萩原朔太郎・書簡集(8)
筑摩書房「萩原朔太郎全集」第13巻(1977年・刊、書簡集)より、今年1月10日の記事(←リンクしてある)で紹介した、前回・同(7)に続いて、昭和11年初め(525番)より没前の昭和17年(765番)まで、241通を読みおえる。これでこの書簡集を読みおえた事になる。
解説に拠ると、1974年、人文書院・刊の「萩原朔太郎全書簡集」より、128通増加し、そのうち83通は丸山薫宛てである。
この時期、萩原朔太郎は「四季」や「日本浪漫派」に関わっていた。
しかし昭和12年、丸山薫宛て書簡(619番)では、「南京陥落の詩といふわけです。…とにかくこんな無良心の仕事をしたのは、僕としては生れて始めての事。…慚悔の至りに耐えない。」と釈明している。
また没(昭和17年5月11日)近い、3月7日付け、上田静栄宛て書簡(759番)では、「…全体主義的に統制的にやられたり、…少々惨酷すぎると思ひませんか。個人が国家のために犠牲〔に〕されてはやりきれない。」と、はっきり述べている。
自由を尊んだ詩人の生涯である。
なお引用の中に、旧漢字を新漢字に替えたところがある。
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