« 2015年7月 | メイン | 2015年9月 »

2015年8月の27件の記事

2015年8月29日 (土)

ミニ薔薇2輪

Imgp1054

Imgp1056 

 キッチンの窓辺で咲いたミニ薔薇2輪を、軒下で写真に撮った。

 今月18日の同題の記事(←リンクしてある)以来の開花である。

 左の花は8月25日、右の花は8月28日に、撮っている。共に咲きたけてしまった。

 花は小さく、色も薄れたが、以前の株よりは花びらの数の多いのが良い。

2015年8月27日 (木)

村野四郎「故園の菫」

 筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第5詩集「故園の菫」を読みおえる。

 先の8月21日の記事(←リンクしてある)、同「珊瑚の鞭」に継ぐ。

 原著は、1945年(昭和20年)1月、梧桐書院・刊。

 弟の戦死を悼んだ「海の声」では、「おまえの血が どんなに美しく/鉄の甲板を流れたであろう/おまえの血が どんなに輝きながら/海へ滴りおちたであろう」と戦闘死を美化している。

 「春の尺牘(てがみ)」では、「ああ 大東亜の広袤を/僕たち 若い友情のリボンで結ぶ/そのよろこびで/僕はうっとりしている」と侵略の美化に酔っている。

 また1944年3月の「珊瑚の鞭」に続く詩集発行で、敗戦近く続けて出版できたのは、理研コンツェルンの重役だった立場も役立っただろう。

 原本にあたっていないのだが、これらの時期の詩が旧かなでなく、新かなになっているのも、不審である。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、ブドウの1枚。

2015年8月26日 (水)

角川「短歌」9月号・Kindle版

Photo 昨日の8月25日の朝、パソコンに向かっていて、角川「短歌」の発売日だと気づいた。

 Kindle版9月号を初に買う事に決めていたので、Kindle Cloud Readerにダウンロードしようとしたがうまく収まらず、Kindle for PCに入った。

 Kindle版「短歌」は670円(-Amazonポイント)と、これまで読んでいた「歌壇」よりも安い。

 カラー写真があり、編集手法もあるのか、容量が約95メガバイトと重い。

 タブレットにも同期したので、重さが気になったが、収まってくれた。

 1通りなりと、読みおえたなら、ここで紹介したい。

 僕の経験では、紙の本より読みやすいくらいである。

 

2015年8月25日 (火)

阪下ひろ子「引き出しの中の空」

Cimg8532

 8月22日の記事、「届いた詩集2冊」で紹介した2冊のうち、阪下ひろ子「引き出しの中の空」を読みおえる。

 2015年8月、澪標・刊。

 2章に別れ、「Ⅰ」では生活、原発、原爆などを作品化させている。

 「Ⅱ」は、姑、舅の看取りを描いて、圧巻である。共に無事、見送ったようである。

 大阪文学学校の通信教育部、神戸女子大文学講座、に学んだ。

 ただ、少しのレトリックは、用いない方が良い、と僕は思う。

 生活と仕事をうたうか、レトリックに賭けるか、のいずれかの道を深めてほしい。

 生活、芸術、政治の三叉路の中で、彼女は佇ちつくすようだ。

 僕は、生活を把る。「人の心を最もわからない者が、詩人になる。」などと、揶揄・侮蔑されたくないから。

2015年8月24日 (月)

アクセス数のギャップ

 僕のこのブログの、毎日のアクセス数は、2つの所から確認している。

 1つは、3カウンター(ブログの右サイドバーで公開)であり、もう1つは忍者アクセス解析ツールのアクセス数表示(非公開)である。

 共にページビュー数で比べても、毎日、違っている。普通は、測定間隔時刻の差で説明されるが、そうではない。

 以下にここ1週間の各ページビュー数を並べる。日付・3カウンターのページビュー数(解析ツールのページビュー数)である。

 8月16日・63(76)、17日・61(87)、18日・62(71)、19日・51(68)、20日・74(252)、21日・42(61)、22日・44(50)。

 数え方が違うか、作為があるとしか、思えない。ネット上は、まだ不安定である。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、ブドウの1枚。

2015年8月23日 (日)

