青幻舎「永井陽子全歌集」(2005年・刊)より、4冊めの「ふしぎな楽器」を読みおえる。
原著は、1986年、沖積舎・刊。
138首とエッセイ5編を収録。粟津則雄・解説。
名古屋、京都でのシンポジウムに参加するなど、歌壇的には行動した時期だが、個人的には孤独な作歌生活だったろうと思われる。
エッセイ「魔笛」で全身が音楽となった体験を、「あとがき」で「うたはふしぎな楽器であると、…」と述べて、音楽との親密性を語っている。
以下に6首を引く。
今宵ぎちぎち星が燃えはて落ちぬかと大熊星座たしかめに出づ
高麗人は装ひをとき韻を解きほのかにひとをおもひそめにき
くわつと照る陽をまたくわつと押し戻し都会は熱き方形のつらなり
秋天の藍のましたに円座成し縄文人ももの食ふころぞ
ただ一挺の天与の楽器短歌といふ人体に似てやはらかな楽器
振りむけば官位のことを気に病める定家もゐたり秋の陽のなか
ダウンロード・フォト集より。
文春文庫、2007年、15刷。
1996年の芥川賞受賞作「蛇を踏む」の他、「消える」「惜夜記(あたらよき)」を収める。
僕は、話題作が文庫本になり、古本となった頃に買い、棚に何年か寝かせてから、取り出して読む、というのが好きである。
実際の女性にこんな仕打ちをしたら、すぐさま去られてしまうだろう。本は、黙って待ってくれる、時に少し古びたりしながら。
彼女はSF出身であって、「あとがき」で、「自分の頭の中であれこれ想像して考えたことなら、いくらでもつるつると出てくるのですが。」と述べている。
蛇を踏むと、それが母親となって(実母は別にいる)蛇の世界へ誘う表題作など、シュールだけれど、結婚、主婦の経験が生かされていると、僕は思う。
他に気になっていた小説、「ニシノユキヒコの恋と冒険」、「古道具中野商店」も彼女の作品とわかったので、文庫本で読みたい。
昨日に「BOOK OFF 板垣店」へ久しぶりに行って、音楽CDを2枚買った。
1枚はEvery Little Thingのミニアルバム(?)の「UNTITLED」(4曲とそのインスツルメンタル)である。
作編曲が同じ人の3曲は、これまでの自己模倣的だし、違うメンバーが作編曲の1曲は違和感がある。進化するのは難しい事だ。歌詞は優れているのだけれど。
2枚めはお目当ての、「ショパン・ピアノ名曲集」である。14曲入り。ピアニストは中村紘子である。
ショパン全集(廉価版)の購入を考えているのだが、僕はクラシック音楽にはとても疎い。それでショパンの曲のCDを1枚、試しに買ったのだ。
モーツァルトの場合は受け付けなかった(2011年9月19日の記事あり)が、今度のショパンは楽に聴ける。
機会があれば、廉価版全集を買いたい。
青幻舎「永井陽子全歌集」(2005年・刊)より、3冊めの「樟の木のうた」を読みおえる。
原著は、1983年、短歌新聞社・刊。
280首、春日井建・解説。
彼女の歌は、幻想性、抒情性、音楽性等が高く評価されているようだ(僕が、さしでがましいけれど言うなら、古典と現代性の統合を成している)けれども、僕は作歌では生活短歌(それも人事詠)しか詠めないので、この歌集より、リアルめの8首を以下に引く。これらが歌集の歌風だと思わないで頂きたい。
夕野分だつ法起寺の塔までを草の名花の名あひおぎなへり
大津絵の鬼に背中をたたかれぬ叩かれた背がいつまでもさびし
雨あがるくきやかな尾根山萩のつのぐむころを逢ひにゆきたし
星を結びて天に柄杓を描くこと両親が教へくれし夏の夜
あした行く街があるゆゑかなしみはしづめねむれと葉月のすすき
ブランコを漕ぎいだすとき視野に入る古代の空とオニクルミの木
更科やあふるるほどの冬陽浴みさびしきもののひとつ朴の木
やさしく低く朝けの風に呼ぶこゑとなりて歌はむ樟の木のうた
ジョン・アーヴィングの小説「サーカスの息子」の、下巻を読みおえる。
新潮文庫、2008年12月・刊。
この上巻の読了報告が、このブログの2012年1月15日の記事にあるから、下巻1冊を読み了えるのに、とても日数がかかった。
それは作業場の控え室で、手空きの時に少しずつ読んだからだ。
カバー裏面のコピーに「猥雑で奇怪な魅力に満ちた長編小説」とあるが、書きながらストーリーを展開したのか、伏線が少なく、着地も決まったと言えない。
次作の「未亡人の一年」では、文体は締められていた(邦訳によれば)。
ホームページ「J.アーヴィングによると世界は。」に拠ると、著者にはこのあと、「また会う日まで」(邦訳、新潮社)があり、2009年の新作「あの川のほとりで」(2011年、新潮社、上下巻)がある。
その前に僕は、手許にある短編小説集「ピギー・スニードを救う話」を、読まなければならない。
江藤淳(1932~1999)のエッセイ集「文学と私・戦後と私」を読みおえる。
新潮文庫、昭和49年2刷。
本冊にはカラーの紙カバーがあるが、汚れているので、写真では除いた。
301ページに53編のエッセイ、他を収めたので、1編は短い作品が多く、読みやすい。
読んでいる感覚は、穏やかなインテリのオジサンかな、と思わせる。
彼の本を僕は、このエッセイ集しか読んでいないが、本業では保守派論客だったのだろう。この本の「戦後と私」の中に「私の家は『庶民』ではなかった…」と述べて、選ばれた民のプライドだけで彼は戦後を生き抜いたのか、と思わせる。
しかしエッセイでは、この市民的しみじみ・ほのぼの路線が佳いので、人を世を恨む言葉ばかりでは、読者は楽しめないだろう。
最近のコメント