カテゴリ「タブレット本」の36件の記事 Feed

2016年2月22日 (月)

若山牧水「くろ土」

 Kindle本「若山牧水大全」より、第13歌集「くろ土」を、タブレットで読みおえる。

 この前の「溪谷集」は、先の1月6日の記事(←リンクしてある)で紹介した。

 「くろ土」は、1921年(大正10年)、新潮社・刊。999首を収める(牧水は千首だと、自序で書いている)。

 自序で「『やれやれ今になつて漸く自分には歌といふものが解つて来たのかなア』といふ気持である。」と述べるごとく、後期の牧水の声価を定めた大歌集である。

 以下に8首を引く。

わが屋根に俄かに降れる夜の雨の音のたぬしも寝ざめてをれば

筒鳥のこもりて啼くはいづかたの杉にかあらしこのおほき谷の

児等病めば昼はえ喰はず小夜更けてひそかには喰ふこの梨の実を

杉垣の下葉は枯れて秋の日のあきらかなるに雀あそべり

陸稲畑過ぎ来て此処におもはぬに会へる水田の稲のつめたさ

あたりみな光りひそまる冬山の落葉木がくれこの小鳥啼く

寒き日の浅間の山の黒けぶり垂りうづまきて山の背に這ふ

夜為事の部屋にうごける風ありてこの春の夜の雨はやみたり

Photoダウンロード写真集「フォト満タン」より、冬景色の1枚。

2016年2月 9日 (火)

国木田独歩「湯ヶ原より」

 Google Play Booksよりタブレットへ、以前に無料でダウンロードした、国木田独歩「湯ヶ原より」を読みおえる。

 「僕」から「内山君」に宛てた書簡で、失恋を告白する態の短編小説である。

 湯ヶ原温泉に療養に来た学生と、その宿の女中である娘が、ともに憎からず思う、プラトニックな恋をした。翌年、再び逢いにゆくと、そのお絹さんは結婚するために帰郷すると宿を出たところで、僕は失恋する、というストーリーである。

 内容はうぶだが、友への語り口調で、口語文体の小説の困難な時期だったろう。

 フィクションの構成、レトリックもさりげない。

Photo「フリー素材タウン」より、蝋梅の1枚。

2016年2月 7日 (日)

タブレットより啄木「一握の砂」

 Google Play Booksよりタブレットに無料ダウンロードしておいた、石川啄木「一握の砂」を読みおえる。

 僕の短歌の始めというより、僕の文学の始めといって良く、「悲しき玩具」と共に、繰り返し読んで来た。

 繰り返し読んでいると、「立原道造詩集」と同じく、評論等にあまり取り上げられない作品でも、意義ある作品ばかりである。

 この版の表記に、9首め「しっとりと/なみだを吸へる…」などとあって、驚く。旧かなでは「しつとりと」である。底本は「日本文学全集」12「国木田独歩 石川啄木集」集英社、となっており、その本を見ると確かにそうなっている。

 さらにこの歌集は、その全集本を基として、インターネット図書館「青空文庫」で作られたファイルを基としており、そこでも「しっとりと」等となっている。。

 この流布は困った事だ。手許の新潮文庫・石川啄木「一握の砂・悲しき玩具」では「しつとりと」となっている。作品全体に促音・拗音の小文字はない。

 何か表記のルールがあるのだろうか。

 今から啄木を読むなら、先の新潮文庫をお奨めしたい。今でも流通しているかどうかは、知らないけれども。

Photo「フリー素材タウン」より、蝋梅の1枚。

2016年1月31日 (日)

