富安風生「村住」
角川書店「増補 現代俳句大系」第6巻(昭和56年・刊)より、9番めの句集、富安風生「村住」を読みおえる。
原著は、昭和22年、七曜出版社・刊。260句。
今年3月28日の記事(←リンクあり)、高野素十「初烏」に続く紹介である。
富安風生(1885~1979)は、秋桜子、山本健吉と共に、この「大系」の監修者である。
昭和15年結成の日本俳句作家協会は、会長・虚子、常任理事に小野蕪子・富安風生・中塚一碧楼、理事に水原秋桜子・他5名であった。
また昭和17年には発展的解消をして、日本文学報国会・俳句部会となった。部長・虚子、部長代理・秋桜子、幹事長・風生、以下であった。
また山本健吉は戦前に、人間探求派を唱導した。(いずれも、同「大系」解説に拠る)。
また三省堂「現代俳句大事典」(2005年・刊)の、「戦争責任論争」の項に拠れば、上記役員らの戦争責任が追及されたが、「倫理的問題の追及、深化が見られないまま終息した。」とある。
この「大系」の句集選択に僕が違和感を感じるのは、それらの傾向に拠るのだろう。未読句集は多いけれども。
この句集にも、時代と照らし合わせると、戦争吟とわかる句がある。36年経っても、人は忘れていなかっただろう。
以下に5句を引く。
くつろげる膝をくずさず老涼し
枯菊を剪るうす埃あがりけり
子供鍬老に適ひて草削る
春潮を見る頬杖を岩につき
泣き初めは四人の姪のどの子にて
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