個人誌と評論集
浄土真宗の僧侶、釈誓道さんより、個人誌「本願海」No.11を頂いた。
彼は迷いや卑下のない、信仰を得て、救われている。
しかし詩編4編の内の「コンドーム・サバエに住む妄想的僧侶の使い捨ての唄」に、「その人は/同じ使い捨てでも、/ありがとう、ありがとうと使われて、/ありがとうと捨てられる/そういう生き方が/好ましい、と説いた。」とあるように、権力・資本の庶民操作に宗教が仲立ちした、という疑いが僕からなくならない。
56ページにわたる「断簡集(二十一)」は彼の信仰告白なので、ここでは立ち入らない。
また詩人・作家・評論家の定道明さんより、評論集「中野重治近景」を頂いた。彼は、ウィキペディアの「中野重治」項に、伝記研究として3冊の著書が載る人である。(僕が定さんと呼ぶのは、彼から数冊の詩集を頂いているからである)。
その「あとがき」で彼は、60年安保の挫折後、中野重治の文章に救われる思いがしたように(これは僕の言い直しである)書いている。僕は中野重治の詩と小説を少し読んだが、そういう思いをしていないので、地元の作家ながら、全集を読もうなどと思わない。頼りない交際である。
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