カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2011年12月26日 (月)

「歌壇」1月号

Cimg5560 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012-1月号を読みおえる。

 新春巻頭作品では、大口玲子さんの「大風呂敷」16首が沁みる。「Skype」等新しい言葉、仙台を離れた妻をかばいいるらしい夫など切実な事柄を、真面目に詠んでいる。

 新春対談の、「介護を詠む、震災を詠む」を完読する。

 歌人の小島ゆかりさんと、俳人の正木ゆう子さんは親しいらしく、「牧水賞の歌人」シリーズの小島ゆかりさんの本でも、対談していたと記憶する。

 僕は両親の介護をほとんどしなかった(弟であり)し、東日本大震災にも異見があるけれども、プロの二人が語る事は了解できる。

 特集の「短歌特有のことばの魅力」は良くない。「短歌特有の言葉」を、僕も使う事があるけれども、語調や音数合わせのためである。短歌界の発展のためには、むしろ避けたい事である。

2011年12月22日 (木)

「山川登美子歌集」

Cimg5547 「楽天ブックス」に注文していた、「山川登美子歌集」が届く。

 岩波文庫、今野寿美・編、2011年12月・刊。

 この本は、岩波書店のホームページのうち、岩波文庫のサイトから知った。

 しかしホームページからでもなく、書店に取寄せ依頼するでもなく、「楽天ブックス」(他には「Amazon」の場合もある)で買った。送料無料で、時間と労力の節約が出来、電子決済である。

 山川登美子は、与謝野晶子らと短歌創作を競ったが、結婚のため郷里に戻り、29歳の若さで亡くなった。

 それだけなら、歌集を買うかどうかわからないが、彼女は若狭出身で、僕と同県なので(地方は違うけれど)、関心がある。

 若狭では毎年、彼女の忌祭が催される。

2011年12月21日 (水)

子規「歌よみに与ふる書」

Cimg5544 今月17日の記事「歌書2冊」に挙げたうち、正岡子規の歌論「歌よみに与ふる書」を読みおえる。

 岩波文庫、2007年31刷。

 この本には、「歌よみに与ふる書」10章と、「あきまろに答ふ」、「人々に答ふ」、「曙覧の歌」、「歌話」、5編の歌論を収める。

 「歌よみに与ふる書」を再読し、誤伝のある事などもわかった。また「七たび歌よみに与ふる書」の中で、以下の言葉がわかりやすかった。

 「この腐敗と申すは趣向の変化せざるが原因にて、また趣向の変化せざるは用語の少きが原因と被存(ぞんぜられ)候。故に趣向の変化を望まば、是非とも用語の区域を広くせざるべからず、用語多くなれば従つて趣向も変化可致候」。

 また「歌話」にて、「言霊の幸はふ国」という言葉を、やり込めている。

 彼は短歌を、日本当代一流の文学に、世界文学の1つに、したかったのだろう。

2011年12月17日 (土)

歌書2冊

Cimg5539Cimg5541
















 

 
初積雪の残る景の中、「KaBoS ワッセ店」へ行き、2冊の歌書を買った。

 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012年新年号は、8氏の新春巻頭作品、小島ゆかりさん☓正木ゆうこさんの対談、など華やかである。

 表紙のデザインがシンプルであり、今年はこの路線なのか。

 もう1冊は、正岡子規の「歌よみに与ふる書」(岩波文庫、2007年31刷)である。

 表題作は以前に読んだが、その他に4編の歌論が収められているので。すでに古いのかも知れないが、僕は短歌の素養がないので、基本から始めねばならない。

2011年12月10日 (土)

岡井隆「宮殿」

 「岡井隆全歌集」第Ⅲ巻より、5番め、最後の歌集「宮殿」を読みおえる。

 2006年、思潮社・刊。2重箱、月報、資料集成Ⅱあり。

 原著は、1991年、沖積舎・刊。

 第Ⅲ巻月報に載る、荻原裕幸・石井辰彦を含む鼎談で、荻原裕幸が「珍しく歌壇の反応が少なかった歌集ですよね」と発言し、岡井隆自身も「『宮殿』は、普及したけれども評判が悪い」と発言している。

 編集者が、春夏秋冬の4部に編集し直した歌集である事が、従来の歌壇のやり方に反しているため、と捉えるようだ。

 以下に8首を引く。

誰も居ぬ闇にむかひてうなづいて大川端へ消ゆる関取り

財に向き動くこころはいひわけのあまたを持ちてさあれさすらふ

才能を蕩尽したる彼(かれ)といへ浪費に耐ふる才華すがしく

聴衆にいびきかく人ひとり居て上田三四二論ずつたずた

片腕のしびれてさむる昼熟睡(うまい)あはれレッスン?情死のための

固きパン朝々に割(さ)きいつしかに慣るるがごとしあはき旅愁の

昨日見て今日うたがふを係恋の常とわらひて手帳閉ぢたり

たましひの闇市へ行く思ひかな二百人ほど待つとし聞けば

2011年12月 3日 (土)

