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2012年9月の28件の記事

2012年9月30日 (日)

第7回苜蓿忌

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 今日午後2時より、旧・清水町の「きらら館」の1室で、第7回苜蓿忌が催された。亡くなって8年の、福井の詩人、広部英一さんを偲ぶ会である。

 昨年は10月23日に第6回が催され、当日のこのブログに記事がある。

 例年は、「きらら館」に接する公園にある詩碑の前で碑前祭が行われるのだが、今日は台風17号の影響による大雨のため、初めより室内での忌祭となった。

 参加者は、大雨の中、世話役の「清水詩の会」の方々の想定を大きく越え、50余名だった。

 実行委員を代表して、M迪男さんの挨拶(左の写真)、Kひろさんによる広部さんの詩「水の上」の朗読(右の写真。奥でハープによる伴奏をしているのは、広部英一さんの実弟・広部正雄さん(実名を挙げる承諾は受けてある))があった。

 広部さんが編集していた詩誌「木立ち」を継いだ、K明日夫さんの「広部英一を語る」、「木立ち」会員による、献花、献本があった。そのあと、5名が広部さんを語り、教育者的な面、家庭的な面など、貴重な話を聴けた。

 最後に故・詩人の夫人が謝辞を述べ、第7回苜蓿忌を終えた。

2012年9月29日 (土)

ロースト・アーモンド、500グラム

Cimg6454 グルーポンを通して、某社より、ロースト・アーモンド・500グラム(もちろん、ビニール袋、封筒入り)を買った。

 ネットのグルーポンで買物をするのは、初めてである。

 9月4日に注文し、9月28日(昨日)に届いた。アマゾンなどの速い配達に慣れた者は、気をやきもきさせられた。

 注文の話を知人にすると、「味つきでないアーモンドは、おいしくないよ」との話だった。食べてみるとおいしく、次々に食べてしまう。

 僕には若い頃、アーモンド・チョコのアーモンドを大事に食べた、いじましい記憶がある。それを今では、ピーナッツみたいに食べられる。

 僕が豊かになったのではなく、日本がまだ豊かな内に入るからだろう。

2012年9月28日 (金)

エッセイ集「母の写真」

Cimg6451 日本エッセイスト・クラブ編「’94年版ベスト・エッセイ集 母の写真」を読みおえる。

 文春文庫、1997年・刊。全61編。

 9月10日にこのブログで紹介した、「’93年版 中くらいの妻」に続くアンソロジー・エッセイ集である。

 全3章のうち、第2章は「母の写真」と題される。

 全13編のうち、故人を偲ぶエッセイがほとんどを占める。三浦哲郎が師・井伏鱒二を語る「遺訓」、桶谷秀昭の「燃えつきた藤枝静男」、水上勉が太地喜和子を偲ぶ「駒込の勝林寺」、瀬戸内寂聴が武田百合子を語る「百合子さんの事」等々が続く。

 自分の死後を願う、山田風太郎「ねがはくは」等も含む。

 短歌で死者を弔う挽歌は、多く詠まれ、斎藤茂吉の連作「死にたまふ母」など、秀歌が多い。


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2012年9月27日 (木)

春日井建「水の蔵」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」(2010年・刊)より、第5歌集、「水の蔵」を読みおえる。

 原著は、2000年、短歌新聞社・刊。

 作品は早くまとめられた(1984年~1987年頃の作品)ものの編集が中断した。

 1999年、咽頭癌により入院した際、第6歌集「友の書」、第7歌集「白雨」をまとめた折り、「水の蔵」も形としたいとの著者の願いにより、上梓された。

 著者40歳代後半の、ダンディズムと身力が横溢している。

 以下に5首を引く。

超高層の窓ゆ見てゐつ向う側の会議の卓は図面を拡ぐ

ディケンズの原稿の文字よどむなし窓の辺に蔦かづらは垂れて

物書くは返報とおもふわれのため晴夜暗夜を充たしめたまへ

遠ざかりまた巡りくる友誼とも走りきたらむ彗星の核

湯にしづみ夜の白雲見てあればわれに猶予の時あるごとし

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ダウンロード・フォト集より、清流の1枚を。

当地は、今日も暑い。

2012年9月26日 (水)

中村汀女「汀女句集」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第5巻(昭和56年・刊)より、8番めの句集、中村汀女「汀女句集」を読みおえる。

 原著は、昭和19年、甲鳥書林・刊。

 高浜虚子の書簡文序、星野立子の序、1125句、あとがき、を収める。

 彼女の第2句集だが、第1句集「春雪」の作品もすべて収録した。

 転勤族の夫に付いて各地を回り、子供たちを育て、戦時下にありながら、豊かな俳句を創り続け得たのは、生活が苦しくなかった丈ではなく、彼女の聡明さと優しさに由るのだろう。

 以下に5句を引く。

夜の客に手探りに葱引いて来し

秋風にある噴水のたふれぐせ

横浜に住みなれ夜ごと夜霧かな

振りかへり消ゆる土筆もありにけり

   (直前の2句と合わせ、反戦句か?)

