誌「群青」第23号の誌面稿のうち、目次と奥付けのページを仕上げる。詩3編とエッセイ1編の誌面稿は仕上げてあるので、パソコンのワードへ打ち込む作業は終了。同人のこぐま星座さんとAUさんに連絡して、編集会議の場所、日時を決める。
昼食後、読書。
3時過ぎに用意して、車で出掛け、「ヘアーサロンL」にて理髪。
帰宅して、小遣い帳を付ける。
早めの夕食。
休憩のあと、アメブロ「新サスケと短歌と詩」(このブログのリンク集にあり)に、僕のソネット「草」を載せる。
夕方7時半過ぎより、このブログを書いている次第。
このあと、読書と入浴をして就寝。
角川書店「増補 現代俳句大系」第4巻(昭和56年・刊)より、9番目の句集、岡本松浜(おかもと・しょうひん)「白菊」を読みおえる。
彼は1時、「ホトトギス」の会計・編集の一切を任されるが、会計上の不都合を重ね、大阪の生家に戻った。1時は俳誌を発行したが5年で廃刊、以後は金銭上の不義理を重ね、昭和14年、6畳の貸し間で窮死した。
「白菊」は、晩年まで彼を見棄てなかったわずかな弟子のうちの一人、下村槐太が師の3回忌の追善のため、自ら原紙を切り製本した、少部数の謄写版句集である。
その後は忘れられていたらしいが、こうして全集に収められれば、その句は長く残るだろう。文学に関わる者は、作品が優れていれば後世に残る、という事か。
以下に5句を引く。
春の夜や草履に軽き町歩き
豆雛の目鼻ゑがきて世を送る
雲の峰百姓うごくばかりなり
大障子うす日さしつゝ野分かな
肩掛けや妻なる身にて勤め人
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