同人詩誌「群青」の発行母体「群青の会」のメンバー、AUさんより集まりたい、という話があって、こぐま星座さんに調整を依頼して、今日の午後6時より、メンバーのAUさん、こぐま星座さん、僕の3名が、喫茶店「モントリオール S店」に集まった。
前回は4月14日に同店に集まって(記事あり←リンクしてある)以来である。
まず前回にAUさんより借りた詩誌、「現代詩図鑑」を返し、新たにA盛勝さんの詩集「夢のかけら Ⅲ」を頂き、詩誌「ゾエア」第13号を借りた。こぐま星座さんとAUさんの間にも同様の事があったようだ。
AUさんは、青山茂根の俳句、光森裕樹の短歌を、短冊ようの紙に、それぞれ20枚くらいペン書きして来て、好みの作品を僕ら2人に選ばせ、それについて語り合った。研究会の再開を願っての事だったか?
店が7時閉店なので、その直前まで語り合って、散会した。
季節に合わせて。
県内に在住の詩人・T篤朗さんが、お手紙を添えて、「群青の会」宛てに、同人詩誌「果実」68号をを送って下さった。
昨年11月3日に、同誌67号を紹介して(記事あり←リンクしてある)以来で、年2回の発行である。
同人6名は、元教員である。
B5判、36ページ。
F則行さんの「入学式」、N明徳さんの「雪道」、K不二夫さんの「箱をつぶす」、W本爾さんの「赤いポスト」、それぞれ事象に言づけて思いを述べる。
T篤朗さんは6編の詩を寄せている。
その中の「家族」では、通りかかった村の家で、父親の帰宅を待つ子とその母親の会話に、心に灯ったものを描く。
この時代に、家族は最後の砦になり得るだろうか。
先の4月29日の1番めの記事で到着を紹介した、「ハイドン作品集」(CD150枚+解説CD1枚)の内、今日は3枚めと4枚めを聴いた。交響曲第9番~第16番。
写真は、左が3枚め紙ジャケットの裏、右が4枚めの表である。
ハイドンは、1732年生、1809年没の、オーストリアの古典派の作曲家。生涯に1000曲程を作曲したとされる。「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」とよばれる。(ウィキペディアより)。
交響曲は、なだらかな起伏だけでなく、迫力に富んだ所もある。
パソコンの(今回は)WindowsMediaPlayerでかけて、隣室で本を読んでいたのだけれど、いや味がなく、かえって思わず本より目をあげて、曲に集中するのだった。
楽天ブックスの「ネオウィング」に注文していた、狩野一男・歌集「悲しい滝」が届き、先日に読みおえた。
2012年、本阿弥書店・刊。
4冊めの歌集、帯。385首。
氏がクモ膜下出血を起こし、4度の脳外科手術を受けて、立ち直るさまと、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災により罹災した氏夫妻の故里への愛情が、歌の源となっている。
現実を見つめて詠い、おのずと悲痛とユーモアを醸す作品がある。
以下に8首を引く。
退院後三百余日、再発を警戒しつつさくらに見(まみ)ゆ
クモ膜下出血を経てウツ病をわけもわからず直(ひた)走るかな
はつあきの夜の不覚の涙かな毛利ひいなの死をくやしみて
前頭葉、側頭葉にひびくかな春のいろんな風景の音
ありて無きごとき故郷となるなかれ妻の釜石われの栗原
惨状を目の当たりにし諦めがつきたるらしも泣きつつ妻は
古い深いうつくしいはた新しいやさしい強いわが東北は
いろんなるあの日の果ての今日にして思へば遠く来たり 老いたり
大松達知(おおまつ・たつはる)氏が、「コスモス短歌会」F支部へ贈って下さった歌集のうち、第2歌集「スクールナイト」を読みおえる。
2005年、柊書房・刊。
帯、465首。29歳から33歳の作品。
彼は高校生時代に短歌を詠み始め、中学・高校で英語を教えている。
既婚であり、当時は子供さんをもたなかった(現在は、1子をもうけていられる)。
そのような状況で、時に軽妙な詠みぶりに読まれながら、彼は文学(言葉、短歌)と人生の深部を探っているようだ。
以下に7首を引く。
焼きそばをあと何度食ふ人生か 味濃かりけり母の焼きそば
あなたには(くつしたなどの干し方に)愛が足らぬと妻はときに言ふ
いつしんに砂地を掘りてゐる夢をおだやかなりし日の果てに見つ
お米おねがい 失踪前のメモのごとく妻の指令がくだされてゐる
われとわが父のジョークは似てゐるとふきげんなとき妻は言ふなり
私語ほども罪はなけれど不登校の生徒の親がひたに謝る
まじめにてやや鬱気味の生徒なりき うるせーばばーと言つて治りき
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