「歌壇」12月号

 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2011-12月号を読みおえる。

 特集の「わが誌の創刊号を読む」はあまり読まなかった。

 上田一成さん(「ポトナム」「ゑちうど」所属)の「首根っこ」12首に注目する。

 総合歌誌の新号なので、気を使うが、3首を引く。

ペパーミントの二粒ほどを舌の上にころがすうちに来てゐる晩年

なが月の半ば過ぎても咲きほこり飽きられてゐるこのさるすべり

雨あとの水嵩増せる溝川のしどろもどろの藻の草の 僕

 他に福士りかさん「しろがねの水」7首他、散文でも「コスモス」の歌人が活躍している。

2011年11月28日 (月)

岡井隆「親和力」

 思潮社「岡井隆全歌集」第3巻(2006年・刊)より、4番めの「親和力」を読みおえる。

 原著は、1989年、砂子屋書房・刊。

 あとがきに「一体、歌集の作者って誰だろう」「なぜ『歌集』なのだろう」とある。

 彼の詠作があちこち曲がっている印象だが、作者の迷いか、試行錯誤か、僕にはよくわからない。

 以下に8首を引く。

今か沈む今か水漬(づ)くと怖れつつ煮えたぎるやうなにくしみは来(こ)ず

十あまり八年は過ぎどちらから声かけたやらそれさへおぼろ

伝票のながながしきを折りながらまだすこしあるだらう時間は

酒が来て肴が来(こ)ぬ間(ま)言ふべきか迷ひたれども一語言はずき

ワン・パタといふ短縮語またしても資本は遊ぶ海彼岸(かいひがん)まで

わづかづつ黄色になりて行く紙のいかなる歌に逢はば燃え立つ

学生のころ読みさしし小説を歳月をへて読みつぎて行く

暁闇が曙光へうごく浄き刻(とき)きみ亡(な)きのちもしぶとく生きむ

2011年11月21日 (月)

岡井隆「天使の羅衣」

 「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)より4番めの、岡井隆と詩人・佐々木幹郎による「組詩 天使の羅衣(ネグリジェ)」を読みおえる。

 原著は、1988年、思潮社・刊。

 岡井隆の短歌と、佐々木幹郎の詩を、互いの小文が繋いでゆくのだが、この本で137ページにわたる試みは、うまく噛み合っていないように、僕は思う。

 それはジャンルの違いというより、世代の違いのように思う。60年安保の世代と、70年安保の世代では、経験も引きずる思いも、違うのだろう。

 このあと、佐々木幹郎はチベット行きをするが、彼の劇的体験というのは、その行旅の時の事だろうか。

2011年11月12日 (土)

岡井隆「中国の世紀末」

 「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)より、3番めの歌集、「中国の世紀末」を読みおえる。

 原著は、1988年、六法出版社・発行。

 1987年の中国旅行に取材した作品群である。

 第Ⅲ巻の月報にある、荻原裕幸、石井辰彦との鼎談で、彼は「完成度を意識しなかった」「これは自由に書きました」と述べている。

 そういう点はあるかも知れないが、彼独特の視点で、力感のある作品だ。

 以下に8首を引く。

中国に在ればか否かゆくりなく涌き出でて日本嫌悪のこころ

かぎりなく来る自転車は伝へ聞き来しに似ながらひたひたと、国

いにしへゆ深し深しと思ひ来ぬすべてが違(ちが)ふ闇のいろさへ

大鋏(おおばさみ)、リムジン・バスの席に飽きなめらかすぎる日本語に飽く

生きて老い苦しむ人の生きざまをただに見てすぐ見てすぐるのみ

年老いし前衛歌人も時としてまなこかがやき言ふことがある

日本がはるけく怖き仕事場に見えてくる朝北京にありき

まどろめばすべての部屋に父が居てすぎゆく時と言葉かはせり

 一部、ルビを省いた所がある。

2011年11月 4日 (金)

「桑原正紀歌集」

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 歌人・桑原正紀氏(「コスモス」選者、「棧橋」発行人、他)が、「桑原正紀歌集」を送って下さった。

 砂子屋書房、現代短歌文庫93、2011年9月・刊。

 申し訳なくも「棧橋」退会を申し出た僕に、氏よりの餞けの1冊であろう。

 歌集「妻へ。千年待たむ」全編・他3冊からの自選歌集を収める。

 短歌を告白におわらせず、芸術性を高めようと、詠み続けた歩みである。

 いつまでも幼い僕よりすると、氏は大人、というより達人に思えてくる。

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