Google Play Booksよりタブレットに無料ダウンロードしておいた、石川啄木「一握の砂」を読みおえる。
僕の短歌の始めというより、僕の文学の始めといって良く、「悲しき玩具」と共に、繰り返し読んで来た。
繰り返し読んでいると、「立原道造詩集」と同じく、評論等にあまり取り上げられない作品でも、意義ある作品ばかりである。
この版の表記に、9首め「しっとりと/なみだを吸へる…」などとあって、驚く。旧かなでは「しつとりと」である。底本は「日本文学全集」12「国木田独歩 石川啄木集」集英社、となっており、その本を見ると確かにそうなっている。
さらにこの歌集は、その全集本を基として、インターネット図書館「青空文庫」で作られたファイルを基としており、そこでも「しっとりと」等となっている。。
この流布は困った事だ。手許の新潮文庫・石川啄木「一握の砂・悲しき玩具」では「しつとりと」となっている。作品全体に促音・拗音の小文字はない。
何か表記のルールがあるのだろうか。
今から啄木を読むなら、先の新潮文庫をお奨めしたい。今でも流通しているかどうかは、知らないけれども。
パソコンの壁紙を、暖炉のある部屋の写真から、蝋梅の花の写真に替えた。
写真のサイズが合わないので、パソコンの画面(9×16)に合うよう、Windows Live フォトギャラリーでトリミングした。
蝋梅がいつ頃咲くか、正確には知らないが、北陸に住む者の春を待つ心である。
この記事は、タブレットより投稿する。
2日続けての、ネット買物の記事になるが、2月3日にAmazonへPCメガネを注文し、今日2月5日に届いた(使用中)。
ソレイユという店の、1300円(元値4500円)の品で、Amazonの130ポイントが付く。
カスタマーレビューは良くなかったが、1000円台で最良かと思った。
この前は、昨年4月24日に、PENGIN PCの1580円の品(ケース、クロス、ドライバー、付き)を買っている。翌日25日の記事(←リンクしてある)にアップした。
1年弱での更新である。ブルーライト・カット成分はコーティングだろうから、拭いて(良くはないが、僕はティッシュペーパーで)いる内、コーティングが落ちるのだろう、色が変わり見えにくくなる。
付属品は要らないから、値段相応のものという事で、この品になった。巾がやや狭い。
Amazonへ2月2日(火曜日)に、「ヴィヴァルディ作品集」(正確には「Vivaldi Edition」)を注文し、翌日に届いた。
66CD(解説CDなし)、7,824円。
ヴィヴァルディ(1678年~1741年)は、イタリア、バロック期の作曲家で、バッハに影響を与えた(「広辞苑」第6版に拠る)。
ヴィヴァルディの曲は、パソコンより海外ネットラジオのヴィヴァルディ専門局で、よく聴いていて好感を持った。
BRILLIANT CLASSICSレーベルでは、「バッハ全集」「ショパン作品集」「ハイドン作品集」を買って来た。直近の「ハイドン作品集」の購入は、2013年4月29日付けの記事(←リンクしてある)にアップした。
このレーベルの作品集は、演奏、音質とも、パソコンで聴くなら良いが、セパレート・ステレオ・セットでは聴きにくい。音の解像度といったものが上がるからだろうか。
作品集を聴いて、お気に入りの曲があれば、買い直せばよい。
写真(紙セット箱の正面)は、かなりトリミングしてある。
角川書店「現代俳句大系」第10巻(1972年・刊)より、10番めの句集、佐藤鬼房「夜の崖」を読みおえる。
先の1月25日の記事(←リンクしてある)、鈴木真砂女「生簀籠」に継ぐ。
原著は、1955年、酩酊社・刊。第1句集「名もなき日夜」(1951年・刊)からの再録「名もなき日夜」65句と、「夜の崖」の279句を収める。
西東三鬼の序、鈴木六林男の跋、著者略伝を付す。
佐藤鬼房(さとう・おにふさ、1919年~2002年)は、岩手県に生まれ、1925年に父を亡くし、小卒で職に就く。7年の兵役に就く。俳誌を移ってゆき、「天狼」同人、「小熊座」創刊・主宰。
新興俳句から出発し、社会性俳句の代表作家とされたが、作風は変容・深化し続けたとされる(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊、等に拠る)。
以下に5句を引く。
吾のみの弔旗を胸に畑を打つ
罪なきパンかがまり嚙る吾子と吾
沖にたつ冬虹棒の足の午後
岸壁に真昼の焚火髯かゆし
髪薄き友の肩幅木を挽けり
結社歌誌「コスモス」2016年2月号の、「COSMOS集」を読みおえる。
前に、同号「その一集」特選欄・読了は、先月27日の記事(←リンクしてある)にアップした。
「COSMOS集」は、入会からの「その二集」と、それに継ぐ「あすなろ集」の、特選欄である。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。トップのI・草歩さん*(新かな遣いのマーク)の「木洩れ日」5首より。
「アンドロイドですか」と問われフリーズすスマホを持たぬ生身の身体
アンドロイドとは、以前は「SFに登場する、人間そっくりのロボット」(広辞苑第6版)を意味した。それがグーグルが開発した、小型IT器用等のOS等に「アンドロイド」の名前を付けたから、それに関わり薄い人は戸惑う。
青土社「トラークル全集」(1987年・刊)より、第Ⅲ章を読みおえる。扉ページには、「Ⅲ 一九一四年から一九一五年に「ブレンナー」誌に発表された詩」と書かれてある。
前章の詩集「夢のなかのセバスチャン」については、先月14日の記事(←リンクしてある)にアップした。
第Ⅲ章は、14編の詩より成る。詩人の純粋な魂は、第1次世界大戦従軍(薬剤師見習いとして)の悲惨に耐えず、拳銃自殺未遂を起こし、送られた野戦病院でコカインの過剰摂取により自殺した(1914年)とされる。
現実に対応しない表現主義の詩人は、現実に対応しきれなかったか。
詩人の没落≒家族の没落(家業は傾き、妹も3年後・自殺)≒国家の没落(オーストリア・ハンガリー帝国は、4年後に解体)≒旧世界の没落、と捉えてよいだろう。
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