担当事務所に電話したところ、今週が見頃という話だったので、昨日の午後、坂井市春江町の「ゆりの里公園」へ出掛けた。
昨年は6月24日に出掛けていて、「小雨のゆりの里公園」の記事(←リンクしてある)がある。
今度は好天の暑い時間帯だったので、昔に同僚より頂いた布帽子をかぶって、デジカメ片手に見て歩いた。
上段の写真でも、花壇の全景が収まっていない。
百合の花は、散りかけの品種、咲き盛りの品種があった。
帰り際、缶コーヒーを買い、露店の人形焼きを買い、1服した。短歌は1首も出来なかった。
先日に「SuperKaBoS二宮店」で買った、月野るな「はじめてのアメブロ入門 決定版」(2012年、秀和システム・刊)を読みおえる。
僕はここ何年か、アメブロ「新サスケと短歌と詩」(←リンクしてある)を運営し、詩歌をおもに発表して来た。
いくつかの項目を参考にした。
1つに、「サイドメニューに人気記事ランキングを設置する」があり、僕も手順に従い、設置した。
設置に、知ったかぶりして失敗したが、マニュアル通りにしてみたら、うまく行った。
記事を指定してのアクセスをカウントするので、ページビュー数やアクセス者数をカウントするのではない。
これからもこの本を手許に置いて、ときおり読み、アメブロを改善して行きたい。
先日、結社歌誌「コスモス」2014年6月号の、「その一集」通常欄を、外国より北海道に入り南下して、末まで読みおえた。
その前すでに、初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」などは読みおえていた。
このところ、「コスモス」をしまいまで読みおえていたが、7月号がすでに届いているので、6月号を読むのは、これまでとなる。
僕が付箋を貼ったのは、静岡県、K・常代さんの次の1首(75ページ上段)。
「男前」と自らを言ふ女の孫は草食系の男子を従ふ
こういう関係が現実にあるのだ。なお「女」は「め」と読み、「従ふ」は「従える」の古典文法、旧かなの表記。
昨日の午前に、短歌方面の小さい会があった。
また午後2時より喫茶店「モントリオール S店」に、青山雨子さんの第5詩集「芭蕉」(2014年5月・刊)の出版を祝って、彼女と、詩誌仲間の僕、こぐま星座さんが集まった。
F県詩人懇話会・主催で、大きな合同出版記念会があるだろう。
コーヒー、紅茶とケーキを摂って、詩集「芭蕉」の感想を述べた。彼女の詩が次第に分かりやすくなってきた事、全国の詩人に送ったその感想に、高評価のものが多かったことなど。
次第に話題はくずれて、仕事と詩の関連、3人の今後の詩集発行の事、昔の回想などが語られた。
話題は尽きなかったが、冷房が寒く、時刻も3時半になったので、祝う会を仕舞い、散会した。
県内にお住いの詩人、渡辺本爾さん(詩誌「果実」同人、F県詩人懇話会・代表)が、「渡辺本爾詩集(1)」を送って下さった。
渡辺さんの詩を好まれるある詩人が編集・発行し、続編も発行予定で、渡辺さんもそれらを任せ喜んでいると、挟まれた挨拶文にある。
52ページに35編を収める。作品は、同人詩誌「果実」、詩集「僕の夜汽車」、年刊アンソロジー「詩集ふくい」から、採られている。
特徴として、黒地あるいはモノクロ写真の夜景の上に白字で詩が印刷されている(雪景に黒字で印刷された2編もある)事は、読者の好き嫌いもあるだろうが、当事者が合意した事に口を挟めない。
教員職や他の堅苦しい職を経た彼が、ホッと気をゆるめて、母恋や家族や自己内面を詩に描くさまがしのばれる。
続編を含めて作品集となるらしいので、大いに期待する。
平凡社「世界名詩集大成(1) 古代・中世篇」(1960年・刊)より、1編の詩、「愛の女神宵宮(よみや)の歌」を読みおえる。
6月9日の記事(←リンクしてある)、ユウェナーリス「諷刺詩集」に続く。
「愛の女神宵宮の歌」は、中世の書庫の中より、エラスムスによって見出され広まったが、年代も作者も不明である。
国原吉之助・訳、120余行。
恋をそそのかす詩句のあと、カエサル家を讃える8行が入り、個人的暗さを告白して終わる。古典期の最後の残照と、中世の曙光が見られるとされる。
現にこの詩のあとは、「中世ラテン詩人集」(キリスト教的)であり、更にそのあとは「ギリシア・ローマ」編と別れ「中世」編が始まり、今の僕は読む気持がない。
北欧系の神話・英雄伝説を集めた「エッダ」は、1割ほどの抄訳なので、他の本で読みたい。
この「世界名詩集大成」の端本が、何冊か棚にあるが、今は読み始める予定はない。
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