Amazonより取寄せた、小島ゆかりさんの第12歌集、「泥と青葉」を読みおえる。
2014年3月、青磁社・刊。
僕は「小島ゆかり作品集」と、その後の歌集すべてを(「純白光」を除く)読んで来た筈である。
家族、震災・原発事故、他を詠って、大胆な表現がある。
猫を飼っているせいもあってか、原発事故後に放置された牛、豚、鶏、犬等に低い視線から、語りかけるように詠っている作品もある。
また象牙密猟のためのマルミミゾウ虐殺に憤る、10首連作もある。
以下に6首を引く。
抜け出づる魂をつかみもどすごと手にまるごとの無花果を食む
岩鼻から飛びたるわれを夫は褒め子らは驚き母は嘆きぬ
春昼のここはどこなる 死を知らぬ者はすべてを知らぬ者なり
男にはわかるはずない憤懣をわかる男たまにゐて警戒す
猫としてわがかたはらにゐてくれるあなたはだれか青い夜の雪
あきらめの選択、白鳥にもありて三羽遊べり新緑の池
「渡辺白泉全句集」を読み始め、「初出発表順句集」の昭和9年~昭和13年途中まで、読み進む。
全句集は、2005年、沖積舎・刊。
2011年9月28日付けの購入記事(←リンクしてある)がある。
渡辺白泉(わたなべ・はくせん、1913年~1969年)は、1933年「馬酔木」に投句を始め、1934年、のちの新興俳句誌「句と評論」に投句を始める。
のち新興俳句運動の若きリーダーとして、政治的前衛かつ芸術的前衛という、困難な道を進んだ。
以下に初期より「風」時代の、5句を引く。
蝗賣早稲刈り了へて來しならむ
火蛾どもに街燈滅されてゐる
納涼茶番遠くゐて父と笑うたり
十月の夜釣のえものみな黒し
銃後と言ふ不思議な街を岡で見た
7月14日の記事(←リンクしてある)「ミニ薔薇4輪」に続き、14回めの開花である。
これで今期の莟9つが、すべて咲いた。
心配した樹姿も、鉢よりはみ出してはいるが、そんなに枝垂れず、次期に進めそうである。
これから生長成育期に入り、秋にはまた花を見せてくれるのを待とう。
兵庫県にお住まいのS・陽子さんが、同人詩誌「アリゼ」(隔月刊)の第160号、第161号を送って下さった。(写真は、左が第160号、右が第161号である)。
今年3月22日の記事(←リンクしてある)で紹介した、第159号に継ぐ。
詩の他に、評論、エッセイにも力を入れている。
詩の中に、発想、展開が僕の理解を超えている作品がある。
危機より目指すのは、逃避的富裕か、破滅的開放か?ちょっと大げさか?
第161号、T・和美さんの「行方」より、終連からの3行のみを引く。
ひとりでいてもふたりだったりふたりでいてもひとりだったり
ひとのこころのふしぎ
村上春樹のインタビュー集に対談を添えた、「約束された場所で」を読みおえる。
文春文庫、2001年・刊。
7月6日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「アンダーグラウンド」に継ぐ本である。
「アンダーグラウンド」で被害者に対する時、今回のオウム真理教信者・元信者にインタビューする時、セラピスト・河合隼雄と対談する時、「まえがき」「あとがき」で独白する時、オウム真理教に対する姿勢が、それぞれ違うように見受けられる。
彼は国際的作家であり、慎重になるのもわかり、そして「オウム擁護者」というレッテルを貼られる事なく、事件の1部を白日に曝した。
この2冊を読んだあとも僕は、イメージを大きく変えずに、彼の小説を読んで行くだろう。
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