詩誌「水脈」55号
2015年11月・刊。
同誌・54号は、昨年9月21日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
大所帯のグループの強さを思う。1部の会員が去っても、ある会員が病気で休んでも、グループの活動は続いて行く。
扉詩に次ぐ巻頭の、H・はつえさんの「ひつじ雲」の冒頭、「秋空の高い雲の間に/ひつじを数匹ばかり放してきた/そうすると数日中に一匹残らずいなくなる/生贄になるひつじ達/大空では信じがたい惨事が起きている//…」と始まる。
それに次ぐ、N・千代子さんの「ヒトは表現する生き物」では第3連、「体験と感受性だけでは/詩は書けないようだ/…/踏みとどまって技を鍛えることも必要か/…」とある。
同誌の作品が、レトリカルに、フィクショナルになっているようだ。僕の思い違いか。詩壇の流れか。誰かの発案か。
まやかしの言葉のはびこる現在こそ、リアリズムの言葉で抵抗すべきではないのか。いずれ、小詩人(短歌も書いている)の僕の呟きである。
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