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2009年1月の26件の記事

2009年1月31日 (土)

「コスモス」2009-2月号

 歌誌「コスモス」2009-2月号を読みおえる。

 初めより「COSMOS集」までと、「新扇状地」他。

 付箋を付けたのは、次の1首。

中国の吹雪の丘に駄馬曳きし兵の日遥か生きて老いたり

     69ページ上段、TMさんの作品

 やや流して書いてあるように見えるが、「生きて老いたり」に近い感慨が僕にもある。

 せっかく「コスモス」に入会した人は、多少の蹉跌にめげず、出詠を続けてほしい。

2009年1月29日 (木)

大崎善生「孤独か、それに等しいもの」

004  大崎善生の短篇小説集「孤独か、それに等しいもの」を読みおえる。

 角川文庫、平成18年・刊。

 収められた5編の短篇小説に、僕はあまり感激しなかった。以前に読んだノンフィクション、「聖の青春」「将棋の子」のほうが、感銘があった。

 この短篇集では、主人公の状況設定がおおげさである。いわく、母親がダイナマイトで心中、いわく、恋人の少年が交通事故死、いわく、双子の妹が事故死、など。

 「ソウルケージ」にでてくる大森とか、1月23日にここで紹介した唯川恵「さよならをするために」の中の短篇「やっと言える、さよならが言える」にでてくる大学院生・紀子など、主人公ではない脇役に感情移入してしまう。

 僕は脇役(引き立て役?)の人生だろうか。

2009年1月28日 (水)

本・他を買う

 今日は地元の赤十字病院で脳ドック(MRI検査を含む)を受けたあと、買い物をしたので、以下に列挙する。

 近所のローソンにて

  • 「日経PC21」2009-3月号

 「パワーセンター ワッセ」内の事務洋品店「Office Work」にて

  • ビニールのA5判ブックカバー、1枚

 「勝木書店ワッセ店」にて

  • ベルンハルト・シュリンク「朗読者」(新潮文庫、平成19年12刷)
  • リチャード・ブローティガン「アメリカの鱒釣り」(新潮文庫、平成17年)

 同店内の「古書センター」にて

  • 水上滝太郎「貝殻追放 抄」(岩波文庫、1985年)
  • ローザ・ルクセンブルク「獄中からの手紙」(岩波文庫、1982年)
  • ヘミングウェイ「移動祝祭日」(平凡社・同時代ライブラリー、1990年)

 以上。

2009年1月26日 (月)

中田水光「蓮田」

004  牧羊社「現代俳句選集Ⅵ-13」中田水光・句集「蓮田」を読みおえる。

 箱、帯、本体にビニールカバー。

 平成2年・刊、1ページ2句、205ページ。

 著者は埼玉県・在住、俳誌「浮野」(落合水尾・主宰)所属。

 著者は高校教師であるとともに、弓道に励み、また農業にも従事している。気合と根気を要する事柄である。

 そのことが、俳句創作にも表われて、秀句が多いように思われる。

 ただ、句作を重ねて自信が生れると、清新さが失われる憾みがある。

 以下に、5句を引く。

寝もやれぬ蓮田の闇に牛蛙

古九谷の里の蜻蛉の目玉かな

手をあげて青空に剪る棗の実

曼珠沙華膝より低きほとけたち

花椎や坂のみ多き文士村

2009年1月25日 (日)

雪の庭

001_2 003_3  庭に雪が積もった。たいしたことは無くて、屋根の雪かきをするほどではない。

 初めの写真は、小松に雪の積んだもの。

 あとの写真は、花のある山茶花の枝に雪が載ったもの。

 山野に餌が少ないのか、雀やヒヨドリではない小鳥が、庭に来る。小鳥には、時刻の感覚はあっても、曜日を知らないから、休日の日中の庭で、遊ぶ小鳥を見ることができる。

 よく似た題材でソネットを作ったことがあるから、もう作品にはならない。

2009年1月23日 (金)

