仕事納め
昨日が、僕らの職場の仕事納めでした。
現場8人で、320余台の車の、荷物を受け取りました。とても忙しかったですが、僕も知っている昔に比べれば、少ないものです。
今日をもって、今年のこのブログの仕舞いとします。ありがとうございました。
皆様、佳いお年をお迎えください。
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昨日が、僕らの職場の仕事納めでした。
現場8人で、320余台の車の、荷物を受け取りました。とても忙しかったですが、僕も知っている昔に比べれば、少ないものです。
今日をもって、今年のこのブログの仕舞いとします。ありがとうございました。
皆様、佳いお年をお迎えください。
次に挙げる句集より、角川書店「増補 現代俳句大系」の第6巻に入る。
全15冊を購入し、第1巻の句集より紹介してきたが、第15巻の終りに至る事があるのか、至れるとしていつ頃なのか、今の僕にはわからない。努力は重ねるつもりである。
第1番めの句集、前田普羅「春寒浅間山」を読みおえる。
原著は、昭和21年、靖文社・刊。215句。
戦時中の後ろめたい事は除いて、しかも隠したと批判されてはいけないので度の軽い句をわずかに載せ、第2芸術論の吹き荒れる中で句集を出版するのは、著者は心苦しいかも知れないが、読者も心苦しい、と感じてしまうのは、僕の考え過ぎだろうか。
以下に4句を引く。
雉子啼き轍くひこむ裾野径
春の月さしこむ家に宿とりて
吾亦紅くらし指す人もまた
うつり行く蝶々ひくし秋の山
1981年、石川書房・刊。
箱、題簽(本体の)・宮柊二、501首。
1975年(49歳)~1980年(54歳)の作品である。
氏の経歴については、第3歌集「駅家」を紹介した、このブログの2012年11月27日の記事を、参照されたい。
自然、社寺への旅行詠に氏は、平静というより沈潜した心境を見せる。
心の騒がしい僕は、畏怖さえ感じる。
以下に8首を引く。
紀三井寺急階段に息喘ぐわれを笑ひて老婆は立てり
松本の石仏群を見にゆきて三日も経つに子は帰り来ず
冷害を嘆く農夫と白河の関あといでて東へ向ふ
水槽の底に葛粉の固まるを鉄槌もちて人は割りゆく
乾きつつ白く光りて縁側に張子の馬の数頭ならぶ
弟の葬儀を見むとあつまりし少年達にキャラメル配る
七重八重石の仏にからみつき花咲かせをり定家かづらは
渓谷に秋の光の及ぶとき影のごとくに虹鱒泳ぐ
なお漢字の1部を、正字より略字に替えてある。
角川書店「増補 現代俳句大系」第5巻(昭和56年・刊)より、最終13番めの句集、大野林火(おおの・りんか、1904~1982)の第3句集「早桃」(さもも)を読みおえる。
原著は、昭和21年、目黒書店・刊。
第1、第2句集より121句、その後6年間の472句、後記を収める。
戦後すぐに、これまでの句集抄と合わせて句集を出版している事、角川「俳句」編集長時代に「社会性論議」をリードするなど、俳壇の遣り手らしく、僕は好感を持たない。
以下に5句を引く。
煙草喫(す)ふゆとり冬日の落つるまで
母と子に厨しづけし秋茄子
疲れしるく梅雨の電車の蒸れに立つ
焼トタン錆を流しつ梅雨つづく
炭熾(おこ)る匂ひ流れて日の出かな
本文とは無関係。
結社歌誌「コスモス」2013年1月号を読みおえる。
ただし初めより、「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」、第59回O先生賞受賞作「時は返らず」「白蝶貝」、他。
僕が今回、付箋を貼ったのは、32ページ上段、「その一集」特選欄のHのりこさんの5首のうち、次の作品である。
おろしたての長袖シャツにGパンでやや秋めける原宿に来つ
東京の方だが、やや改まった気持ちで、原宿(地理オンチの僕は、生涯、訪れる事はないだろうな)に来た思いを述べている。
同誌はこれからも、読み続ける予定である。
角川書店「増補 現代俳句大系」第5巻(昭和56年・刊)より、12番めの句集、長谷川素逝(はせがわ・そせい)の、最終第6句集「暦日」を読みおえる。
原著は、昭和21年、宝書房・刊。
323句を、24節気の小題に分けて収める。
彼は、第1句集「砲車」の戦争吟で有名であり、この「大系」の第3巻に収められている。僕は、戦争における庶民の残虐さの表れとして、取り上げなかった。
彼は病んで帰還、「暦日」では自分の近い死を覚って、寂光のなかの句境であろうか。
以下に5句を引く。
円光を著て鴛鴦の目をつむり
春めくと障子をしめて机にもどる
木蓮のつぼみのひかり立ちそろふ
飛鳥路の秋はしづかに土塀の日
ぬきんでて八つ手の花の日なたあり
本文とは無関係。
1980年(昭和55年)、伊麻書房・刊。
僕と氏との関わりは、「コスモス」2008-2月号の氏の追悼特集について書いた、このブログの2008年1月26日の記事を読んでいただきたい。
その誌も残っていないが、代表歌、年譜なども載っていたと記憶する。
「コスモス」では「螢」の字を用いる人が多い中、当時でも「蛍」の字を用いる、或は箱の歌集名を横書きにするなど、先進的な考えの歌人だったようだ。
また詩的な表現の短歌も多い。
写真は、箱の表である。染みが多くある。
以下に5首を引く。
つばらかに想ひ出せねど悔恨のわれのくれなゐ柘榴(ざくろ)咲きたり
前肢を揃へて水を舐(な)むる虎、年逝かむここ日本の園に
あはれなる絵島の墓に来て屈みさて立ち上がり四方(よも)の寂けさ
峰移る霧の微粒は顔を打ち押し黙りたり山上の九人
船と岸テープ投げ合ふ喚声の露語を解せず吾は異邦人
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