寒鮒が売れ新宿の灯の早し

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ダウンロード・フォト集より、紅葉の1枚。

プロの構図である。

2012年9月25日 (火)

「歌壇」10月号②

 昨日に続き、「歌壇」2012年10月号を読んで、気づいた事、感じた事を。

 「短歌と随想⑩」の中の、松坂弘さんの随想「歌と書の繋がり」では、「万葉集」の時代から筆で和歌を書く事だったらしい。今は詠草を筆で書く事はなく、もっぱら万年筆を用いるのだろう。

 しかし僕の「コスモス詠草」は、印刷である。「コスモス」の詠草用紙枠に、ワードのレイアウトを合せて、白紙を作っておき、それをUSBメモリより取りだして詠草を書き、プリンタで印刷している。修整(推敲?)、入れ替え、並べ替えに楽だが、伝統を大事にする人は、嫌がるかも知れない。

 島田修三さんの「古歌そぞろ歩き⑦秋」の初めの方で、「佐藤晴男の『秋刀魚の歌』」とあるが、佐藤春が正しい。何重ものチエックを経たのだろうに、かの作家も忘れられつつあるのか。

 水上比呂美さんの「カジン、ナガイキ」7首には、これまでにない新しい感性がある。

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写真素材集「足成」より、紅葉の1枚を。

本文と無関係。

2012年9月24日 (月)

「歌壇」10月号

 今月18日に、このブログで購入を紹介した、「歌壇」(本阿弥書店)2012年10月号を読みおえる。

 巻頭作品20首では、佐伯裕子さんの「不在/次の世」に好感を持った。中で、

地の霊を払いて建ちし清潔なコンビニエンスの老いゆく速し

の様は見かけるけれど、改装したり、ビルドアンドクラッシュ(これでいいのかな?)を繰り返したり、するんだろうな。また、

篤く病む友に問われて請け負いぬ確かに確かに次の世はある

の「請け負いぬ」は、「請け合いぬ」の方が正しいだろう。

 三井修さんの「歩幅」20首では、「白花」に「びゃっか」と、「新星」に「にいぼし」と、それぞれルビを振っているが、広辞苑にはない訓で(「訓む」という語もないが)、少し苦しいようだ。

 続きは、明日以降に。

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2012年9月23日 (日)

蔵書文庫本データベース、終了

 2007年から続けてきた、蔵書文庫本データベース(エクセル互換ソフト、Open Documentスプレッドシートへの)の入力を、今日午後の3,374件めで、一応の終了とした。

 目につく文庫本が尽きたからである。これから、単行本、全集などもデータベースを作って行く予定なので、本の山の中から文庫本が現れたなら、追加入力する。

 それに関連して、データの並べ替えをしないで置こうと思う。3,374件めが、石坂洋次郎の「青い山脈」(新潮文庫、昭和54年71刷)なのだけれど、彼の本を調べたければ、「著者」のフィルターに「石坂洋次郎」と入力すれば、彼の本23冊がズラッと並んで表示される。

 2008年1月4日の記事で初報告し、今年9月4日の記事で3,300件めを報告して、アッというまの終了だが、僕の見通しに誤りがあったようだ。

 これから、新書、単行本、全集端本、全集の4種類を、エクセルのデータベースに、同時進行で入力して行く予定だ。

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ダウンロード・フォト集より、紅葉の1枚を。

本文と無関係。

2012年9月22日 (土)

谷川俊太郎「空の青さをみつめていると」

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 谷川俊太郎の選詩集「空の青さをみつめていると」を読みおえる。

 角川文庫、平成6年18版。

 この本は、2冊による彼の自選詩集の1冊めであり、2冊めは「朝のかたち」と題される。

 僕は思潮社の「谷川俊太郎詩集」「続 谷川俊太郎詩集」「詩集」を、以前に読んだから、ここに収められている詩は、既に読んでいる筈である。

 しかし印象深い詩をのぞき、僕の記憶に残っていなかった。

 今回、感銘深かった詩は、「鳥羽」と題される連作11編(これで全部らしい)である。「何ひとつ書く事はない」(「鳥羽 1」)、「私にも刹那をおのがものにするだけの才覚はある」(「鳥羽 2」)と正直に(?)書いている。

 さらに「鳥羽 3」では、「飢えながら生きてきた人よ/私を拷問するがいい(1行空き)私はいつも満腹して生きてきて/今もげつぷしている」と書いて、中産階級の詩による代弁者である事を宣言している。

 この事で彼を責めようとは思わない。しかし受け入れやすそうな口調の陰で、悲劇は起きている。

2012年9月20日 (木)

ルナール「博物誌」

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 フランスの作家、ジュール・ルナール(1864~1910)の「博物誌」を読みおえる。

 新潮文庫、1984年38刷。岸田国士・訳。

 この本を僕は、いつだったか若い頃に1度、読んでいる。「にんじん」他の小説、あるいは戯曲を、全く読んでいない。

 この本は訳者「あとがき」でも、「新潮世界文学辞典」でも、「短文」集とされているが、僕は優れた詩集として読んだ。

 動物(野生、家畜を問わず)の生態を、直喩など優れたレトリックで描いた。

 鹿に出会って、その角に銃をかけて運んで貰う場面を空想するなど、楽天的な面がある。一方では、小鳥を銃で撃ち落として、楽しんでいる。無用な殺生をするでない、と思うのは僕の、農耕民的・仏教的・背景からだろうか。

 美しい1編を紹介する


       

     ルナール


二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。

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