Kindle版「立原道造詩集」3読

 1昨日の記事にアップした通り、AmazonのKindle版「立原道造詩集」を、タブレットで3読しおえた。

 同・再読は、昨年11月15日の記事(←リンクしてある)にアップした。

 出来るだけ引用を多くしたい。「みまかれる美しきひとに」より第3連「こよひ湧くこの悲哀に灯を入れて/うちしほれた乏しい薔薇をささげ あなたのために/傷ついた月のひかりといつしよに これは僕の通夜だ」。「草に寝て」の最終行「希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた」。「初冬」より「けふ 私のなかで/ひとつの意志が死に絶えた…//…やがてすべては諦めといふ絵のなかで/私を拒み 私の魂はひびわれるであらう//…」。

 彼の恋は不器用だった。最後に純粋で献身的な恋人を得たけれども、結核病のため24歳で没した。

 彼は花や雲や川や恋人をうたっただけでなく、時代に抵抗しつつはかなく敗れていく、若者の心情をうたった。

Photoダウンロード写真集「フォト満タン」より、雪景色の1枚。

2016年1月11日 (月)

松尾豊「人工知能は人間を超えるか」

Photo 角川EPUB選書・松尾豊「人工知能は人間を超えるか」(2015年3月10日、デジタル版初版・発行)をタブレットで読みおえる。

 購入・ダウンロードについては、先の1月5日の記事(←リンクしてある)にアップした。

 技術的な説明は、僕にはよくわからない。「リカレントネットワークに関する研究、たとえばLSTMと呼ばれるニュートラルネットワークの研究が進んでいる。」と読んでも、何の事だか。少しわかった事について、以下に書く。

 「人間のように考える」という意味では、人工知能はまだ出来ていない、と著者は考えている。

 人工知能の研究は、隆盛期と冬の時代を繰り返し、現在3回めの隆盛期を迎えている。

 ディープラーニングという技術によって、人工知能の大きな山を越えつつある事。

 「人工知能は人間を超えるのか。答えはイエスだ。」

 日本は人工知能研究への投資、その後に必要なビッグデータの蓄積で、遅れを取っているが、研究者の人材が豊かである。

 パソコンのOSでマイクロソフトに、CPUでインテルにほぼ独占されて日本の企業が苦しんだが、人工知能をめぐって、そのような事態にならないようにすべき事。

2016年1月 6日 (水)

若山牧水「溪谷集」

 Kindle本「若山牧水大全」より、第12歌集「溪谷集」を、タブレットで読みおえる。

 昨年12月26日の記事(←リンクしてある)、「さびしき樹木」に継ぐ。

 原著は、1918年(大正7年)、東雲堂書店・刊。

 304首を収め、序文も目次も跋文も無いとされる。4章を立てる。

 旅中吟の大作がほとんどを占め、晩年の歌風の完成期に入りつつあるとされる(短歌新聞社・版「若山牧水全歌集」解説より)。

 以下に7首を引く。

さりげなく起居はすなれ秋曇る家に篭れば悔ゆること多し

秋晴れて風の冴ゆれば貧しさも忘れてうごくわがうからどち

はだら黄の木の間に見えて音もなく流るる此処の淀深からし

一人乗り二人乗りたるとりどりに筏は過ぎぬ秋光る瀬を

山窪に酔ふばかりなる日の照りてひとりくるしき冬日向かな

釣りランプ静かにともり降り出でし山の時雨にうちゆらぐみゆ

わが船に驚き立てる鴨の群のまひさだまらずあら浪のうへ

Photo_2フリー素材サイト「Pixabay」より、赤蕪の1枚。

2016年1月 5日 (火)

松尾豊「人工知能は人間を超えるか」

Photo 昨年末、AmazonのKindle本コーナーより、1冊を購入し、Kindle for PCにダウンロードし、タブレットに同期した。

 松山豊「人工知能は人間を超えるか」。角川EpuB選書。99円(-23ポイント)。

 序章を含め、全8章で人工知能の基礎から現在・未来まで見通そうとする。

 人工知能への関心は、パソコン等と少し関わっているからだけではない。

 僕は囲碁に熱中していた時期があり(プロフィール参照)、現在ではパソコンはプロ囲碁棋士に勝てていないが、お隣の将棋ではプロ高段棋士がパソコンソフトにぼろぼろ負けた。

