小池光「草の庭」
砂子屋書房・現代短歌文庫の「続 小池光歌集」(2010年・再版)より、第4歌集「草の庭」を読みおえる。
原著は、1995年、砂子屋書房・刊。
今月20日の「日々の思い出」の記事で、彼の受賞歴を列記したけれど、僕は彼の作品が、今1つ胸の腑に落ちない。
彼の第1歌集「バルサの翼」の「あとがき」に、以下のようにある。「(前略)つまり僕は歌を<作って>きたのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を作ったのである。(中略)<伝統詩>としての短歌、という発想ほどなじめなかったものはない(後略)」。その立場は、大前提として続いている。
僕は「短歌は自己救済の文学である」という説を実感し、信じて、作歌している。その説の根拠は明らかにされていないが、伝統的定型詩である事もその1つだろうし、宮師の詠まれたように「素直懸命に」詠む事で得られる恩恵だと思う。
この「草の庭」には、1種の終末感のようなものを感じる。ただしそれから、彼の作品がどう進展したか、僕はまだ知らない。
以下に5首を引く。詞書は省略させてもらった。
ただしろく灯台のこる終末をおもひゑがきて屋上くだる
はるかなる野辺の送りに野球帽子とりて礼(ゐや)せり少年われは
巡礼の一人のごとくくちなはは草の庭より消え去りゆきぬ
かへりくるランドセルみればそれぞれに小太鼓の撥二本さしをり
お母さんどこへゆくの、といふこゑが悲鳴にちかく聞こゆる夕(ゆふべ)
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