思潮社「岡井隆全歌集」(全4巻)の第Ⅳ巻(2006年・刊)より、彼の第19歌集「ヴォツェック/海と陸」を読みおえる。
原著は、1999年、ながらみ書房・刊。
その歌作の時期に、自作短歌の朗読を始め、その影響が詠みぶりにあるとされる。
個人的には大きな事もあったようだが、詠みぶりはのびやかだと感じられる。
以下に8首を引く。
しどろもどろの挨拶はまあしかたないウルウルウラム、うるうるうらむ
アトリエにゆきていひたる事を恥づむかし一心に馬鹿なりしころ
それほどでない才質のかなしさを紅葉のやうに見せて去りゆく
もう二度と俺はここへは来ぬだらうさういふ場所が増ゆれしづかに
そばにきてピアソラの話などしてるわが朗読のどきどき近く
その母とわれは別れむそれと知りて三人子(みたりご)ひしとかたまれる見ゆ
実にもう嫌だと思(も)ふが嫌だとは言はない雨の、言はせない降り
海峡を喫水ふかくすぐる船のかたむくみれば我かとおもへ
思潮社「岡井隆全歌集」第4巻(2006年・刊)より、第18歌集「大洪水の前の晴天」を読みおえる。
原著は、1998年、砂子屋書房・刊。
実験・試みの作が潜まり、月報の「岡井隆全歌集解題」で大辻隆弘は、「ニューウェーヴ志向の終焉を感じさせる歌集である。」と書いている。
作歌時期は「ウランと白鳥」に重なり、「あとがき」に「私生活は、動揺しやまぬ苦渋の中に過ぎた。」とあるとしても。
以下に8首を引く。
荷の間(あひ)に読み出せばもうとまらない近世俳句其角豪宕(がうたう)
「マッチ擦る」海はこのうみだつたんだ辺境が生み育てし修司
詩の本は売れても二阡 韮まぜて仔羊の肉焼きしバタイユ
ドイツより来(こ)ししやれかうべ手のひらに載(の)せて軽きをしばらく遊ぶ
魂をいやすため今日を用ひむか錦通りに棒鱈を見て
その辺り荒き息して立つなかれ夜の美しい訪問者 きみ
発見者の名をもて飾るあはれさの花冷えの夜の、ばうと彗星
まだすこし貸し借りのある間柄とほく視線を逸らしあふなり
思潮社「岡井隆全歌集」第Ⅳ巻(2006年・刊)より、第17歌集(月報の大辻隆弘・編「岡井隆全歌集解題」に拠る)「ウランと白鳥」を読みおえる。
原著は、1998年、短歌研究社・刊。
1996年秋、彼が青森県六ヶ所村の原子燃料サイクル施設の視察に参加した際の連作が、冒頭にある。
以下に6首を引く。
にこやかに核(ニュークリアス)の神官の予防着厚くわれをいざなふ
はるかなる原子炉の火をしたひつつ日にけに甘く熟れゆくウラン
朝粥の滅法辛くうつくしい口調で悲しいことを言ひ出づ
雪になるかも知れないと言ひ合ひて雪になりたるのちの入浴
もう遅いかも知れないがともかくも着手が大事、(さうかさうかな)
くらがりに置き捨てありし書物(ほん)の芽が月光のなかけぶらひわたる
寺山修司(1935~1983)の未発表歌集「月蝕書簡」を読みおえる。
田中未知・編、岩波書店、2008年・刊。
今月18日のこのブログで、「最近入手した」6冊のうちの1冊として紹介した。
それまでの全歌集を、思潮社「寺山修司コレクション 1 全歌集全句集」で読んでいた。
僕が高校文芸部員だった頃、彼は劇団「天井桟敷」を旗揚げした後で、歌人としての活躍は、伝説的な話としてのみ読んできた。
未発表歌集の出版は大きな事業だ。しかし帯文で「文学史は読み換えられるだろう」と謳ったり、1ページ1首としたりしないで、普通の薄い歌集として出版されれば良かった。
たしかに歌人の間で評判になり、また売れもしたのだろう。しかし後世の人が愛惜し、繰り返し読まれるには、ささやかな形のほうが良かったと僕は思う。
栞に収められた佐佐木幸綱・寺山修司の対談「現代短歌のアポリア―心・肉体・フォルム」は、短歌より離れたアーティストと、父より結社主宰を継いだ歌人との、かつての前衛歌人の考えを知らされて、興深かった。
