角川書店「増補 現代俳句大系」第7巻(1981年・刊)より、7番めの句集、桂信子「月光抄」を読みおえる。
先の8月27日の記事(←リンクしてある)、石橋秀野「桜濃く」に継ぐ句集である。
原著は、1949年、星雲社・刊。
日野草城・山口誓子・生島遼一の序、402句、八幡城太郎・伊丹三樹彦の跋、著者あとがきを収める。
まるで護衛艦に囲まれる戦艦(?)みたいだ。当時の世相、俳壇、著者(結婚2年で夫を亡くし、就職、空襲、転勤、移住などを経ている)の胸中等、測りがたいので、何とも言えない。
女性性を押し出して行ったようだ。1914年~2004年、享年90.
以下に5句を引く。
霜白く蓬髪の夫たくましき
山を視る山に陽あたり夫あらず
病む母に霜の深きをいひ足しぬ
春燈のもと愕然と孤独なる
やはらかき身を月光の中に容れ
結社誌「コスモス」2013年9月号の、いつもの所を読みおえる。
初めから「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」(「その二集」「あすなろ集」の特選欄)、「新・扇状地」などである。
付箋を貼ったのは、「月集シリウス」のY温代さん(24ページ)の、次の1首である。
一人なら「ひとり家族」といふのかと思ひつつゆく春の雑踏
子があっても大人になって家を出てゆき、老夫婦ふたりという家庭が、僕を含め周囲に多い。あるいは子に恵まれなかった場合もあるだろう。
それで、伴侶のどちらかが亡くなれば、「ひとり家族」になってしまう。淋しい現実である。
新ジャガと呼ぶ時期も過ぎたか。
角川書店「増補 現代俳句大系」第7巻(1981年・刊)より、6番めの句集、石橋秀野「桜濃く」を読みおえる。
先の8月21日に紹介した、佐野まもる「海郷」の記事(←リンクしてある)に継ぐ句集である。
原著は、1949年、創元社・刊。
原著は句文集であり、約260句、随筆113ページ、感想、山本健吉(夫)のあとがき、を収める。
石橋秀野(1909~1947)は、貧と病に苦しみながら、厳しい句を遺した。「桜濃く」には、1938年~1947年の句を収める。
以下に5句を引く。
凧の尾の見えずなりたる空うつろ
桜濃くジンタかするゝ夜空あり
今朝秋や燠かきよせて干魚やく
放吟や高校生に春の泥
利休忌や靄にゆびさす東山
季節に合っているだろうか。
今年6月18日の記事(←リンクしてある。クリックすれば移動する)、「小雨のゆりの里公園」の通り、当日に春江町にあるその公園を訪れた。
帰り際に売店で、百合「カサブランカ」3球セットを買い、帰宅後にビニ鉢に植え付けた。
その「カサブランカ」が、2、3日前より花を咲かせ始めた。
鉢土が柔らかく、支柱を立てにくいので、1本の支柱に3本の茎をまとめて結んである。
数えると11輪だった。莟が少し残っている。
適期に咲いた花に比べて、輪が小さい気がする。
甘い匂いがする。
このブログの8月22日の記事で、「たとへば君 四十年の恋歌」の感想を書いた。
また「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」をAmazonのマーケットプレイスに注文中で、いずれここで紹介する積もりである。
また「塔短歌会のホームページ」(←リンクしてある。クリックすればジャンプする)には現在、「『河野裕子を偲ぶ会』でのスライドショー」がアップされている。
彼女の幼年から晩年にいたる、単独、家族と、歌人との写真(モノクロ、カラー)、多数を観ることができる。
クリックしてよりしばらく待つ必要があり、サイズはやや小さい。
是非、ご覧になってください。
今年7月15日の記事(←リンクしてある)「『ハイドン作品集』17枚め」以来、ここで取り上げるのは久しぶりである。
3つの交響曲を収め、全58分余。
音の強弱や起伏のメリハリが明らかになる。
技法や構成、クラシック音楽の素人の僕が書いて良ければ、芸術性が高まってきている。
今日もパソコンのWindows Media Playerで聴いたのだけれども、パソコンの前に座っているように設計されたのか、3メートルくらい離れると、やや聴きづらい。元のボリューム設定を上げるだけで良いのか。
写真は紙ジャケットの、左が表、右が裏である。
2006年、砂子屋書房・刊。
2001年に砂子屋書房・刊の歌集、「律速」に続く、第2歌集である。
200首、岡井隆の跋「三好みどりさんに -解説にかへて」、後記「歌はこころの癒し」を収める。
彼女は大学薬学部を卒業し、製薬会社の研究員、高校などの化学講師を経ており、その方面をおもに、僕の知らないカタカナ語が多かった。
多くは電子辞書の「カタカナ語辞典」を引けばわかるが、どこかで読んだような「オピウム」がわからない。opiumだろうと見当をつけて、英和辞典で調べると、阿片の事だった。
1ページ2首、数ヶ所にモノクロ写真を挿み、効果を上げている。
以下に日常を詠んだ歌をおもに、7首を引く。
いま家族壊れつつある昼さがりファミレスに聴く淡き幻想曲
あかねさす紫オパールひかりおり大腸ガンの染色組織
淡緑のレタスの繭のなかに抱くくらき想いにひっそり浸る
夏萩のさやぐ音する初夏に呼び覚まされるわれの半音
気遣いていし子にいつか気遣われ山手線に子と別れけり
お客様お好みのものは何ですか口紅のごと売るかぜ薬
雪ふる夜、午前零時のコンビニに夕食購いつつ家族するひと
河野裕子・永田和宏「たとへば君 四十年の恋歌」を読みおえる。
文芸春秋、2011年・2刷。
このブログの8月20日の記事で、購入を報せた3冊の内の、1冊である。
歌人・河野裕子の闘病と死去、家族の看取りは、歌壇以外の社会にも知られて、幾冊かの本になった。
この本は、河野裕子・永田和宏の出会いから、河野の死去まで、二人の相聞歌380首に、河野のエッセイ集からの抜粋、永田の文章を挟んで、感動深い世界が明らかになる。
「蒸留水(永田)」と「井戸水(河野)」と河野裕子が喩えた、純粋な二人が頼り合って、歌を支えに生きて、学問で業績を挙げ(挙げさせ)、二人の子供たちを独立させた生涯は、讃えられるべきである。
河野が癌を病む前の、壮の頃の歌を、1首ずつ引く。
もの言わで笑止の蛍 いきいきとなじりて日照雨(そばえ)のごとし女は
永田和宏
このひとは寿命縮めて書きてゐる私はいやなのだ灰いろの目瞼など
河野裕子
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