« 2012年11月 | メイン | 2013年1月 »

2012年12月の28件の記事

2012年12月 9日 (日)

支部12月歌会

Imgp0026 今日の午後1時より、F市のK会館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の、12月歌会が持たれた。

 事前1首出詠15名、歌会参加者10名だった。

 あらかじめプリントされた詠草集の初めより1首ずつ、U支部長の司会で指名された2、3名が批評を述べ、支部長の講評と添削提示で、歌会は進んだ。

 僕の1首は、意に添う添削を受けた。

 批評の済んだ3時半、別れがたくて居残り、次の歌会の日程や、支部会員名簿の作成を決めた。

 支部の実務担当者も改まったようだ。僕は今日は協力できなかったけれども。

2012年12月 8日 (土)

石原吉郎・未刊詩篇

 花神社「石原吉郎全詩集」(1976年・刊)より、「未刊詩篇」を読みおえる。

 「Ⅰ 文章倶楽部・ロシナンテから(8編)」と「Ⅱ シベリヤ詩篇から(4編)」の2つに分かれる。

 「文章倶楽部」は投稿文芸誌だったらしく、「ロシナンテ」は1955年創刊の同人詩誌である。初出が彼の第1詩集「サンチョ・パンサの帰郷」の詩と重なる作品があるが、篩い分けの基準は僕にはわからない。

 「古い近衛兵」の末4行を引く。

  

  古い近衛兵

    (前略)

われらはたえまなく

雨によごれたひげをひねり

はみだした勇気をおしこんでは

不発の衝動をひきよせる

  「シベリヤ詩篇」は、抑留時代に創って記憶していた作品を、書き残したものである。文語調の詩である。

 「裸火」全5行を引く。

  

  裸火

    ( 一九五二年 ハバロフスク)

われやはらかき

手のひらもて

風に裸火をふせがん

またたける

いのちを掩はん

 生前の全詩集だったので、このあと2詩集がある。「足利」は所有しており、最後の詩集「満月をしも」は取寄せ中である。

2012年12月 6日 (木)

「石原吉郎句集」

 花神社「石原吉郎全詩集」より、「石原吉郎句集」を読みおえる。

 原著は、1974年、深夜叢書社・刊。

 俳誌「雲」に、1958年~1961年に発表した155句と、14句への自解を載せる。

 彼には、詩作以前に俳句を吟じた時期があり、今度は「雲」に誘われての、約3年間の句作だったという(句集あとがきに拠る)。

 その中で、詩作では追い詰めて行く心を、句作では解放しているようだ。

 以下に2句を引く。

絶叫や柘榴の傷はもはや癒えず

ヘルニアと未来をもちて寒に入る

Phm10_0103
ダウンロード・フォト集より、野の花の1枚。

本文とは無関係。

2012年12月 5日 (水)

岡部文夫「石の上の霜」

Cimg6637 岡部文夫(1908~1990)の歌集、「石の上の霜」を読みおえる。

 短歌新聞社、1977年・刊。683首。

 写真は、箱の表。

 岡部文夫はこののち、日本歌人クラブ賞、短歌研究賞、迢空賞、各賞受賞。

 当時の彼は、福井県坂井郡(現・坂井市)に住んだ。僕の「コスモス」入会が1993年だから、彼の亡くなったあとである。

 郷里の能登、福井の漁村の、厳しい環境に生きる老たちを描いて、情感がある。

 以下に7首を引く。

寺ふたつ養ふに足る谷の村漆に冨みて今にゆたけし

北潟の水の寒鮒を煮むといふ聞きてゆふべを待つはたのしき

原電に潤ふ海の村といへど心けはしく荒(すさ)びゆくらし

隠すなき貧を互みに貶めて一つ入江には一つ村あり

生きるだけ生きて用なき媼らの熱き銭湯をただに楽しむ

日の長くなりしを言ひてしろたへの清き豆腐を掌(て)の上に切る

長く生きし二人の今日のよろこびに蒲生の海の皮剥を煮る

2012年12月 4日 (火)

京極杞陽「くくたち 下巻」

 角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第5巻(昭和56年・刊)より、11番めの句集、京極杞陽「くくたち 下巻」を読みおえる。

