カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2011年10月28日 (金)

岡井隆「五重奏のヴィオラ」

 「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)の2番めの歌集、「五重奏のヴィオラ」を読みおえる。

 原著は、不識書院、1986年・刊。

 前の「αの星」と同時期の作を収める、と、「あとがき」や、第4巻の月報にある年譜に書かれる。主とする作品発表の場が違うのみ、と。

 題名にある「五重奏」とは、彼の家庭を指すのか、とよく知らない自分は思う。

 当時の新しい流れを取り入れて、今ではズッコケ気味の作品もあるようだ。それを恐れない所が、彼らしい。

 以下に7首を引く。

あたたかき南を発(た)ちて関心の脚たれて行く蜂のごとしも

象といふ反時代的実在にかくも惹かれて女童(めわらは)と居り

精鋭にとりまかれたる将軍はさびしくてさびしくてならぬを

詩はむしろ暗い叛意の行列ぞをみなのともはそれを知らぬを

官僚は酷薄にして惨たりき冬日の映えを襟立てて過ぐ

平安は永遠(とは)なるすべのあらざれば今しばし黄の自転車を漕げ

つゆくさの寂しさはわが寂しさの知らぬ記号がしきりに殖えて

2011年10月24日 (月)

「歌壇」11月号

Cimg5414 この10月18日の記事「3誌の揃い踏み」(この場面より下にスクロールすれば見られる筈)に書いた3誌のうち、「歌壇」(本阿弥書店)2011-11月号を読みおえる。

 特集の「震災後の表現の行方―言葉はどこへ向うか」では、結論は出ない。吉川宏、川野里子、穂村弘、3氏(僕より1回りくらい若い)の鼎談では、納得できる発言が多かった。

 巻頭20首の桑原正紀氏「涼韻」に、次の1首がある。

 虫の音をききつつおもふひたすらとさかしらの間(かん)の遙けき懸隔(へだて)

 僕は深く恥じるけれども、「ひたすらに努力しても、すべてがうまく行く訳ではない」という最近の思潮を思う。

2011年10月20日 (木)

岡井隆「αの星」

 この10月14日の記事で、購入を報告した歌書、「岡井隆全歌集 Ⅲ」より、初めの「α(アルファ)の星」を読みおえる。

 この本には、6歌集が収められており大部なので、1歌集ごとの感想を報告したい。

 彼の独特さは、短歌を詠む力感と、新しい動きを採り入れる自由さだろうか。

 「月報 Ⅲ」の、荻原弘幸・石井辰彦との鼎談でも語られた、彼の保守転換と、家族詠の作など、6首を以下に引く。

一票を保守派にいれて帰りたりわが過去へあはきサタイアとして

亡ぶなら核のもとにてわが死なむ人智はそこに暗くこごれば

あたらしきことばの河にあそびつつときにまどへり父親なれば

三人子(みたりご)と妻とが作る四重奏隠喩はつねに生(な)まぐさくして

午後九時に鳴れるチャイムは誰(た)がために誰(たれ)が巻きたる留守居し居れば

若きらを遠きさびしきライバルとして生きむかなまさか嫌ふな

2011年10月18日 (火)

3誌の揃い踏み

Cimg5402

















 今月の15日に、同人歌誌「棧橋」No.108が届いた。

 僕は12首連作「ゆりの里公園」を載せてもらった。内容を知りたい方は、僕の第2ブログ「新サスケと短歌と詩」(このブログのリンク集にあり)の、10月16日、17日の記事を、ご覧になってください。

 真ん中の写真は、今月17日に届いた、結社歌誌「コスモス」2011-11月号である。

 右の写真は、今日(指定休日)の午前に、「KaBoSワッセ店」へ行って買った、総合歌誌「歌壇」2011-11月号である。

 これで僕が読む歌誌3誌の、揃い踏みである。

2011年10月16日 (日)

藤井光子「花時計」

Cimg5401 藤井光子さんの第2歌集、「花時計」を読みおえる。

 2003年、砂子屋書房・刊。

 彼女は、愛知県・在住、「未来」所属。

 257首を収める。岡井隆の跋文、「『花時計』の作者に」を付す。

 歌舞伎、能を観劇する教養をもち、国内、外国を旅行しての作品も多い。

 僕の及びもつかない境涯である。(僕は僕なりに詠むしかないだろう)。

 彼女は、心を鎧う場合があるというか、見得をきったような作品が散見されて、気になる。

 以下に7首を引く。

三月は幹の瘤さへつやめくをとりのこされてゐる昼の月

さみだれや春琴ごつこなししとふ潤一郎とその妻松子

山いくつゑぐり採りしかここかしこ巨き窪あり瀬戸珪砂鉱

偏愛に似たれば重くなつかしき聖護院大根抱へて帰る

水面打つ櫂ひそやかにゴンドラは狭き運河の橋くぐりゆく

逃亡はもはやかなはぬ外壁を亜麻色に塗りやさしく棲まむ

PK戦まで追ひつめずひたすらに黒豆を煮む来世紀まで

2011年10月 3日 (月)

「歌壇」10月号

Cimg5343 僕が取っている唯一の総合歌誌、「歌壇」(本阿弥書店)の2011-10月号を読みおえる。

 特集の「現代版 歌枕の旅―短歌で巡る日本列島」も読んだけれども、感銘は大きくなかった。

 僕は地理よりも、催しなどや、人間関係、個人の内心などに、関心があるようだ。

 気の早い話だが、次号、11月号の特集に期待している。「震災後の表現の行方」である。

 東日本大震災の故か、結社誌に作品を出詠しなくなった先輩歌人がいる。

 また僕の作歌の数も、故は意識しないけれども、少なくなっている。

 現状を打開する論を、その特集に期待する。

2011年8月25日 (木)

「歌壇」9月号

Cimg5252 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2011-9月号を読みおえる。

 特集は、「異なる世代の考え方に触れる―短歌の現在」である。

 この歌誌の特集では軽いもののみ読んできた僕だが、今回の特集の文章はすべて読んだ。

 世代は常に古びるし、同一世代でも歌風は異なる事が多いだろう。

 僕は歌壇の党派性に置き換えて読んだ。

 歌壇には、守旧派と前衛派が、さらに先鋭派があり、結社等のグループ内にも守旧派と前衛派がある。

 それらがグループを組んで、あい対立するから、事がややこしくなる。

 まあ、戦後民主主義のなれのはての、勝手民主主義の反映とみれば良いのか。

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