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岩波書店「近藤芳美集」全10巻の、歌集編最終巻、第5巻(2001年・刊。写真は、函の表)に入り、初めの第18歌集「希求」を読みおえる。
昨年12月24日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「風のとよみ」に継ぐ。
原著は、1994年、砂子屋書房・刊。600首を収める。
1991年のソ連・解体、東欧・ギリシア・グアム、サイパン・フランスへの旅と共に、日常が詠われる。
それまでギリシアへの旅を重ね、古代建築等への関心を示している。
僕は古代ギリシア・ローマの詩を少し読み、ギリシア悲劇集も「ちくま文庫」で読んだ。ギリシア古典等に関心を寄せるのは良いが、ルネッサンス以後のギリシア理想化は過ちだと僕は思う。
以下に7首を引く。
麵麭炙ぶるひとりの午後を片空の黄に澄み雪の曇りひろがる
必ずありてならぬ戦争となす怒り今を無力の怒りともして
一世界瓦解のために伝えらる何のクーデター街に人出でて
待ちたまう詩人たちゆえ街に訪う吾らギリシアを発たむ前の夜
アルルの町行きつたうころ雨の過ぐる無名のゴッホの歩む石だたみ
うずたかき毛髪の堆靴の堆ガス室へつづく影は全裸に
巣に籠る雉鳩も巣を狙う猫も青葉に暗し稿に倦まむとて
総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2016年2月号の発売日、1月14日にAmazonを見ると、新刊は売り切れで、古本にはとんでもないプレミアムが付いていた。
楽天ブックスには、新刊が定価であったので、そこで注文した。「あす楽」というのか、翌日に届いたと記憶する。「第27回歌壇賞決定発表」他がある。
1月18日に、結社歌誌「コスモス」2016年2月号が届いた。
僕の歌は(10首出詠のうち)、4首選だった。内容は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の、1月19日付け記事(←リンクしてある)にアップしたので、ご覧ください。
2015年11月・刊。
同誌・54号は、昨年9月21日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
大所帯のグループの強さを思う。1部の会員が去っても、ある会員が病気で休んでも、グループの活動は続いて行く。
扉詩に次ぐ巻頭の、H・はつえさんの「ひつじ雲」の冒頭、「秋空の高い雲の間に/ひつじを数匹ばかり放してきた/そうすると数日中に一匹残らずいなくなる/生贄になるひつじ達/大空では信じがたい惨事が起きている//…」と始まる。
それに次ぐ、N・千代子さんの「ヒトは表現する生き物」では第3連、「体験と感受性だけでは/詩は書けないようだ/…/踏みとどまって技を鍛えることも必要か/…」とある。
同誌の作品が、レトリカルに、フィクショナルになっているようだ。僕の思い違いか。詩壇の流れか。誰かの発案か。
まやかしの言葉のはびこる現在こそ、リアリズムの言葉で抵抗すべきではないのか。いずれ、小詩人(短歌も書いている)の僕の呟きである。
今月10日に購入を報せた、有川浩「ヒア・カムズ・ザ・サン」を読みおえる。
新潮文庫、2013年・刊。
僕はこれまで、有川浩(ありかわ・ひろ、女性作家)の小説、「レインツリーの木」「阪急電車」「植物図鑑」を、いずれも文庫本で読んで来た。
直近の「植物図鑑」は、昨年11月4日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
「ヒア・カムズ・ザ・サン」と「ヒア・カムズ・ザ・サン parallel」が収められる。
前者の立派な父とその友人より、後者の才能がなくだらしない父親に思い入れが多くなる。
それは僕や多くの父親が(と思う。社長や大臣は別として)、妻子に充分に為していない、という思いがあるからだろう。
仲介役(主人公・古川真也)の重要さが、よくわかる。
小さな旅があり、明日以降2、3日、記事更新を休みますので、宜しくお願い致します。
青土社「トラークル全集」(1987年・刊)より、第2詩集「夢のなかのセバスチャン」(没後に刊行)を読みおえる。
彼の生前唯一の詩集「詩集」は、昨年12月15日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
トラークル(1887年~1914年)は、文学活動をしながら、酒と麻薬に耽溺し、27歳でコカインの過剰摂取により、自殺したとされる。