 原著は、昭和22年、菁柿堂・刊。

 先の11月30日に紹介の、上巻に継ぐ。

 高浜虚子・序文(上巻と同文)、266句、後記を収める。

 この「くくたち」上下巻の内容は、敗戦前にほぼ定まっていたが、混乱の中でそのままになっていたものを、菁柿堂が出版したとの事である(上巻の自筆後記に拠る)。

 下巻の昭和17年~20年(敗戦直後を含む)の句にも、全く戦争吟がなく、僕には驚きである。

 以下に5句を引く。

秤置き駄菓子を売れる支那夜店

名刀ををさめし蔵に虫時雨

秋の夜を昼の如くに画きしゴホ

春空へ砂なげ上げてあそぶ子ら

若き画家雪の但馬の景をほめ

Phm02_0332
ダウンロード・フォト集より、黄葉の1枚。

本文とは無関係。

 

2012年12月 3日 (月)

石原吉郎「北條」

 花神社「石原吉郎全詩集」(1976年・刊)より、6番めの詩集「北條」を読みおえる。

 原著は、1975年、花神社・刊。

 先の11月29日に紹介した、「禮節」に続く詩集である。

 石原吉郎(1915~1977)にはこのあと、「足利」「満月をしも」の2詩集がある。

 全詩集に載る、最後の詩集である。このあと、句集と未刊詩篇等を収める。

 「北條」では、「一條」「北條」から始まる散文詩で、語感に頼りながら、詩を成り立たせている。

 彼の郷愁が満たされた(彼の思いと、戦後日本の心情・風土には違和があったようだ)時期か。しかし言葉の上でだけの事かも知れない。

 「痛み」という散文詩で彼は、「 最後に痛みは ついに癒されねばならぬ」と書く。最後まで癒されぬ痛みもあるだろうに。

Phm10_0597_2
ダウンロード・フォト集より、清流の1枚。

本文とは無関係。

2012年12月 2日 (日)

東谷節子「明日の神話」

Cimg6626 東谷節子(ひがしたに・せつこ)さんの第1歌集、「明日の神話」を読みおえる。

 2006年、短歌研究社・刊。青井史・帯文。

 彼女は、1938年・生れ、1990年「雁来紅(かまつか)短歌会」参加、1995年「かりうど」(青井史・創刊)の創刊に参加、現在に至る。

 夫の両親の老齢等により、西宮市で同居。娘の結婚、出産があり、舅の逝去、阪神大震災にも遭った。

 それらを経るには、短歌の力も大きかっただろう。

 イタリア・フランス・旧東独を訪う旅、風の盆への旅、9・11、イラク戦反戦運動なども、詠われている。

 古典文法、新かな遣いを用いる。

 以下に8首を引く。

嫁ぐ日の迫りて寡黙になりし娘は微笑むこと多し吾に対いて

「嫁からの義理チョコですが」と差出せば舅ははつかに笑み給うなり

父母と共に老いゆく明け暮れの夫の寡黙は病にも似る

面伏せて胎児を庇う娘には母なる仕草のすでに身につく

ローソクの芯の如くに病み細り舅は風熱き七月に果つ

舅という支柱失くせし姑の蔓宙に揺れいる如き危うさ

「しんどい」と言いつつ夫は足軽く二度目の勤めの朝を出でゆく

全身の骨の疼きに喘ぎつつ「もう死なして」と姉は言いにき(急性白血病)

2012年12月 1日 (土)

ようやく100件

Imgp0015_2











 今年9月23日に、一応の完成をみた(記事あり)「蔵書文庫本データベース」(3,374件に数件追加)に続き、新書のデータベースをExcel2010で作成しており、先日にようやく100件に達した。数百件で終わるだろうと予測している。

 ガイド本というか、「できるExcelデータベース」(インプレスジャパン、2010年・刊)を参考に、また文庫本での経験を生かして、わかりやすくした積もりである。

 新書は、時事的な内容が多くあり、すぐに内容が(社会的、科学的、を含め)古びてしまう。

 100件めは、小林直樹「憲法第九条」(岩波新書、1982年・初刷、1993年・27刷)であった。

 写真をクリックして、拡大してご覧ください。

ブログランキング

  • 応援のクリックを、よろしくお願いします。
  • ブログ村も、よろしくお願いします。

最近のトラックバック

ブログパーツ

  • ツイートをフォローしてください。
  • 3カウンター
  • アクセス解析

更新ブログ

Powered by Six Apart
Member since 04/2007

日本ブログ村

  • 日本ブログ村のリストです。

人気ブログランキング

  • 応援の投票を、お願いします。

アンケート