 体力・知力の持続の面などもあるとされるが、ショッキングな事だった。昨年の対戦ではプロ棋士側が勝利している。

 ディープラーニングというものも含めて、人工知能の全体地図を知りたく、今少しずつ読み進めている。

2015年12月26日 (土)

若山牧水「さびしき樹木」

 Kindle本「若山牧水大全」より、第11歌集「さびしき樹木」を、タブレットで読みおえる。

 今月13日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「白梅集」に継ぐ。

 原著は、1918年(大正7年)、南光書院・刊。200首を収める。

 自序で牧水は、夏が好みにおいて最も親しいが、心身ともに萎えるその夏と、初秋の作と述べている。

 以下に7首を引く。

雀啼くなんといふそのたのしげのほしいままなる啼声かいま

青嵐立たむとならし楢の葉のきらりきらりと朝日に光る

あはれはれ雨かも降ると起き出でて見やればけうとき青葉のひかり

道ややに登りとなれば桑畑のをりをり絶えて雑木の林

暫くは世のことぐさを思はずてひとりぞあらむこの朝風に

さまざまのひとを思ひ倦み起き直り船より見たる沖津辺の浪

松茸のかをりを嗅げば村住の友がこころに触るるおもひす

Leek318156_640フリー素材サイト「Pixabay」より、葱の1枚。

 

2015年12月13日 (日)

若山牧水「白梅集」

 Kindle本「若山牧水大全」より、第10歌集「白梅集」をタブレットで読みおえる。

 今月7日の記事(←リンクしてある。クリックすればジャンプする)にアップした、「朝の歌」に継ぐ。

 原著は、1917年(大正6年)、抒情詩社・刊。妻・喜志子(247首)との合著であり、牧水は222首。

 自序で「ともすれば絶望的な、自暴自棄的な」所が見えると書いている。物を視る目が据わってきたように、僕は思う。

 以下に7首を引く。

朝起きの萎えごころか椋の葉にうごける風を見ればいとはし

われと身を思ひ卑しむ眼のまへに吾子こころなう遊びほけたり

夏草の茂りの上にあらはれて風になびける山百合の花

ちからなき足をうごかしあゆまむとあせる甲斐なさいまはやめなむ

酒のめばなみだながるるならはしのそれもひとりの時に限れる

何はあれあたり明るく見え来たりここに斯くあるわれとなりにけり

戸を繰れば雪は背より高かりしその窓かげに今日もこもるか

Photoフリー素材サイト「足成」より、山茶花の1枚。

2015年12月 7日 (月)

若山牧水「朝の歌」

 Kindle本「若山牧水大全」より、第9歌集「朝の歌」をタブレットで読みおえる。

 先の11月30日の記事(←リンクしてある)にアップした、「砂丘」に継ぐ。

 原著は、1916年(大正5年)、天弦堂書房・刊。273首。

 写生ではないが、牧水が自然主義歌人と呼ばれる故が、わかるような作品が多い。初期の悲嘆調はない。

 喫茶店へ一人で行き、タブレットより牧水歌集を読むのが、自慢がましい僕の楽しみである。

 以下に7首を引く。

近山は紅葉さやかに遠つ山かすみかぎろひ相模はろばろ

下野の言すくななる友を思ひそが贈物鴨をわが煮る

浜に続く茅萱が原の冬枯に小松まじらひわが遊ぶところ

梅の花はつはつ咲けるきさらぎはものぞおちゐぬわれのこころに

遠松のこずゑに風は見ゆれども此処は日うらら妻よ息はな

曇り日のこころいぶせみうち出でて来しは山田の枯草の畔

帰る雁とほ空ひくく渡る見ゆ松島村は家まばらかに

Photoフリー素材サイト「足成」より、山茶花の1枚。

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