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2012年7月の28件の記事

2012年7月31日 (火)

「コスモス」8月号

 結社歌誌「コスモス」2012年8月号を読む。

 今までの所、初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。

 本号には、「宮柊二生誕百年記念特集」と、「第9回純黄賞発表」がある。

 「展望」(1ページの批評等)は、S竹志さんの「四季を詠む」である。

 僕が付箋を貼ったのは、「COSMOS集」よりA峰子さんの「気遣ひ無用」5首(153ページ下段)の中の、次の1首である。

階段を登らむとすに「エレベーターそこにあります」気遣ひ無用

 この5首の中に、結句が「気遣ひ無用」の歌が3首ある。

 心の内でそう思っていても、口では「あ、ありがとうございます。結構ですから」などと、遣り過ごしているのだろうか。

2
写真素材集サイト「足成」より、

涼しげな滝の1枚を。

2012年7月30日 (月)

木槿2種

PhotoPhoto_2








 

 先の7月26日の記事「夏の植物」で、赤紫色・花笠咲きの木槿を紹介した。

 それに続き、2種の木槿が庭で咲いている。

 左の写真は、白色の八重(獅子咲き?)の花である。

 右の写真は、赤色一重の花である。

 木槿は梢から咲くので、僕の身長を越える高さに咲く花の、写真は撮りにくかった。

 あとは白色一重の花の品種を残すのみだろう。

2012年7月29日 (日)

エッセイ集「誕生日のアップルパイ」

Cimg6247 日本エッセイスト・クラブ編「’89年版ベスト・エッセイ集 誕生日のアップル・パイ」を読みおえる。

 文春文庫、1992年・刊。

 日本はバブル景気(1986年2月~1991年2月)の真只中で、ジャーナリスト・徳岡孝夫「女子大生亡国論なんて古い古い」では、女子短大の謝恩会でのン百万円の振袖も「それに買い向かう資力がある」と肯定されている。

 また世の風潮の「軽薄短小」という言葉も、2、3回読んだ。これは僕の読書傾向にも引きずって、古井由吉「行隠れ」を読みなずみ、再読しようと出して来た「罪と罰」を開かれず、エッセイ集等を読んでいる。

 中で作家・村上兵衛は「古がり屋」(「新しがり屋」に対する)を自称し、女優・沢村貞子「昭和・六十三年」では、戦前に左翼劇団に走り、検挙・出所から映画界に入っての人生を振り返って、さすがに重い。

 前回(7月22日・記事)の「’87年版 おやじの値段」より、1年分が飛んでいる(蔵書にない)ので、「’88年版 思いがけない涙」(文春文庫)を、Amazonのマーケットプレイスへ注文した所である。

2012年7月28日 (土)

浜本はつえ「斜面に咲く花」

Cimg6238 県内にお住まいの詩人・浜本はつえさんが、彼女の第1詩集「斜面に咲く花」を送って下さった。

 2012年7月、コールサック社・刊。

 彼女は、水脈、詩人会議、福井県詩人懇話会、各所属。

 原発があり、越前水仙の咲く海辺で育ち、老年を迎えようとしている。

 第1章「わたしの越前」。彼女の父は漁の事故で亡くなり、母親は彼女を連れ、弟を実家に残して再婚。その弟が酷い目に遭う様を目撃した「海辺の墓」は哀れである。

 浜昼顔に慰められた海岸線が工事によって荒れてしまった様を描く「浜昼顔」は大きな問題提起である。

 第2章「夜の歌」では、比喩などを用いて、心の内を描く。「泥に棲(す)む魚」では、自分を「泥に潜り 獲物を狙う」海底の魚に喩えている。

 第3章「踊りの時間」では、父母たちを思う作品、優しい視線を夫や孫たちに向ける作品、等がある。

 「浜昼顔」(全4連)の、最終連のみを引く。

   浜昼顔

     (前略)


所在なく悲しかった日など

一人浜に下りたち 海を眺めていると

その花はなびき

寄り添ってくれていたのに

浜昼顔の咲くところがもうない

2012年7月26日 (木)

夏の植物

Cimg6232Cimg6234












Cimg6229
 植物も夏の相である。

 左上の写真は、庭にただ1株のグラジオラスである。世話はしていない。

 右上の写真は、庭で1番早く咲いた木槿の1輪である。赤紫色の、花笠咲きである。

 うまく行けばこれから庭で、何種かの木槿が咲くだろう。

 下の写真の妙なものは、蘇鉄の新葉である。

 蘇鉄は、ずんぐりの胴に小さい2、3枚の葉の付いたものである。蘇鉄には肥料を遣るな、水遣りも少なくせよ、とあってそれを守ってきた。

 しかし1昨年には2枚の長い葉が伸び(写真の右へ出ているもの)、今年も2枚の若葉が伸びてきた。元の整った姿に戻すすべを知らない。

2012年7月25日 (水)

