思潮社「広部英一全詩集」より、7番めの詩集「苜蓿」を読みおえる。
原著は、1997年、詩学社・刊。第9回「富田砕花賞」受賞。
今月19日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「愛染」に続く詩集である。
広部さんは、母親の早逝によって、詩の方向を定めた。詩を書く事によって、心の傷の癒し、罪障感の浄化をはかって来た。
そして、地域のトラウマを持つ後輩文学者たちを、文学創作による回復の契機を分かとうと、支援したのではないか。
日常生活を愛惜する思いはあっても、形而上の「逝いた魂」に深く関わって、生活詩を書くいとまが無かったのだろう。
1997年1月には、詩の盟友・南信雄さんを57歳の若さで亡くし、いよいよ亡き魂との交流の思いは、深まっただろう。
角川書店「増補 現代俳句大系」(全15巻)の第8巻(1981年・刊)より、7番めの句集、前田普羅「能登蒼し」を読みおえる。
原著は、1950年、辛夷社・刊。
長い自序(原著で16ページ)、147句、後記を収める。
「春寒浅間山」(2012年12月8日の記事で紹介)、「飛騨紬」(2013年2月16日の記事で紹介)と合わせて、3部作を成す。
前田普羅(まえだ・ふら、1884年~1954年)が、戦前から雪国の風土より句作した事は尊い。
以下に5句を引く。
竹を伐る人にやむなし雪解雨
早桃嚙んで能登の入江を渡りけり
鳥屋の径熊笹そめて夜明けたり
鰤の尾に大雪つもる海女の宿
棹立てゝ船を停むる海鼠掻き
小学館、1985年・刊。
5冊シリーズの3冊めで、今月12日の記事(←リンクしてある)、「同 夏」に続くものである。
秋の風物としては、山間の紅葉、稔り田・刈り田くらいしかない。
旧型の1輌電車、2輌電車が、それらを縫って走るさまは、ノスタルジーを呼ぶ。駅名表示板の写真を集めた3ページも、民俗的でかえって興趣深い。
それとは別に、「愛子(あやし)駅」が紹介されていて、漢字の印象と訓みの印象が、これほどかけ離れているのも珍しい。
僕は鉄道マニアではないので、これらの鉄道が現在、どのような様か知らない。
思潮社「広部英一全詩集」(2013年10月・刊)より、6番めの詩集、「愛染」を読みおえる。
今月10日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「はがき詩集『邂逅以前』」に継ぐ詩集である。
原著は、1990年、紫陽社・刊。第31回「中日詩賞」受賞。
6章、27編より成る。
作品を論ずる前に、確認して置きたい事がある。
広部さんが、公務員として実直な生を遂げた事。無頼派・破滅型の詩人ではなかった。
詩の後輩を支援した事。多くの詩集の跋文を書き、地元文学者の多くの本を雑誌等の批評で好意的に取り上げた。また多くの読書会を主営した。
3つめに、生活詩を越えた、形而上の詩を書いたこと。これについては、次回までの宿題としたい。
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