同人詩誌「群青」の発行母体である「群青の会」のメンバー、僕、こぐま星座さん、AUさんの3名が、今日午後2時より、喫茶店「モントリオール S店」に集まった。
僕とこぐま星座さんよりAUさんに5日遅れのホワイトデー、また僕とAUさんより職場の定年を迎えるこぐま星座さんの祝いに、それぞれささやかなプレゼントを差し上げた。
また2月26日の会合の時、僕とこぐま星座さんがAUさんより借りた、詩集等を返した。僕はまたAUさんより、詩集1冊を借りた。
今日の昼に届いた、詩人懇話会会報・第82号についても話し合った。
またふたりに、「コスモス」4月号の僕の短歌を、読んでもらった。
さて本題の、「群青」第26号の反響の報告である。おおむね好意的だったが、称賛という程の事はなかった。
3人とも、生活に関わる仕事面で、立場が弱くなってきて、その面でも話し合った。
午後3時15分頃、散会した。
本文とは、無関係。
一色真理(いっしき・まこと、1946~)さんの詩集「エス」を読みおえる。
2011年、土曜美術社出版販売・刊。
帯、29編。
先の2月26日に、詩誌「群青」の同人3人が、喫茶店に集まった時(記事あり)、僕がAUさんに借りた詩集2冊のうち、後の1冊である。前の1冊は、3月3日の記事に、「相沢正一郎・詩集」と題して、アップしてある。
彼は父との強い葛藤に由って詩作しているようだ。「あとがき」に、「父についてはこれまで折にふれてさんざん書いてきた。」と書かれるが、僕は彼の著作を初めて読んだので、作品を読むしかない。
シュールリアリズムは、現実の変形(デフォルメ)と、取り合わせの意外性、だと思うけれども、彼の異空間は、ダダイスム(論理性を越えたもの)との、習合かと思う。
幼少年期に苛烈な体験に遭った彼が、表現できるぎりぎりのスタイルなのだろう。
詩「こわれた蝶々」全6連より、あとの3連を引用する。
こわれた蝶々
(前略)
あいた穴から
意味のわからない言葉や
外れたネジや配線が
ばらばらと落ちていきます。
どこかでヒューズが飛んだらしくお日さまも消えて
ぼくの心の中も停電で真の闇です。
角川書店「増補 現代俳句大系」第6巻(昭和56年・刊)より、7番めの句集、橋本多佳子「信濃」を読みおえる。
今年2月16日付けの記事、前田普羅「飛騨紬」に続く紹介であり、少し間が空いた。
「信濃」原著は、昭和27年、臼井書房・刊。序跋文無し、257句。
橋本多佳子(はしもと・たかこ、1899~1963)は、「ホトトギス」→「馬酔木」→「天狼」と歩み、「七曜」指導・のちに主宰した。
この句集ではまだ、情の濃い風の句は多くない。
僕は「橋本多佳子全句集」を所蔵しており、それも機会を作って読みたい。
以下に5句を引く。
雪山に野を界(かぎ)られて西行忌
母と子に夜も木の実の落ちしきる
学ぶ子に暁四時の油蟬
砂をゆく歩々の深さよ天の川
寒牡丹炭ひく音をはばからず
本文とは、無関係。
先の3月10日(日曜日)に、ショッピングモール「パワセンター ワッセ」へ行った時、書店「Super KaBoS ワッセ店」内の古書店「古書センター」で、8冊を買った。
倉橋由美子(1935~2005)の「全作品」揃(1975~1976)である。
新潮社、箱、帯擦れ、月報欠。
彼女は、アンチ左翼、保守主義の小説家だったようだ。
僕は「パルタイ」「スミヤキストQの冒険」他を、文庫本で読んできた。
この作品集は、生前版なので、その後の作品を収めていない。当時に既発表の作品のある程度も、出版権の関わりか、収録されていない。
またウィキペディアで読む限り、没後も全集は出版されていない。
僕はこの「全作品」中の作品を、味わって読んでみたい。
総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)の、2013年3月号を読みおえる。
ただし散文で、読み通していない作が多い。
また「特集 アンソロジー二〇一二 テーマ別 私の一首 八〇〇氏」も1部人事テーマを除いて、読めなかった。
じっくり構えれば読めるかも知れないが、他の本を読めないし、次号の発売日も近づいている。
各歌壇の選者の方がたは、凄いなあ、と僕は思う。
4氏の「巻頭作品 二〇首」では、永田和宏「お母さん似」に惹かれた。以下に1首を引用する。
猫と娘とどちらが長く寝るのだろう見較べをりしがどちらも起きず
「第二十四回歌壇賞受賞第一作三十首」の服部真理子「雲雀、あるいは光の溺死」は、さすがに新しい。以下に1首を引く。
幻ではないのですから石鹸を取り落したらそれが死だから
言葉が既存の意味を失ってゆく、(バーチャル――仮想の意味を付与されている)とでも呼ぶしかない1首だろう。
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