「コスモス」2009-2月号
歌誌「コスモス」2009-2月号を読みおえる。
初めより「COSMOS集」までと、「新扇状地」他。
付箋を付けたのは、次の1首。
中国の吹雪の丘に駄馬曳きし兵の日遥か生きて老いたり
69ページ上段、TMさんの作品
やや流して書いてあるように見えるが、「生きて老いたり」に近い感慨が僕にもある。
せっかく「コスモス」に入会した人は、多少の蹉跌にめげず、出詠を続けてほしい。
« 2008年12月 | メイン | 2009年2月 »
歌誌「コスモス」2009-2月号を読みおえる。
初めより「COSMOS集」までと、「新扇状地」他。
付箋を付けたのは、次の1首。
中国の吹雪の丘に駄馬曳きし兵の日遥か生きて老いたり
69ページ上段、TMさんの作品
やや流して書いてあるように見えるが、「生きて老いたり」に近い感慨が僕にもある。
せっかく「コスモス」に入会した人は、多少の蹉跌にめげず、出詠を続けてほしい。
大崎善生の短篇小説集「孤独か、それに等しいもの」を読みおえる。
角川文庫、平成18年・刊。
収められた5編の短篇小説に、僕はあまり感激しなかった。以前に読んだノンフィクション、「聖の青春」「将棋の子」のほうが、感銘があった。
この短篇集では、主人公の状況設定がおおげさである。いわく、母親がダイナマイトで心中、いわく、恋人の少年が交通事故死、いわく、双子の妹が事故死、など。
「ソウルケージ」にでてくる大森とか、1月23日にここで紹介した唯川恵「さよならをするために」の中の短篇「やっと言える、さよならが言える」にでてくる大学院生・紀子など、主人公ではない脇役に感情移入してしまう。
僕は脇役(引き立て役?)の人生だろうか。
今日は地元の赤十字病院で脳ドック(MRI検査を含む)を受けたあと、買い物をしたので、以下に列挙する。
近所のローソンにて
「パワーセンター ワッセ」内の事務洋品店「Office Work」にて
「勝木書店ワッセ店」にて
同店内の「古書センター」にて
以上。
昭和59年、日本放送出版協会・刊。
僕は、三十六歌仙絵巻の切断された1枚1枚を鑑賞(カラー写真で)しただけで、「佐竹本三十六歌仙絵巻」が、大正8年に切断されて、佐竹家から富豪の手を渡って行った経過は、ほとんど読んでいない。
カラー写真は、1枚が見開き2ページ、その下に馬場あき子さんの解説が載る。添えられた和歌や、人物の解説である。
「万葉集」「八代集」「百人一首」を読んでいる僕の、記憶から失せている歌人や和歌も多く、楽しく見、読んだ。
歌人の容貌はパターン的であるようだけれど、伝承によって微妙に違うように思える。たとえば男性の場合、色好みであった、不遇であった、など。
河出文庫、2004年・刊。
彼の短篇でない小説を、僕は初めて読んだ。あるサラリーマン「おれ」の一日を述べる構成で、苦手な(?)長編(文庫本で233ページ)が可能になったのだろう。
主人公は、1種の「ゆるキャラ」で、妻にはバカにされている。勤務地の米軍基地・化学研究所では、怪しげな日本人、米軍属が、高尚でないドラマを繰り広げる。
その中で、主人公が、時間を盗むようにして英語の小説を翻訳している点が、ただ者ではない。田中小実昌自身が、底辺の職を転々としながら、翻訳から創作へ進み、「直木賞」「谷崎潤一郎賞」を受賞するまでに活躍するところと、重ね合わせて読むと、この小説にも救いがある。
イラストブック「大事なことはみーんな猫に教わった」を読みおえる。
絵+文 スージー・ベッカー/訳 谷川俊太郎。
小学館文庫、1998年・刊。
家庭での猫のイラストと、文は1ページに1~3行。
猫に人間の生き方を教わったとあるけれど、真似できない教訓も多い。
たとえば、「気が変わってどこが悪いのさ」、「自分の行動を説明できないときがある」など。
大組織(の出先の現場)に勤めていると、猫型よりも、従順な犬の真似をしているほうが楽だ。
原著者は、アメリカの作家、イラストレーターで、グリーティングカード会社経営、とある。そのような立場だから猫型でいられるのか、逆に猫型だからそのような仕事に邁進したのか。
最近のコメント