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2015年9月の25件の記事

2015年9月30日 (水)

村野四郎「実在の岸辺」

 筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第7詩集「実在の岸辺」を読みおえる。

 今月13日の記事(←リンクしてある)、「予感」に継ぐ。

 原著は、1952年、創元社・刊。

 「わが降誕節」(一)(二)では、自分をキリストになぞらえるようだ。

 また血筋の誇りは強く、「ながれる虹」では、「あらゆる存在の/論理の中を/血統の秩序は流れる」と書いた。「鎮魂歌」では、「忘却は あたたかく/虚無は やさしい」と挿んでいる。

 詩は万民の幸福を目指すのに、彼は資本家となって(1950年には大きな会社を設立し、専務取締役となった)、殆どの民が不幸になるのを眺め、そのギャップから虚無や嘔吐感が来るのだ。

 1951年に「詩学」に載った「新即物主義の展開」(後に「新即物主義の再出発―メモ」として詩論集「今日の詩論」に収録)では、ハイデッガーを盛んに引いて述べている。

 しかしハイデッガーは、ナチの初期より深く関わり、ナチ党員であった。

 また彼自身、実在主義者、実存主義者と呼ばれる事を拒否した。

 僕は3巻の「存在と時間」を読みかけたが、3巻めの時間論が、ベルクソン「創造的進化」を読んだ身には違和感があり、読めなかった経験がある。

 ハイデッガーは戦後詩の論拠にならない。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、柿の1枚。

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2015年9月29日 (火)

江國香織「赤い長靴」

Cimg8564 江國香織の小説、「赤い長靴」を読みおえる。

 文春文庫、2008年1刷。

 彼女の小説の読了は、今月17日の記事(←リンクしてある)、「ぬるい眠り」以来である。

 「赤い長靴」は、14章より成り、多く妻・日和子側から、少なく夫・逍三側から語られる。

 妻(パートで働く)は、夫や夫の両親に「言葉が通じない」と感じている。

 帰宅した夫に語りかけても、「うん」ぐらいの返事で、テレビかパソコンを観る。かつては、ちゃんと答えて、というように言っていたのが、今は反応がないと、くすくす笑うようになっている。

 夫は、経済力と、外圧からの防御で、妻を守れば良い、とは言えないようだ。

 疎通の少ない(それでいて閉鎖的な)夫婦を描いて、彼女には珍しい作品だと、僕は考える。

2015年9月28日 (月)

角川「短歌」10月号・Kindle版

Photo 角川「短歌」10月号・Kindle版を、発売日の9月25日に、Amazonよりパソコンにダウンロードし、タブレットに同期した。

 紙版より安く、1冊670円。

 6月に逝かれた宮英子氏の追悼が組まれた。

 特集の「写生がすべて」は、戦前ロマン派や戦後前衛派の短歌を、1部なりと読んで来た者には、「今更なあ」の思いがある。

 デスクトップ・パソコンで読むには、椅子に座らなければならないが、タブレットでは横臥しても読めて便利である。

 ただし雑誌の扱いに慣れていなくて、本を閉じるのに1操作では済まない現状である。

 誌面の拡大(散文を読む時)の方法は、わかっているつもりだが。

2015年9月27日 (日)

古井由吉「山躁賦」

Cimg8562 古井由吉の小説、「山躁賦」を読みおえる。

 集英社文庫、1987年・初版。

 この本の購入は、このブログの2012年3月4日の記事に載っている。

 彼の小説の読了は、2012年8月13日の記事(←リンクしてある)、「行隠れ」以来である。

 「山躁賦」は、関西方面(四国を含む)の山頂や谷あいの神社仏閣旧跡をめぐる12話より成る。

 もちろん観光記ではなく、「いかめ坊」という僧兵や、裸木の桜に花を見る、といった幻想に満ちている。

 この本の初刊が1982年4月であり、ソ連崩壊・東欧革命どころか、バブル景気の始まり(1986年とされる)以前であり、失われた20年を経た現在とは、社会も人の心情も異なる。

 彼の晦渋な文体は、その時代に、自己の真実を表現するための、方策だったであろう。ムジル、ブロッホなどの翻訳から出発して、題材に日本回帰の相は見えるけれども、没入はしていない。

2015年9月26日 (土)

