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神西清が昭和初期に翻訳したものを、新仮名、新漢字に改めた訳文は、興趣の深いものである。
「スペードの女王」は、カード賭博を巡る怪奇物語である。筋は戒めているように見せるが、賭博の狂気をよく表わしていると、僕は思う。
「ベールキン物語」は、5編よりなる連作短編集で、故人等の原稿に序文を付けて発表する、という体裁は古今東西を問わぬ形式である。
旧・ロシアの階級を問わぬ人情が描かれて、僕の好みの物語である。最後の「贋百姓娘」は、「ロミオとジュリエット」のように、対立する2家の娘息子の恋物語だが、喜劇的な展開の果て、ハッピーエンドに至る、微笑ましいストーリーである。
旧・清水町の「きらら館」庭園の詩碑前で、碑前祭。M迪夫さんの実行委員挨拶、2名による広部さんの詩の朗読、K明日夫さんが「広部英一を語る」で4年越しの「広部英一全詩集」の完成を含めて語った。
詩碑へ献花、献本を以って、碑前祭を終えた。
「きらら館」の1室に移って、「広部英一を偲ぶ会」が持たれた。参加者は、世話方の「清水 詩の会」の方たちの予想を越え、長テーブルを1つ追加しても足りない程だった。僕は「群青」同人のAUさん、こぐま星座さんと並んで、末席近くに座った。
11名の方が故・詩人を語り、実弟の方のハープ演奏を挟み、広部夫人の謝辞で「苜蓿忌」を締め括った。
参加者全員ではないが、「広部英一全詩集」が分けられ、僕も1冊を頂いた。帯、箱、栞、774ページの、立派な本である。思潮社、2013年10月1日・刊。
これまでに3人が集まった2回は、僕の私情で、ブログにアップしなかった。
誌面稿は、筆者の自己責任ということで、見てもらった。指摘される点はなかった。
3人の詩とAUさんのエッセイについて、感想を軽く述べ合った。
AUさんのエッセイの主題である、詩人・作家のつかさんの逝去を巡って語り合った。
今日の午後に催される苜蓿忌に、こぐま星座さんとAUさんも参加する事になった。その忌祭については、明日の記事にアップしたい。
「群青」第28号の誌面稿は、新しくプリントし直したので、明後日7日(月曜日)に、いつもお願いしている宮本印刷へ、持ち込む予定である。
写真集としてはこれまで、「探訪 日本の古寺」(全15巻)を見て来て、今年7月8日の記事(←リンクしてあり)で第3巻に至ったのだけれど、嫌気が差したので、しばらく中断する。
この時節に「祭り」でもないだろうという意見もあるだろうが、郷土愛の1表出として、各地の祭りを見ていきたい。
「① 東北・北海道」では、東北の有名な「ねぷた」「ねぶた」等の他、小さい祭りまで多く取り上げられている。
大震災の諸事情で取り止めになった祭り、逆に復興の1表象として催された祭りもあるだろう。
北海道の祭りでは、アイヌ民族の行事を全体的に記録しておく必要があると思う。
100ページのカラー写真篇は見たけれど、それに続く73ページに渉る研究・解説篇は読まなかった。忙しい(?)し、研究する訳ではないので、ご寛恕願いたい。
この巻では、先の9月26日の記事(←リンクしてある)にアップした、八木絵馬「月暈」に継ぐ句集である。
原著は、1949年、高山書院・刊。722句。
富安風生の長い長い序文は、1時の虚子に倣ったものであろうが、見苦しい。
また敗戦日の3句が載るが、嘆きも喜びもなく、「万象すぐる」と吟じて、人事ではないかのようである。
またメーデーの1闘士、われら労働者、と吟じるが、大衆より恵まれていた事は明らかで、庶民ぶる事はない。生活では誠実だったようだけれども。
以下に5句を引く。
傷兵と子に噴泉の水は涸れ
巫女も持つ時代祭の長刀を
凍つる夜のラジオは軍歌もて了る
午すぎてよりの暑さの法師蟬 (昭和20年8月15日)
煮凝や子なき夫婦の相頼り
島田修三・帯文。
染野太朗(そめの・たろう)さんは、1977年・生、1995年「まひる野」入会、2004年より教職に就く。
欺瞞の多い生活に悩み、心を病んで、休職、通院したが、復職したようだ。
教職は羨ましいようだが、ストレスが多く、悩みも多いようだ。
以下に7首を引く。
元素記号を唱えるように結婚を告げたる友この明るさは何
教室のうしろに立った母たちの海で死んでも濡れない茶髪
玉葱を炒めておれば鍋底にうらみつらみの凝りはじめぬ
銃弾を箸につまめば店員が銃を差し出す「それ〈当たり〉です」
桃色の布団に妻は尾の切れた蜥蜴のようだ伏して泣きおり
アイビーがこのひと月をまた伸びて心療内科の待合室に
東京に降る雪よりもあっけなくぼくの不安は新薬に消ゆ
目次ページが9月号と同じだったミスは、1珍事だろう。
短歌作品をおもに読んで、散文(評論など)では全部を読まなかったものもある。
高野公彦(「コスモス」編集長、他)の「へびの目」20首に注目。
次の「原子炉の炉心溶融(メルトダウン)の焦熱か今年の夏の日々の猛暑は」「原発の真上通つたカモメ言ふ 空があつーい、羽が抜けるよ」2首には違和感を持った。
「原発は薄目で海を見てをりぬ薄目の奥に光る蛇の目」は、汚染水流出を当時に予言していたようで、怖くさえある。
特別企画「筑紫歌壇賞の作家競詠」が、12氏の作品を載せて、健在ぶりに僕は喜んだ。
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