唯川恵「さよならをするために」

001  唯川恵(ゆいかわ・けい)の連作短篇集「さよならをするために」を読みおえる。

 集英社文庫、1997年13刷。

 20代前半の若い女性の、恋と失恋を描かれても、僕にはあまり響かない。

 そもそも僕には、これといった恋愛経験がない。片思いはいくつかあったけれども。僕の学生時代と20代前半は、恋愛どころではなかった。

 (妻とも、見合い結婚である。)

 森瑤子の、大人の恋を描いた小説は、一時、愛読したけれど。

 自分のことばかり書いてしまった。

2009年1月21日 (水)

「豪華愛蔵版 日本のやきもの」第3巻

004  「豪華愛蔵版 日本のやきもの」第3巻「信楽 伊賀 長次郎」を見おえる。

 昭和52年、講談社・刊。箱。103ページ。

 写真は、本体カバーの表である。

 信楽は素朴である。

 伊賀は、茶人と陶工の気迫を強調するけれど、わざとらしい。

 長次郎は、いわゆる楽焼の系統で、人工的な「裕然さ」が神経症的である。

 なお今後、とくべつな事柄のある場合のみ、このブログを更新します。アクセスされても空振りになる訪問者の方もいらっしゃるでしょうが、ご寛恕を乞います。

2009年1月20日 (火)

「三十六歌仙の流転」

003  「秘宝 三十六歌仙の流転 絵巻切断」を見おえる。

 昭和59年、日本放送出版協会・刊。

 僕は、三十六歌仙絵巻の切断された1枚1枚を鑑賞(カラー写真で)しただけで、「佐竹本三十六歌仙絵巻」が、大正8年に切断されて、佐竹家から富豪の手を渡って行った経過は、ほとんど読んでいない。

 カラー写真は、1枚が見開き2ページ、その下に馬場あき子さんの解説が載る。添えられた和歌や、人物の解説である。

 「万葉集」「八代集」「百人一首」を読んでいる僕の、記憶から失せている歌人や和歌も多く、楽しく見、読んだ。

 歌人の容貌はパターン的であるようだけれど、伝承によって微妙に違うように思える。たとえば男性の場合、色好みであった、不遇であった、など。

2009年1月19日 (月)

田中小実昌「自動巻時計の一日」

001  田中小実昌の小説「自動巻時計の一日」を読み終える。

 河出文庫、2004年・刊。

 彼の短篇でない小説を、僕は初めて読んだ。あるサラリーマン「おれ」の一日を述べる構成で、苦手な(?)長編(文庫本で233ページ)が可能になったのだろう。

 主人公は、1種の「ゆるキャラ」で、妻にはバカにされている。勤務地の米軍基地・化学研究所では、怪しげな日本人、米軍属が、高尚でないドラマを繰り広げる。

 その中で、主人公が、時間を盗むようにして英語の小説を翻訳している点が、ただ者ではない。田中小実昌自身が、底辺の職を転々としながら、翻訳から創作へ進み、「直木賞」「谷崎潤一郎賞」を受賞するまでに活躍するところと、重ね合わせて読むと、この小説にも救いがある。

2009年1月18日 (日)

「大事なことはみーんな猫に教わった」

003  イラストブック「大事なことはみーんな猫に教わった」を読みおえる。

 絵+文 スージー・ベッカー/訳 谷川俊太郎。

 小学館文庫、1998年・刊。

 家庭での猫のイラストと、文は1ページに1~3行。

 猫に人間の生き方を教わったとあるけれど、真似できない教訓も多い。

 たとえば、「気が変わってどこが悪いのさ」、「自分の行動を説明できないときがある」など。

 大組織(の出先の現場)に勤めていると、猫型よりも、従順な犬の真似をしているほうが楽だ。

 原著者は、アメリカの作家、イラストレーターで、グリーティングカード会社経営、とある。そのような立場だから猫型でいられるのか、逆に猫型だからそのような仕事に邁進したのか。

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