彼岸花とコスモス

Imgp1083

Imgp1085

 今年も家の近くで、彼岸花とコスモスが咲いた。

 写真は、9月22日、23日に妻と東京へ旅行(観光旅行ではない)する前の、21日に撮ったものである。

 去年は同題で、9月27日の記事(←リンクしてある)にアップしてある。

 近年、路肩に防草シートが張られたり、不耕作田が荒れたり、花が少なくなっている。

 庭の金木犀は今日(9月26日)、わずかに咲き初め、枝を引き寄せると芳香がある。

安住敦「古暦」

Cimg8560 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第10巻(1972年・刊)より、初めの句集、安住敦「古暦」を読みおえる。

 僕はこの大系を、増補版15冊揃いで買ったが、この第10巻のみ増補版ではなかった。写真は、函の表である。

 この大系としては、今年2月20日の記事(←リンクしてある)、小林康治「四季貧窮」に継ぐ。間が空いたのは、「上村占魚全句集」の各句集を紹介したり等のためである。

 原著は、1954年、春燈社・刊。

 久保田万太郎の序句、135句、木下夕爾の跋文を収める。

 前巻の末からこの巻のあたり、社会性俳句の盛んな時期だったようだ。

 安住敦(あずみ・あつし、1907年~1988年)は、俳誌を次々と移ったが、敗戦当時に失職し職を転々とした。「古暦」はすでに第3句集である。

 短歌を学んだ初期もあり、人生を感じさせる、叙情味のある句が多い。

 以下に5句を引く。


雁鳴くやひとつ机に兄いもと

冬ざくらしづかにいまは兵ならず

また職をさがさねばならず鳥ぐもり

春蘭の風をいとひてひらきけり

妻がゐて子がゐて孤独いわし雲

2015年9月25日 (金)

有川浩「阪急電車」

Cimg8554 有川浩(ありかわ・ひろ)の小説、「阪急電車」を読みおえる。

 幻冬舎文庫、2015年43版。

 彼女の小説は、今年7月14日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「レインツリーの国」に続き、2冊めである。

 この本は、ドラッグストア・ゲンキーでキシリトールガムなどを買った帰途、TSUTAYAに寄って買った。税込み575円の所、Tポイント262ポイントを、ようやく使えた。

 小説は、阪急電車・今津線の8駅の折り返し、16話で成っている。

 恋の始まり、離別の決意、裏切った恋人と友人を呪う娘などが、折り返しで少し月日をずらして、後日譚を含めて語られてゆく。

 常に前向きに終わるのは、リアルでないかも知れないが、励まされる読者がいるのだろう。僕は、今の若者の気持ちが、少しわかった気になる。

2015年9月21日 (月)

詩誌「水脈」54号

Cimg8549 「福井詩人会議・水脈」より、詩誌「水脈」54号を頂いた。

 2015年7月31日・刊。

 今年4月23日の記事、同・53号に継ぐ。

 たくさんの詩と、1編の小説、I・信夫さんの2著の出版を祝う会報告(写真4枚・付)、「水脈日誌」、長文の「あとがきに代えて」を含めて、41ページである。

 素直な作品なのだけれど、余裕のない印象がある。

 生活、政治、芸術、それらを共に求めているからだろう。

 同じデザインの表紙に「別冊」と添えた、別冊があって、本冊で脱落のあった詩の補正版、新しい詩、合評記録を載せる。大所帯だから、出来る事であろう。

2015年9月19日 (土)

歌誌「コスモス」10月号

Cimg8546 結社歌誌「コスモス」2015年10月号が、通常通り9月17日に届いた。

 これまで「月集スバル」(あるいは「月集特別作品」)の巻頭だった、宮英子さんの作品がない。哀悼。

 今年は北原白秋(「コスモス」創刊者・宮柊二師の師)の生誕130年という事で、2名による白秋論を収める。

 随筆の「風鳥派」特集の号で、3名3編の随筆が載る。

 僕の歌は、3首選だった。

 内容は、もう1つのブログ、アメブロ「新サスケと短歌と詩」の、9月18日付け記事(←リンクしてある)にアップしたので、関心のある方はどうぞご覧ください。

 

2015年9月18日 (金)

ミニ薔薇と梅もどき

Imgp1078

Imgp1081

 窓辺のミニ薔薇の鉢植えに1輪咲いて、軒下で写真を撮った。

 花としては、撮り時だろう。

 庭で梅もどきが、今年も実を赤熟させている。右の写真は、その1部である。

 初冬、葉の落ち尽した頃に、小鳥(おもに鵯と思われる)の餌となる。

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