奥様が送って下さった、江田浩之(こうだ・ひろゆき)氏の遺歌集、「夕照(せきしょう)」を読みおえる。
2012年1月、柊書房・刊。
彼が「コスモス」の先輩である外、僕と大きな関わりはない。
歌集「風鶏」に続く、第2歌集でもある。
人工透析を受けながら、教師を定年まで勤め上げ、その後に数回の大手術を受けながら、短歌への意欲を絶やさなかった人生である。
1ページ4首、総223ページはやや重い印象だが、載せたい歌が多く、ページも歌集の体裁をはみださないようにとすれば、こうなるのだろう。
短歌を抄出しようとして、付箋を貼りながら歌集を読むのは、良い事だ。作品を見きわめ、見落としの無いように読んでゆくから。
以下に8首を引く。
ワイパーが雨を拭き消すその幅に波のめくるる冬の海原
追憶の母となりたり風中に麦を踏みつつ遠ざかりゆく
取り入れし洗濯物に向かひゐる妻は妻とふ時間をたたむ
水の面に散りし紅葉に口をつけ鯉が押しゆく遊びのごとく
娘が帰り妻が帰りて病室にひとりの時間日暮れてゆけり
目覚むればまだやりなほしできさうな朝がきてをり雀鳴きゐる
利かぬ脚曳きつつすすむ蹌踉と最期にちかづく形かこれは
むらさきの烟なす藤見上げつつもうしばらくは生を楽しまん
「岡井隆全歌集 Ⅳ」(思潮社、2006年・刊)より、今月2日の「神の仕事場」に続き、2番めの歌集、「夢と同じもの」を読みおえる。
原著は、1996年、短歌研究社・刊。
389首を収める。
月報にある、大辻隆弘・編「岡井隆全歌集解題」では、この歌集の作品について、「新展開は見られず、深い倦怠感が漂っている」と書かれる。
僕は、進展はないが展開はある、と思ってこの歌集を読んだ。
以下に8首を引く。
出て行ってネットプレイをするごとき愛のいくさもある 死螢よ
夏休み前ともなればうでたてのグリーンアスパラガスに近しも
かりがねや君の知らない会合で進退のややきはまる刹那
ゆつくりと螺旋階段を墜ちてゆく背中の匕首(ひしゅ)は<詭計(トリック)でせう>
荒すぎるオオデコロンて本当(ほんと)だよ耳もとへ来て「帰るわ」と言ふ
恩顧ある新聞社から帰り来て荒野の馬のやうだ 水呑む
一日(ひとひ)居て日毎ふかまる憂愁の(オレぢゃないてば)笹鳴日和
よいとまけとはなんですとたづね来し葉書のうへに滴るアロエ
思潮社、2006年・刊。
2重箱、月報あり。
この巻には、「神の仕事場」より「旅のあとさき、詩歌のあれこれ」に至る、10歌集を収める。
月報には、詩人・評論家の北川透との対談「詩歌の未来へ」、大辻隆弘・編「岡井隆全歌集解題」を収め、対談では歌人の個人的事情・内面を知るため、解題は彼の歌歴を概観するため、共に貴重である。
初めの歌集、「神の仕事場」を読みおえる。
原著は、1994年、砂子屋書房・刊、第15歌集。
折句、意味のないオノマトペ、( )の使用など、意識的な試みをしている。
以下に8首を引く。
みづうみに兄の波立ちしづかなる弟波(おとうとなみ)の来るをし待てり
ララ物資のやうなる愛といふ比喩も死にて半世紀経(へ)し夜の桜
月明に隅(すみ)くらぐらと見えながら何時(いつ)なにになるここの空地(あきち)は
麦飯の遠き力やわがおもひしづかに暮れて世界と違(たが)ふ
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来(こ)し一生(ひとよ)のごとし
精神の集中をこそねがへれば見物人Aを立ち去らしめつ
二人居てなんぞ過ぎゆく尾長らの大竹群(おおたかむら)を過ぐる迅さに
噫(ああ)この外(ほか)老いたるぼくになにがある歌を算へて光を喰べて
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