今日(4月10日、第2日曜日)午前11時半より、料理屋「八兆」にて、支部会員・笠松俊子さんの歌集「花あかり」出版を祝う会が(出版よりやや月日を経たが)、会員9人が集まって持たれた。
歌集について、このブログの昨年12月21日の記事(←リンクしてある)で、紹介した。
支部長の言葉、笠松さんの言葉、乾杯(ビール2人、ウーロン茶で)の後、歌集を巡って、歌創りを巡って、話が盛り上がった。僕は写真も撮ったが、プライバシーに触れそうなので、ここにはアップしない。
13時半頃より、場所を替えて、「コスモス短歌会」F支部の4月歌会(写真は、その様子)。
僕の歌は、支部長の添削が僕の意図と逆だったが、僕の話を聞いて支部長は、その場で添削し直してくださった。
批評が1巡し、支部長のエピソード披露等の後、15時45分頃に散会した。
先日、同人詩誌「果実」の編集・発行人、T・篤朗さんより、お便りをそえて同誌・74号を頂いた。
2016年4月、果実の会・刊。
6名18編の詩と、3名3編の評論・詩論を収める。
N・昌弘さんの「パンドラの小箱」は、USBメモリがクラッシュした後を描いているようだが、余裕のある所にユーモアを感じる。
W・本爾さんの散文詩「ときに父を想う」は、情の優しかった父を偲んで、真実の姿を捉えた。
F・則行さんの童話風な散文詩「さざんか」「野菊」は、僕は苦手である。高く評価する読者もいるだろう。
T・篤朗さんは、6編の詩を寄せている。「階段」の寓喩、「確かなもの」のリフレイン、「行ってしまった」の観念性、等いずれも真実を衝いている。
僕の参加している同人詩誌「青魚(せいぎょ)」の、No.84が千葉・発行人より送られてきた。
2016年4月5日・刊。B・5判、2段組み、35ページ。
僕は「治ったものとそうでないもの」以下、6編のソネット(のようなもの)を、巻頭に載せてもらった。
もう1つのブログ、「新サスケと短歌と詩」(←リンクしてある)の、4月4日以後の記事で、毎日1編ずつ紹介している(横書きになり、1部推敲してある)。
T・幸男さんの「ツイッター」以下6編が、独特のボキャブラリィを用いて、社会を批判し続けている。
また同人・山本修三さんへの追悼文、2編を載せる。
この詩誌「青魚」にも、散文が多くなってきていると、危惧する。
Kindle本「若山牧水大全」より、第14歌集「山桜の歌」を、タブレットで読みおえた。
この前の「くろ土」は、先月22日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
タブレットで本を読むと、残りの量がわからないので、ピックアップや時間の調整に困る場合がある。
「山桜の歌」は、1923年(大正12年、牧水39歳)、新潮社・刊。741首。
「くろ土」に続いて、家での執筆・家族等、また重ねる旅行を詠んで、充実した歌集である。自序で、「くろ土」が動的なら「山桜の歌」が静的である旨を述べている。
以下に8首を引く。
ちりぢりに燃ゆるはさびし烏羽玉の夜空のやみに見えわたる野火
もぎとりていまだ露けき椎茸を買へと持て来ぬ春日の縁に
生れ来てけふ三日を経つ目鼻立そろへるみれば抱かむとぞおもふ
つつましく心なりゐて富士が嶺の裾野にまへるうづら鳥見つ
ガラス越し射す日ながらにわが頬にほてりおぼゆる今日の冬の日
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
学校にもの読める声のなつかしさ身にしみとほる山里すぎて
貧しくて時を惜しめば命さへみじかきものに思ひなさるれ
2007年4月4日にこのブログを開設し、9年が過ぎた。今日より10年めへ入る。
以下に概要を記す。
これからもよろしくお願い致します。
Amazonに年会費3,900円を払って、プライム会員になると、以下のようなサービスが受けられる。
Prime Musicでは、100万曲が聴き放題と謳っている。海外のロックが多く、J-POPは少ない。
僕はビートルズをおもに14プレイリスト、20余時間分を取り込んでいる。
通信量と容量、音質の関係で、タブレットに連携せず、パソコンから鳴らして、読書のBGMにしている。BGMにロックは、少しせわしい。
これまではBGMに、Windows Media Playerの海外ラジオより、クラシックの作曲家別専門局を聴いていた。
慣れると、読書のBGMにビートルズでも構わなくなる。
職をリタイアした人にふさわしいサービスかも知れない。
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