吉田純治「夕光の石」
昭和61年、柊発行所・刊。
箱、本体にパラフィン紙カバー。
併せて学んでいる書道の作品の写真、熊谷太三郎の「序」、昭和18年~昭和60年の43年の作品より自選した764首、「後記」他を収める。
彼は福井県・在住の歌人で、「柊」(アララギ系の地方誌)、「アララギ」に所属。
昭和20年の福井空襲、昭和23年の福井大地震、昭和26年の大病を経て、昭和29年に独立開業、その後も厳しく働きながら、お孫さんを得るなど、穏やかな初老に入るまでの人生が描き尽くされる。
評を加える事をしないが、作歌が人生の援けになった事は確かだ。
以下に8首を引く。
今日一日働き終へし幸思ふ汚れしシャツをわが洗ひつつ
空襲のサイレン鳴りて間もあらず百雷のごと落ちくる爆弾
粥すすり生命(いのち)つなげる妻かなし乳のほそりて吾子の痩せたり
わが病癒えてよりややわが性のやさしくなりしを妻もらしけり
秋たけし夜風身にしむみ社に買ふあてもなき植木見て居り
長椅子にもたれて妻がぼつねんと坐り見てゐる病院の庭
十幾年坐る仕事にあけくれて弱まりし腰おとろへし足
視力やや回復せしを喜びて旅する妻の読経欠かさず
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