宮城県・在住の詩人、秋亜綺羅さんが個人詩誌、「ココア共和国」vol.19を送って下さった。
ツイッター上で同号を発行のニュースは流れたが、詩誌「群青」終刊後は送ってもらえないかと思っていたが、思いがけなく同号が届き、ここで紹介するまで日数を経てしまった。
同誌・vol.18は、昨年12月17日付けの記事(←リンクしてある)で紹介した。
招待の中家菜津子さんの詩・短歌「筆箱」、打田峨者んさんの俳句「風の再話――昔むかしのどの昔」は、作品の良さが僕にもわかる。
詩の招待作品が、僕にはわからない。僕が現代日本詩の最前線より遠く長く、離れているせいだろう。
松尾真由美さん「崩れさるもの、巣の渾沌」、橋本シオンさん「デストロイしている」の題名が示しているように、都会の人の心は崩れ、壊れているのだろうか。
秋亜綺羅さんの「凱歌」ほか2編は、2行1連を繰り返しており、定型への志向が読める。彼は否定するけれど、戦後詩の流れを汲むと、僕は思っている。エッセイも有意義である。
先日、県内にお住まいの詩人・川村信治さんより、詩集「幸福の擁護」を頂いた。
直近の詩集として、2015年2月2日の記事(←リンクしてある)で紹介した小詩集、「百年の旅」がある。
2016年4月、能登印刷出版部・刊。
127編を、1編見開き2ページで収める。
ほとんどすべての詩が、1連4行、4連を重ねる16行で1編であり、他はバリエーションである。西洋の詩に範を採っているだろう。
苦難はあっただろうけれど、順調な生を送って、老年に入ろうとする詩人の内外をおもに描いている。
甥を送り、母の看護と看取りがあり、姉を送るなど、身近な死があり、寄り添う夫婦像がある。
豊かな自然に恵まれた生活があり、後期に反原発の政治にも関わって行く。
各編には日付が付され、2002年3月31日より2015年12月に至るが、この詩集の上梓により、彼はこの詩型より脱するとしている。
詩「不完全なるもの」4連より、最後の連を引いて、謝意としたい。
美は不完全の上にあり物語は愚かさを語り
愛は互いの不完全さに触れあう
いとおしいこの生
今月25日の記事で、頂いた事を紹介した、定道明(さだ・みちあき)さんの小説、「杉堂通信(さんどうつうしん)」を読みおえる。
2016年5月1日・付け、編集工房ノア・刊。
この小説は、「杉堂通信」「続杉堂通信」の2部に分かれており、ぼくも2回に分けて紹介するつもりだったが、面白くて一気に(1度に、ではない)読んでしまった。
なお僕が彼をなぜ、「定さん」と呼ぶか、わかった気がする。詩人懇話会の幹事会や催しで会っていた頃、「定さん」と呼びかけていたからである。
帯で「日記体小説」と紹介されているが、そうではなくて(日付は付されているが)、Aさんと呼ぶ久しく会わない女性への書簡体小説である。
小説は、老人の日常のトピックスと思い(回想を含む)を、ぶちまけた内容である。喜寿を越えた主人公が、「私はよく泣きます」と心弱くもなり、「それどころか、むしろまともなのはこっちだ位に考えているのですから」と頑固さを示してもいる。「若くして言葉なんかに縛られるのは愚だ」とも述べている。地の文に「つついっぱい」の方言が出るなど、自由な書きぶりは、死を見据えた胆の据わりであろう。
福井県にお住まいの、詩人・作家・評論家である、定道明さん(さだ・みちあき、定氏、定先生と呼ぶべきところを、さんづけで呼ばせて頂く)が、小説「杉堂通信(さんどうつうしん)」を送って下さった。
今年1月4日の記事(←リンクしてある)で述べたように、定さんが中心の同人文学誌「青磁」を送って下さっても、重厚なものは読む根気がない。
2014年8月20日の記事で書いた、彼の評論集「中野重治近景」も通しては読んでいない。
そんな僕に、貴重な「杉堂通信」を送って下さったのは、自信があり、自身の晩年の思いがあるのだろうか。
書簡体の文体、老年の思いを描く内容は、興趣深いものである。
実はもうこの本の半ばくらい、読んでいる。
福井県短歌人連盟・事務局のK・普定さんが、同・連盟の年刊アンソロジー「福井短歌」第8号(2016年3月20日・発行)を送って下さった。
詩の発表もしている彼に、同人詩誌「群青」(第34号で終刊した)を送っていたので、僕が短歌も発表する事を知っていて、ここ何年か「福井短歌」を送って下さる。
メインのアンソロジー歌集は、116名が各5首(A5判、1ページ2段組み、3名掲載)を寄せている。
この他に、3編のエッセイ、県綜合短歌大会・入賞歌、各短歌会支部活動・報告、等を収める。
県内のアンソロジーとして参加者は、俳句の「福井県」より少なく、詩の「詩集ふくい」より多い。
アンソロジー歌集で、僕が付箋を貼ったのは、次の1首。I・和栄さん(「百日紅」・他・所属)の5首より。
ああえらつは老いの繰り言と気付きたり耳障りらし禁句となさむ
「ああえらっ」は「ああ、えらい」の訛りで、「えらい」は「疲れた」、「とても」等の意の方言である。深刻になりがちな所を、方言と、素直な詠みぶりで、さらりとした歌である。
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