カテゴリ「頂いた本」の7件の記事 Feed

2016年8月31日 (水)

手許の4冊

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 最近、手許に来た4冊を、紹介します。ツイッターで、本は買わない、と書きながら、買ってますね。

 左は、「水脈の会」から送って頂いた詩誌、「水脈」57号。

 右は、ふいと読みたくなった、砂子屋書房・現代短歌文庫「森岡貞香歌集」。ネットで注文して、支払いは郵便振替で。

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 左は、越谷オサム「陽だまりの彼女」(新潮文庫、2015年49刷)。TSUTAYA某店で、Tポイントも使って。

 右は、岩波文庫「宮柊二歌集」。この夏の重版はすでになく、2010年8刷だった。

 初刷は持っているのだが、…。

 

2016年6月12日 (日)

季刊「ココア共和国」vol.19

Cimg8875 宮城県・在住の詩人、秋亜綺羅さんが個人詩誌、「ココア共和国」vol.19を送って下さった。

 ツイッター上で同号を発行のニュースは流れたが、詩誌「群青」終刊後は送ってもらえないかと思っていたが、思いがけなく同号が届き、ここで紹介するまで日数を経てしまった。

 同誌・vol.18は、昨年12月17日付けの記事(←リンクしてある)で紹介した。

 招待の中家菜津子さんの詩・短歌「筆箱」、打田峨者んさんの俳句「風の再話――昔むかしのどの昔」は、作品の良さが僕にもわかる。

 詩の招待作品が、僕にはわからない。僕が現代日本詩の最前線より遠く長く、離れているせいだろう。

 松尾真由美さん「崩れさるもの、巣の渾沌」、橋本シオンさん「デストロイしている」の題名が示しているように、都会の人の心は崩れ、壊れているのだろうか。

 秋亜綺羅さんの「凱歌」ほか2編は、2行1連を繰り返しており、定型への志向が読める。彼は否定するけれど、戦後詩の流れを汲むと、僕は思っている。エッセイも有意義である。

2016年6月 9日 (木)

川村信治「幸福の擁護」

Cimg8871 先日、県内にお住まいの詩人・川村信治さんより、詩集「幸福の擁護」を頂いた。

 直近の詩集として、2015年2月2日の記事(←リンクしてある)で紹介した小詩集、「百年の旅」がある。

 2016年4月、能登印刷出版部・刊。

 127編を、1編見開き2ページで収める。

 ほとんどすべての詩が、1連4行、4連を重ねる16行で1編であり、他はバリエーションである。西洋の詩に範を採っているだろう。

 苦難はあっただろうけれど、順調な生を送って、老年に入ろうとする詩人の内外をおもに描いている。

 甥を送り、母の看護と看取りがあり、姉を送るなど、身近な死があり、寄り添う夫婦像がある。

 豊かな自然に恵まれた生活があり、後期に反原発の政治にも関わって行く。

 各編には日付が付され、2002年3月31日より2015年12月に至るが、この詩集の上梓により、彼はこの詩型より脱するとしている。

 詩「不完全なるもの」4連より、最後の連を引いて、謝意としたい。


美は不完全の上にあり

物語は愚かさを語り

愛は互いの不完全さに触れあう

いとおしいこの生

 

 

2016年5月11日 (水)

詩誌「水脈」56号

Cimg8831 先日、「水脈の会」事務局より、詩誌「水脈」56号を頂き、ほぼ読みおえる。

 2016年3月、水脈の会・刊。

 会員の阪下ひろ子さんが亡くなられ、遺稿「仰臥したまま」が収められた。

 社会的に活躍して来た、S・周一さんが詩「老いに向かう日々」で、病気・金欠・孤独の3苦とは、にわかには信じがたい。詩と向き合っているのは、良い兆しだろう。

 N・としこさんが久しぶりに、詩「スキップする」を寄せている。

 I・信夫さんの中野鈴子・評伝「続続すずこ記」も快調である。

 N・えりさんの小説「母の料理」が最終回を迎えた。

 記録等、活動のバックアップが、行き届いている。

2016年4月28日 (木)

定道明「杉堂通信」

Cimg8809 今月25日の記事で、頂いた事を紹介した、定道明(さだ・みちあき)さんの小説、「杉堂通信(さんどうつうしん)」を読みおえる。

 2016年5月1日・付け、編集工房ノア・刊。

 この小説は、「杉堂通信」「続杉堂通信」の2部に分かれており、ぼくも2回に分けて紹介するつもりだったが、面白くて一気に(1度に、ではない)読んでしまった。

 なお僕が彼をなぜ、「定さん」と呼ぶか、わかった気がする。詩人懇話会の幹事会や催しで会っていた頃、「定さん」と呼びかけていたからである。

 帯で「日記体小説」と紹介されているが、そうではなくて(日付は付されているが)、Aさんと呼ぶ久しく会わない女性への書簡体小説である。

 小説は、老人の日常のトピックスと思い(回想を含む)を、ぶちまけた内容である。喜寿を越えた主人公が、「私はよく泣きます」と心弱くもなり、「それどころか、むしろまともなのはこっちだ位に考えているのですから」と頑固さを示してもいる。「若くして言葉なんかに縛られるのは愚だ」とも述べている。地の文に「つついっぱい」の方言が出るなど、自由な書きぶりは、死を見据えた胆の据わりであろう。

2016年4月25日 (月)

定道明「杉堂通信」

Cimg8809 福井県にお住まいの、詩人・作家・評論家である、定道明さん(さだ・みちあき、定氏、定先生と呼ぶべきところを、さんづけで呼ばせて頂く)が、小説「杉堂通信(さんどうつうしん)」を送って下さった。

 今年1月4日の記事(←リンクしてある)で述べたように、定さんが中心の同人文学誌「青磁」を送って下さっても、重厚なものは読む根気がない。

 2014年8月20日の記事で書いた、彼の評論集「中野重治近景」も通しては読んでいない。

 そんな僕に、貴重な「杉堂通信」を送って下さったのは、自信があり、自身の晩年の思いがあるのだろうか。

 書簡体の文体、老年の思いを描く内容は、興趣深いものである。

 実はもうこの本の半ばくらい、読んでいる。

2016年4月22日 (金)

「福井短歌」第8号

Cimg8807 福井県短歌人連盟・事務局のK・普定さんが、同・連盟の年刊アンソロジー「福井短歌」第8号(2016年3月20日・発行)を送って下さった。

 詩の発表もしている彼に、同人詩誌「群青」(第34号で終刊した)を送っていたので、僕が短歌も発表する事を知っていて、ここ何年か「福井短歌」を送って下さる。

 メインのアンソロジー歌集は、116名が各5首(A5判、1ページ2段組み、3名掲載)を寄せている。

 この他に、3編のエッセイ、県綜合短歌大会・入賞歌、各短歌会支部活動・報告、等を収める。

 県内のアンソロジーとして参加者は、俳句の「福井県」より少なく、詩の「詩集ふくい」より多い。

 アンソロジー歌集で、僕が付箋を貼ったのは、次の1首。I・和栄さん(「百日紅」・他・所属)の5首より。

ああえらつは老いの繰り言と気付きたり耳障りらし禁句となさむ

 「ああえらっ」は「ああ、えらい」の訛りで、「えらい」は「疲れた」、「とても」等の意の方言である。深刻になりがちな所を、方言と、素直な詠みぶりで、さらりとした歌である。

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