支部3月歌会
今日(第2日曜日)の午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の3月歌会が持たれた。
事前1首出詠10名、当日参加者6名。支部会員の年齢が上がって、体調の万全でない方があるようだ。
途中休憩では、お菓子を頂きながら、四方山話に盛り上がった。
批評の1巡後、順番にプリントに載せる「私の一首」(自分の1首と、思いを述べる)の感想、支部会員の歌集上梓を祝う会を兼ねる4月歌会の予定周知などがあり、3時半過ぎに散会した。
今日(第2日曜日)の午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の3月歌会が持たれた。
事前1首出詠10名、当日参加者6名。支部会員の年齢が上がって、体調の万全でない方があるようだ。
途中休憩では、お菓子を頂きながら、四方山話に盛り上がった。
批評の1巡後、順番にプリントに載せる「私の一首」(自分の1首と、思いを述べる)の感想、支部会員の歌集上梓を祝う会を兼ねる4月歌会の予定周知などがあり、3時半過ぎに散会した。
今日(2月21日、第3日曜日)午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の2月歌会が持たれた。
僕は都合により1月歌会を欠席したので、2ヶ月ぶりの参加だった。
事前1首出詠10名。当日参加者8名。
事務方が用意したプリントを基に、U支部長の司会で1首を2名が順に批評し、支部長の講評と添削例提示で、会は進んだ。
僕の1首は、結句を直されたのみ。判断してほしかった箇所は、原作通りだった。
途中休憩では、各人のエピソードなどが飛び出した。
3時半頃に閉会し、部屋を原状復帰して、散会した。
昨日(12月13日、日曜日)の午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の、12月歌会が持たれた。
事前1首出詠10名、当日参加者6名。体調が優れなくて欠席、という会員が多かったようだ。
事務方が用意したプリントを基に、U支部長の司会で、1首につき2名が批評、支部長の講評と添削例提示で会は進んだ。
僕の歌は、添削例の第2案に僕の意が汲まれて、その形で新聞発表となった。
途中休憩はお菓子や飲み物、雑談で楽しんだ。
参加者の少ない分、支部長や参加者が多く発言した。
また会員のK・俊子さんが支部会員全員に、立派な第1歌集「花あかり」を下さった。読み終えたなら、ここで紹介したい。
午後3時半過ぎに散会し、それぞれの方法で帰途に就いた。
昨日(11月15日、日曜日)の午後1時半より、Aossaビルの「ウェルアオッサ」にて、「2015ふくい詩祭」(主催・福井県詩人懇話会)が催され、40名近い詩人が参加した。
富山県、石川県からの、数名ずつの方を含む。
半田信和さんの司会のもと、福井県詩人懇話会代表・渡辺本爾さんの開会挨拶、3名の詩人の自作朗読、2人によるギターの連弾(6曲か)があった。
研究発表として、前・福井大学教授の越野格さんによる「山川登美子の出発期」がなされた。「明星」第2号に初めて載った山川登美子の短歌が、鉄幹による「文庫」からの転載ではなく、登美子が2、3の歌誌に同じ短歌を投稿していた故と考えられると、発表した。他にも幾つかの知見が示された。
シンポジウム「詩にうたわれた北陸の風土と生活」では、パネリストの野海青児さん(富山県)、砂川公子さん(石川県)、金田久璋さん(福井県)が、千葉晃弘さん(福井県詩人懇話会)のコーディネイトのもと、北陸の風土と歴史に根差しつつ、世界へ向けて詩が書かれねばならない事が語り合われた。
福井県詩人懇話会・副代表の佐野周一さんの挨拶で閉会した。そのあとの懇親会(パーティ)には、僕は参加しなかった。
なお写真は、シンポジウム時のもので、早退した2、3名、受付に残った1名、報道関係者2名、そして撮影の僕が撮られていない。
昨日(土曜日)の午前、福井市のイベント、「第14回大和田元気祭り」を楽しんだ。
妻に車で送り迎えしてもらい、10時・着、12時・発。
全国各地5ラーメン店、焼きそば、焼肉、焼鳥、菓子類などのたくさんの食べ物店、幾つかの小間物店、JA、トヨタ、自衛隊広報部のブースなど、たくさん。
仮設ステージで、日本テレビ・藤井貴彦アナウンサーを迎え、FBCテレビの7人かのアナウンサーとトークショーがあり(10時半~11時25分)、生放送もあったようだ。僕を含め、観衆の人出が多く、藤井アナウンサーも驚いていた。
僕はパック入りの焼きそばと何か(思い出せない)とコロッケを食べ(昼食を兼ね)、ボトル茶1本半を飲んだ。
この祭りは12日まであり、このあと人出が多くなるだろう。
今年5月8日の記事(←リンクしてある)で、年刊句集「福井県」第53集(平成26年版)の読了を報告した。
それに続いて、同・第44集(平成17年版)の、俳句欄325ページの内、62ページまでを読みおえた。
ページ数が少ないのは、最新版ではないので、読む勢いがもう1つだからでもある。2011・3・11以前の俳歌には、のどかな所もあった。
1ページ2段2人、各10句掲載である。第53集の413名で大集団だと思っのに、第44集には650名の参加があったのだ。参加者が1番多かったのは、何年ころか知らない。
俳歌は素人でも、生涯に1つ2つの名作は残せます、という言い伝えの蜜に惹かたりして、生涯を吟詠する事になるのだ。
付箋を貼ったのは、N・千代江さんの「歳晩や拍子木打てば星揃ふ」の句である。「星揃ふ」が美しい。「~揃ふ」の句が以前にあったかなかったか、ともかく独創である。
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