地区・夏祭
本を離れて、昨日(8月28日、第4日曜日)に開かれた、町内地区・夏祭を紹介する。
左の写真は、ヤキトリを焼く若い衆。のちにフランクフルト・ソーセジとヤキソバも焼く。
右の写真は、かき氷。僕もこの夏1杯きりの抹茶味を食べた(胃痛を患っていたため)。
左の写真は、ボール掬い。
右の写真は、ボール入れ。バケツにボールを放り、入ればバケツ内の景品が貰える。後方は、観客の宴席の1部。
夏休みも終わり近く、子供たちには、良い思い出作りになったっだろう。
本を離れて、昨日(8月28日、第4日曜日)に開かれた、町内地区・夏祭を紹介する。
左の写真は、ヤキトリを焼く若い衆。のちにフランクフルト・ソーセジとヤキソバも焼く。
右の写真は、かき氷。僕もこの夏1杯きりの抹茶味を食べた(胃痛を患っていたため)。
左の写真は、ボール掬い。
右の写真は、ボール入れ。バケツにボールを放り、入ればバケツ内の景品が貰える。後方は、観客の宴席の1部。
夏休みも終わり近く、子供たちには、良い思い出作りになったっだろう。
年刊句集「福井県」第54集(2016年3月、福井県俳句作家協会・刊)より、4度めの紹介をする。
同(3)は、先の5月7日の記事(←リンクしてある)にアップした。
今回は、前回に続き、121ページ~160ページの40ページ分、80名800句を読んだ事になる。
大衆文芸とされる俳歌について、現代では大衆の知的レベルも上がり、結社の宗匠制でなくとも、同人制でも充分成り立つ。
結社では、各号の採られる作品数、クラス進級を競う、競争制に拠って、進歩が早い場合があるだろう。
僕が付箋を貼ったのは、次の1句。Y・嘉代子さんの「初鏡」10句より。
一重八重百日草に雨宿る
百日草の種は、たいてい八重(千重?)だから、一重が混じるのは、こぼれ種から生えたものだろう。おのずと庭の荒れた一画を思わせる。
今日(第2日曜日)の午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の5月歌会が持たれた。
事前1首出詠10名、当日参加者6名。
支部長と事務方の用意したプリントを基に、支部長の司会で10首の1首につき2名ずつが順番で批評を述べ、支部長の講評と添削例提示で歌会は進んだ。
半分の5首が済んだところで、途中休憩。餡餅やオレンジゼリーを頂いた。
後半も1時間くらいで済み、次回以降の連絡事項を確認したあと、3時過ぎに散会となった。
僕は駐車場の関係で、妻の車で送り迎えしてもらい、皆から羨ましがられた。
年刊句集「福井県」第54集(2016年3月、福井県俳句作家協会・刊)より、3回めの紹介をする。
同・(2)は、今月1日の記事(←リンクしてある)にアップした。
僕は購読のみという事で、句集参加費と年度協会費を足した額の半額で、この分厚い貴重な句集を譲ってもらっている。
もちろん僕の詩と短歌を創る助けにするために読む。どれだけ助けになっているかわからないが、同じ時代、同じ風土を生きる者として、大きな刺激を受けている。
今回は前回に続き、作品集の81ページ~120ページを読んだ。40ページ、80名の800句を読んだ事になる。
僕が付箋を貼ったのは、次の1句。M・甚四郎さんの「雛飾り」10句より。
雛飾り言葉少なに老夫婦
娘が、雛を連れずに嫁いだのだろう。雛を飾って、娘への思いはあるけれども、言葉にしないのだろう。
年刊句集「福井県」第54集(2016年3月、福井県俳句作家協会・刊)の、2回めの紹介をする。
同(1)は、先の4月17日の記事(←リンクしてある)にアップした。
どうしても気になるのは、俳句人口の多さ、アンソロジー参加者の多さである。結社やグループの半封建性、排他性は無いのだろうか。俳句は国際化して、そうしていられない事情だろうか。
また詩型が短いだけに、新鮮さを表わす競争は熾烈で、それが励みにもなっているようだ。
前回に続き、41ページより80ページまで40ページ、80名の800句を読む。
僕が付箋を貼ったのは、次の1句。K・弓子さん(「雪炎」・他・所属)の「秋桜」10句より。
人生は曲がってもよし大根蒔く
人生で曲がった事のある身には、涙ぐましい。「大根」は「だいこ」と読むか。
福井県短歌人連盟・事務局のK・普定さんが、同・連盟の年刊アンソロジー「福井短歌」第8号(2016年3月20日・発行)を送って下さった。
詩の発表もしている彼に、同人詩誌「群青」(第34号で終刊した)を送っていたので、僕が短歌も発表する事を知っていて、ここ何年か「福井短歌」を送って下さる。
メインのアンソロジー歌集は、116名が各5首(A5判、1ページ2段組み、3名掲載)を寄せている。
この他に、3編のエッセイ、県綜合短歌大会・入賞歌、各短歌会支部活動・報告、等を収める。
県内のアンソロジーとして参加者は、俳句の「福井県」より少なく、詩の「詩集ふくい」より多い。
アンソロジー歌集で、僕が付箋を貼ったのは、次の1首。I・和栄さん(「百日紅」・他・所属)の5首より。
ああえらつは老いの繰り言と気付きたり耳障りらし禁句となさむ
「ああえらっ」は「ああ、えらい」の訛りで、「えらい」は「疲れた」、「とても」等の意の方言である。深刻になりがちな所を、方言と、素直な詠みぶりで、さらりとした歌である。
先の3月16日の記事(←リンクしてある)で届いた事を報せた2冊の内、「平成27年版 年刊句集 福井県 第54集」(2016年3月、福井県俳句作家協会・刊)の、作品欄を40ページまで読み進む。
1ページ2段、1人1段10句の掲載だから、80人800句を読んだことになる。
全213ページ、426名、4260句の出句となる。
1時程の数ではないが(手許の乏しいバックナンバーでは、「平成17年 同 第44集」で650名の出句)、県内の短歌、詩の年刊アンソロジーと比べて、格段に参加者が多い。
僕が付箋を貼ったのは、巻頭、Y・透思朗さん(福井県俳句作家協会・顧問)の「九回裏」より、無季らしい次の1句。
怖いもの無しの老化や共白髪
まさに豪壮な老いぶりである。
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