結社歌誌「コスモス」2012年9月号を読む。
今の所、初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。
それにしても、ここまで至る日付が早い。僕の読書が早いのではなく、盂蘭盆会の前に着くようにと配慮してくださった方々のおかげである。
今号には、「第59回コスモス賞発表」がある。
僕が付箋を貼った1首は、「COSMOS集」のM真悟さんの「吾が家の灯り」5首(122ページ下段)より、しんがりの作品である。
洗濯機を2台駆使する新妻が吾を朝から身ぐるみはがす
これまでの彼の作品を読んでくると、年かさになっての新婚のようで、上の1首は「嬉しい悲鳴」(俗か?)である。
本文と無関係。
久しぶりに書店「KaBoS 新二の宮店」へ行った。駐車場も床面積も広いのだが、なぜか行かない。
このブログで見ると、前回は2011年8月11日の記事で「先日に行ったが、何も買わなかった」とあり、更にその前は2011年3月14日の記事があるが、岩波書店のホームページより注文した岩波文庫、1冊を受け取っただけだった。
今はネット書店より送料無料で送って貰えるし、町中やネットの古書店も多い。
歌誌は毎月買う(ネット書店で買えるが、月に一度は町中の本屋へ行きたい)もの。
「すぐわかるDVD&ブルーレイ活用」(2012年4月、アスキーメディアワークス、刊)は、本当はブログ関係の本がほしかったのだが適するものがなかったので、先行投資(?)の意味を含めて買った。
短歌新聞社「三國玲子全歌集」(平成17年・再版)より、遺歌集となった第7歌集「翡翠のひかり」を読みおえる。
原著は、昭和63年、短歌新聞社・刊。283首。
彼女は入院中の病状好転期に、6階より飛び降りて自死した。享年63.
次に引くしまいの作品にあるように、歌誌「求青」の編集責任者の任が重くすぎたのか。しかし彼女は先師の「潮汐」の有力歌人であったろうし、出版社で編集の経験もあったのだが。
以下に6首を引く。
津軽野のみのりのうちにあざあざと疎開少女の悲しみ蘇る
一面の鏡となりてそそり立つビルディングあり兇事のごとく
苦しみてわが編みし書は書架にあり著者の大方はみまかりましぬ
ああ君は傍若無人うらうらとせし声ながらわが胸を刺す
誰も来ぬ誰にも会はぬ安けさも病みて二十日の髪うとましや
編集の無間地獄を念ふとも愚かに病みて刻を逝かしむ
この全歌集には、そのあとに「略年譜」、「初句索引」、「巻末記」を収める。
村上春樹・編・訳の「バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2」を読みおえる。
中公文庫、1999年・刊。
同じ中公文庫の姉妹編の姉にあたる「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」を僕が読了したと、このブログの2007年10月5日付け記事にある。
この本には、5短編小説の翻訳と、各編へのノート、村上春樹のフィッツジェラルドへの思いがこもるエッセイ「スコット・フィッツジェラルドの幻影 ―アッシュビル、1935」を収める。5編には、著者の栄光と悲惨の生活を知らないと評価できない作品があり、1種の私小説、ある範囲の短歌のようだ。フィクショナルな、時には幻想的な作品を書く、村上春樹が彼やカーヴァーになぜ惹かれるのか、僕にはわからない。
ただ僕は、「偉大なるギャッビー」も、所蔵する「フィッツジェラルド作品集」(全3冊、荒地出版社)、角川文庫「夜はやさし」(2冊)と「ラスト・タイクーン」も読んでいないので、不遜かも知れない。
文芸社、2012年5月・刊。帯。
文庫本サイズだが、横書きのせいもあり、223ページに90編を収める。
「文芸社セレクション」の1冊となっており、廉価である。
希望と失望を繰り返す若者の心情を訴えながら、前向きであろうとする。
oasisやSuede等の洋楽の影響を受け詩を書き始める、と著者プロフィールにあるように、歌いかけるような作品が多い。
君の本性なんて知らないけれど
僕は怠惰で君は強情だけど
それでもついてきてくれるなら
素敵な景色へ案内するよ
「花よりも美しく」初連
男女の1組の心情(僕には、まるで老夫婦みたい)が、よく捉えられている。
誰もが失敗し、泣き崩れるものなんだ
だけどそこで流されちゃいけない
「名もなき英雄」の1節
そう、挫折したあと、どう立ち上がるかが大事だ。
彼のブログ「エルモリヤの空に何を」では、更に進化した作品を読む事ができる。
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