「渡辺本爾詩集 2」

Cimg8535 昨日の記事で頂いた事を報せた詩集2冊の内、「渡辺本爾詩集 2」を読みおえる。

 昨年6月14日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「同 1」に継ぐ。

 間が空いたので出版を心配したが、杞憂となって良かった。彼の全詩集となる筈である。

 発行が2015年2月となっているが、僕の友人も最近に受け取ったらしく、何かの経緯があったのだろう。

 今回も黒がちのモノクロ写真に、白い字で書いたページが多い。

 この「渡辺本爾詩集 2」の優れている点の1つは、彼の第1詩集「華苑」の作品を、多く読める事だろう。

 他に詩集「ぼくの夜汽車」、同人詩誌「果実」、年刊アンソロジー「詩集ふくい」より、作品が採られている。

 詩「ひるむな と」には、心臆する時に「ひるむな」と唱える事が、作品化されている。教職の階段を登りつめた彼にしてこうであるかと、僕は親しみを感じる。

 続編があるなら、それを待ちたい。

2015年8月22日 (土)

届いた詩集2冊

Cimg8527

Cimg8532


 1昨日に、県内の詩人・渡辺本爾さん(F県詩人懇話会・代表)より、「渡辺本爾詩集2」が届いた。彼の全詩集の第2巻にあたる。

 また昨日、県内の詩人・阪下ひろ子さんより、詩集「引き出しの中の空」が届いた。澪標・刊。

 いずれも読みおえたなら、ここで紹介したい。

2015年8月21日 (金)

村野四郎「珊瑚の鞭」

 筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第4詩集「珊瑚の鞭」を読みおえる。各詩集は逆編年順に収められているので、僕は全詩集の後方から読んでいる。

 このブログでは、今年7月7日の記事(←リンクしてある)、「抒情飛行 拾遺」以来である。

 詩集は1944年(昭和19年)、湯川弘文社・刊。

 詩「丘の上」では、「じっと見つめてごらん/深い日本晴の空の中を/この古い国の古い丘の上から」と書いて、どの国の空も深いこと、多くの国が古くかつ古いだけで国の優越とはならないことを、故意に見逃している。

 また「前線への手紙」では、「おまえはもはや人ではない/民族の一つの突端/新しい秩序をのために/新しい歴史をひらく/鋭い鉄の刃先だ」と書いて、戦争理念の虚妄と戦争の非人間性を賛美した。

 僕は詩人の戦中の作品を、後世からから取り上げて、批判するだけではない。ある意図があり、それを展開できたら、と思う。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、ブドウの1枚。

2015年8月20日 (木)

隠れハルキスト(1)

 先の8月7日の記事(←リンクしてある)、「村上さんのところ」(5)では、苦情を呈し、翌日の記事「与謝野晶子大全」では「お蔵入り」とまで書きながら、僕は「村上さんのところ」をタブレットで読み続けて来た。

 全体の28%を読みおえている。

 彼は自分のファンに「村上主義者」を名乗ってほしいようだが、僕は彼が「チャラい」という「ハルキスト」だと思う。彼の著作を何度も読み返すほどのファンではない。

 「ハルキスト」は、1字違うと、マルキストになる事も、嫌われる要因か。

 主流派に対する反主流派、教祖も嫌う異端派、「ハルキスト」として、今後も読んでゆこう。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、ザクロの1枚。

2015年8月19日 (水)

詩の絵本「ひらめきと、ときめきと。」

Cimg8524 1昨日の記事、「届いた2冊」の内の1冊、詩の絵本「ひらめきと、ときめきと。」を読みおえる。

 絵本というには詩のウェイトが大きく、詩人・秋亜綺羅さんの15編の詩と、柏木美奈子さんのイラストの合作になる、詩画集(この言葉は「広辞苑」第6版にはないようだ)として読んだ。

 秋亜綺羅さんの詩が、人生に否定的に思える。

 例えば「三人の友だち」では、「それとおんなじで/人間くんには愛する場所がないのです」の連があり、「愛なんて」には、「愛なんて/愛するものと/愛されるものがあれば成立する/そんな程度のことは/機械に任せておこうよ」の連がある。

 また「ひとは嘘をつけない」には、「ひとは嘘をつけない/だって真実なんて/辞書の中にしかないのだから」とも書く。

 しかし「一+一は!」の、「ひらめきと、ときめきさえあれば/生きていけるさ」の連など、芸術家としての生を肯定しているようだ。

ブログランキング

  • 応援のクリックを、よろしくお願いします。
  • ブログ村も、よろしくお願いします。

最近のトラックバック

ブログパーツ

  • ツイートをフォローしてください。
  • 3カウンター
  • アクセス解析

更新ブログ

Powered by Six Apart
Member since 04/2007

日本ブログ村

  • 日本ブログ村のリストです。

人気ブログランキング

  • 応援の投票を、お願いします。

アンケート