彼の詩を愛した者に、彼の友人の他、ウィトゲンシュタイン、ハイデッガー、リルケがいる(Wikipediaに拠る)。
彼の詩の色彩語の多用は、僕の経験からすると、詩作の初期に表われ、のちに他の表現に吸収されるものだ。彼が後々まで色彩語を多用したのは、彼の27歳の若い死であっても、麻薬等の影響、家族関係の影が差している、と読むよりない。
第1次世界大戦という、世界の没落、を体現した詩人でもあったのだろう。
角川書店「現代俳句大系」第10巻(1972年・刊)より、8番めの句集、平畑静塔「月下の俘虜」を読みおえる。
この前の赤城さかえ「浅蜊の唄」は、昨年12月22日の記事(←リンクしてある)にアップした。
原著は、1955年、酩酊社・刊。647句。
平畑静塔(ひらはた・せいとう、1905年~1997年)は、精神科医として病院に勤め、1951年にカトリックに入信するが、その後離れる(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊、他に拠る)。
「月下の俘虜」には、京大俳句を含む「初期」90句、俘虜・復員・帰還の「終戦以後」54句と少なく、「天狼時代」503句が多くを占める。
以下に5句を引く。
ホテル裏花の墓場が昏れてゆく
一身の芋八貫と汗ともどる
無花果を食ふ天刑の名をうけて
宛てがはれ住みつく棟の雀の巣
春月に妻一生の盥置く
結社歌誌「コスモス」2016年1月号の、「その二集」通常欄を読みおえる。
その前の「あすなろ集」読了は、今月9日の記事にアップした。
入会したての人たちは、心配があるだろうけれど、ある選者は「少し努力すれば、昇級できます。」と述べていた。
歌誌(結社誌だけでなく、総合歌誌を含めて)と歌集(廉価なアンソロジーも多く出ている)を読むこと。出詠10首だけでなく、たくさん詠むこと、等。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。H・千恵子*(新かな遣いのマーク)さんの3首より。
ふと消えし言葉ひとつにこだわりて茜の雲のほぐれゆく見ゆ
ナイスな1句か2句が浮かんだのに、ふと忘れて、思い出せない事は、僕もある。
角川EPUB選書・松尾豊「人工知能は人間を超えるか」(2015年3月10日、デジタル版初版・発行)をタブレットで読みおえる。
購入・ダウンロードについては、先の1月5日の記事(←リンクしてある)にアップした。
技術的な説明は、僕にはよくわからない。「リカレントネットワークに関する研究、たとえばLSTMと呼ばれるニュートラルネットワークの研究が進んでいる。」と読んでも、何の事だか。少しわかった事について、以下に書く。
「人間のように考える」という意味では、人工知能はまだ出来ていない、と著者は考えている。
人工知能の研究は、隆盛期と冬の時代を繰り返し、現在3回めの隆盛期を迎えている。
ディープラーニングという技術によって、人工知能の大きな山を越えつつある事。
「人工知能は人間を超えるのか。答えはイエスだ。」
日本は人工知能研究への投資、その後に必要なビッグデータの蓄積で、遅れを取っているが、研究者の人材が豊かである。
パソコンのOSでマイクロソフトに、CPUでインテルにほぼ独占されて日本の企業が苦しんだが、人工知能をめぐって、そのような事態にならないようにすべき事。
先の1月8日(金曜日)に、ショッピング・モール「パワーセンター ワッセ」(大型ビルではなく、広場に1階建ての多くの店が、四角形に並び、中央は駐車場になったもの)内の事務用品店「COPY EXPRESS」で買い物し、帰途にTSUTAYA(店名は知らない)に寄った。自動車で行くので、帰途には左側のその店が入りやすい。
文庫棚では、流行が変わったのか、なじみの作家の名前が、売り出し中のコーナーにない。
有川浩(ありかわ・ひろ)の名前を覚えていて、あいうえお順の作家名で探して、シリーズ物でない「ヒア・カムズ・ザ・サン」を買うことにした。
新潮文庫、定価・529円(税込み)。Tポイントを173ポイント全部使った。
この文庫本には、「ヒア・カムズ・ザ・サン」と「ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel」が収められ、後者は前者を舞台化したものを観ての(ノベライズでない)parallel worldだという。作家の想像力は、果てしないものだ。
全集類など読みかけの本が幾つかあるのに、また本を買った。読みおえたなら、ここで紹介したい。
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