角川書店「増補 現代俳句大系」第8巻(1981年・刊)より、11番目の句集、野村泊月「定本 泊月句集」を読みおえる。
同大系では、今月1日の記事(←リンクしてある)で紹介した、中村汀女「都鳥」に継ぐ。
原著は、1951年、桐の葉発行所・刊。
既に3句集を刊行していたが、野村泊月(のむら・はくげつ、1882年~1961年)が虚子門入門以来の49年間の虚子選・約5000句より自選・約1000句を、「桐の葉」(主宰俳誌)15周年と著者の古希を記念して、句集とした。ほとんどすべてが、敗戦前の句である。
虚子提唱の「平明にして余韻ある句」を創り続けて、一貫した。
以下に5区を引く。
春風や何におびえて鹿跳びし
水打つて祭提灯ともしけり
炉語に思ひ立ちたる登山かな
月見るや広き額をかゞやかせ
吹きさわぐ紅葉の下の逆瀬川
県内にお住まいの作家・張籠二三枝さんが、評伝「三好達治詩語(うたがた)り」を送って下さった。
彼女は同人誌、「日本海作家」(2011年終刊)、「青磁」で活躍し、「物語・菅家文草」「片手を腰に」他の小説本を上梓している。
三好達治は1944年~1949年、彼女の住まう三国町に生活し、晩年の詩や、エッセイでは「わが心のふるさと」とまで、懐かしんでいる。
寄寓したのは疎開(その前に妻子と離別し、萩原朔太郎の妹アイと結婚したが、その生活は1年と保たなかった)であり、出立は旧・文学者の活躍を追っての事である。
彼女は、三好達治の詩とその解釈、他の資料を基に、詩人の生(おもに三国町時代)を追う。
戦争詩の非は非としながら、詩人の心理に分け入って描いている。
2014年4月20日、文藝春秋・刊。
本の題通りのモチーフで、6編を収める。
帯のコピー通り、「より深く、より鋭く、予測を超える」。
しかし、女に去られた男たちの物語であって、恋人がいない、あるいはいても結婚できない、成年男女の物語ではない。社会問題の解明を彼に大きく求めるのではないから、それはそれで良い。
また多く、男の側から描かれており、女性心理は比喩的に描かれたりするから、女性には女性の言い分もあるだろう、と僕は思う。
村上春樹が、海外サスペンス小説の翻訳ばかりしているように見えて(いくらファンでも翻訳サスペンスは読まない)、不満だったが、この小説集を読んで、その深化に満足した。
平凡社「世界名詩集大成(1) 古代・中世篇」(1960年・刊)より、ホラーティウス(前65~前8)の詩集「カルミナ」の抄訳、19編を読みおえる。
彼もまた「皇帝の眷顧に浴して」いたが、喧噪の巷から遠ざかり、田園の平和を楽しんだ。(解説より)。
ローマ共和制末期からの詩人で、この詩集には古典の典雅や新世代の先鋭はない。世俗の心情を詩に作っている。
また訳も古風で、今となっては読みづらい。以下に1部を挙げる。
第三巻の二十六
年長(た)けてようやくに、乙女にふさう頃となり戈(ほこ)をまじえて また誉なしとせず
されど今わが剣と 戦(いくさ)に飽きし
わが竪琴と、 この壁に奉(まつ)りていなん
(以下・略)
呉茂一(くれ・しげいち)訳
結社歌誌「コスモス」2014年5月号の、いつもの所を読みおえる。
歌誌の到着は、今月17日の記事にアップした。
初めより「その一集」特選蘭までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。
O・淳子さんによる「新・評論の場25 女たちの中年クライシス」が切実だった。中年クライシスを越えても、老年クライシスが待っている、と悲観的な1言を奉げる。
このあとも同誌を読み続ける積もりである。
僕が付箋を貼ったのは、「月集シリウス」の千葉県、O・潤子さんの次の1首(17ページ上段)である。
天城路は踊子祭り猪汁をふるまひさらに提灯も貸す
ノーベル文学賞作家、故・川端康成も呆れる、商魂である。
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