三國玲子「晨の雪」

 短歌新聞社「三國玲子全歌集」より、5番めの歌集、「晨の雪」を読みおえる。

 原著は、1983年、不識書院・刊。500首。

 これらの歌の創られた時期、彼女は生活的には平安だったと思われる。

 しかし周囲の大事な人々の逝いた時期でもあった。

 父、姑、義兄、職場で深くかかわり合ってきた人々。そして短歌の師の鹿児島寿蔵。

 歌人は挽歌を創って、彼我の心を鎮めるものだが、詠いきれなかった、泣ききれなかった部分が、彼女の心にボディブローのように効いてきて、晩年の病気、自死という結末に至ったのだろうか。

 以下に6首を引く。

はつかにも蒲の絮飛ぶ日おもてに老いたるふたり黙して憩ふ

矜りかに孤立しをれとわが額(ぬか)に触れしは誰ぞ雪のあかつき

なりゆきをしかと見据ゑよ慌(あわ)つなといふのみの夫が今の支へぞ

白檀の印を刻みてたまひしは余生を測る父のこころか

吐きし血は黒く凝りぬ何の科(とが)ありてか姑のかくは苦しむ

ちちのみの父の畢(をは)りのひとひらを拾はむと待つ白き燈の下

2012年7月24日 (火)

「群青」会合

 今日の午後1時半、同人詩誌「群青」のメンバー3人が、喫茶店「K」に集まった。

 僕、こぐま星座さん、AUさんである。

 先に発行した詩誌「群青」第24号の反響を話し合った。

 こぐま星座さんとAUさんは、農業もしているので、畑のトマト、とうもろこし、西瓜などを野性動物にに荒らされて困る、という話になった。ハクビシン、烏らであろう、という事だった。

 山里住まいの僕は、古いことだが、近所の柿の木に熊が現れた話をせざるをえない。

 今年は、じゃが芋が豊作だそうだ。

 僕は、庭で蝉の鳴き声が少ないことを伝える。

 詩の話も、たくさんかわした。

 3時過ぎに散会した。

Photo
写真素材サイト「足成」より、ハイビスカスの花を。

2012年7月23日 (月)

黄花ミニ薔薇

Cimg6222 キッチンの窓辺で、黄花のミニ薔薇が、3輪咲いた。

 このブログの7月19日の記事で、5輪咲いたことを報せて以来だ。

 11個の莟のうち、これで8輪が咲いた。

 3個の莟は残っているが、充分に咲くかどうか、わからない。

 なお今回は、枝を組み交すなどして、花の位置を整えてみた。

 写真は、露出を修整してある。

2012年7月22日 (日)

エッセイ集「おやじの値段」

Cimg6228 日本エッセイスト・クラブ・編「’87年版ベスト・エッセイ集 おやじの値段」を読みおえる。

 文春文庫、1990年・刊。

 このブログの6月26日の記事に、「’86年版 母の加護」読了を報告して以来である。

 大学教授の作もあるが、ほぼ詰まらない。地位と名誉を鼻にかける所が、鼻につく。

 これは僕が、大学を卒業していないせいも、あるだろう。

 面白くて、おもわず付箋を貼ったのは、中川志郎(当時、上野動物園・園長)の「コアラの涙」だった。

 動物園という異空間で、閉園時のコアラの様子を描いて、動物の純粋さ・率直さを浮かび上がらせている。

2012年7月21日 (土)

室生犀星「犀星発句集」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第5巻(昭和56年・刊)より、5番めの句集、室生犀星「犀星発句集」を読みおえる。

 原著は、昭和18年、桜井書店・刊。

 530句、季題別。

 犀星(1889~1962)の文学の出発は俳句であった。詩に転じ、小説に進んだが、句と詩を忘れなかった。

 季語にも捻ったものは殆んどなく、素直な句と思われる。巻末の「雑」の部に、銃後の吟17句がある。

 以下に5句を引く。

春の日のくれなんとして豆にえぬ

昼深く春はねむるか紙しばゐ

山やけて天つ日くらしきりぎりす

鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな

ひよどりの痩せ眼に立ちて冬日なる

 没後発行の「室生犀星句集 魚眠洞全句」(1977年、北国出版社・刊)を、僕は持っているが、今は読む時がない。

Phm10_0566
ダウンロード・フォト集より。

本文と無関係。

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