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今日の午後、久しぶりに「BOOK OFF 板垣店」へ行き、古文庫本6冊と中古CD1枚を買ったので、以下に列挙する。
角川書店「増補 現代俳句大系」第3巻(昭和56年・刊)より、13番めの句集、後藤夜半(ごとう・やはん)「翠黛(すいたい)」を読みおえる。
原著は昭和15年、三省堂・刊。
大正12年より昭和8年までの作、216句を収める。
彼の抒情には女性的なところがある。
鷹羽狩行が解説で例句を引きながら、「このように夜半の句は集を追って高まりをみせ」と述べ、僕も同感するので、この後の句集を同「大系」で読める事を楽しみにしている。
以下に5句を引く。
なつかしく子につきめぐる花御堂
魂棚のくさぐさ見ゆれ路地涼み
草市にこゞめるひとの影法師
滝の上に水現れて落ちにけり
日焼たる須磨浦町のをとめたち
「世界詩人全集」第20巻、「現代詩集Ⅰ フランス」を読みおえる。
新潮社、昭和44年・刊。
箱、帯、本体にビニールカバー、月報あり。
今年8月1日の記事で、第19巻を紹介して以来である。
この本には、第一次世界大戦中より第二次世界大戦後にわたる、フランスの13詩人の詩業が収められる。
僕にはそれらの詩の良さが、あまりわからない。
古典と呼ぶには新しく、現代詩と呼ぶには古い(発行当時は、新しかったのだろう)。
アンドレ・ブルトンの「自由な結びつき」は、シュールリアリズムの詩の、最高の達成だろう。
PHP文庫、1995年・刊。
今年5月23日付けの、購入の記事 がある。
読みおえて、今の僕にはあまり参考にならなかった。
経歴、趣味、お洒落の自慢話を聞いているようだった。
僕はもともと、人生論を読む事を、好まなかった。その時の悩みを解いてくれる本に、出会わなかった。
詩や小説を読む事が、まだ頼りになった。
小浜市在住の詩人、O昭八郎さんより、同人文学誌「若狭文学」第49号(終刊号)が送られた。
「若狭文学(当時は「わかさ文学」)」は、昭和45年8月に創刊、O昭八郎さんが事務局方となった。
M正さんの「編集後記(終刊の辞)」に、会員の高齢化・他の終刊理由が挙げられている。
その中で、石川県の文学誌「金沢文学」が主宰者の死去により、平成22年に終刊した事は知っていた。
さらに福井県内を主とする「日本海作家」が、今年10月に185号でもって終刊する、と書かれてある。
「日本海作家」はしばらくの間、僕も作品を載せて貰ったので、それらしい話は聞いていたものの、終刊は淋しい。
O昭八郎さんは、初記の誌に詩「飴屋南無郎(あめやなむろう)」を寄せている。神話より描いた作品である。
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