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2013年9月の28件の記事

2013年9月30日 (月)

蓮本ひろ子「自動扉」

Cimg7249 昨日に続き「コスモス」の先達、蓮本ひろ子さんの第1歌集、「自動扉」(1979年、伊麻書房・刊、コスモス叢書第124篇、502首)を読みおえる。

 彼女は人との接し方が上手ではなかったようだ(僕が上手だと言うのではなく、また批判するのでもない)。

 自我の強い思いは、戦後の女性解放の思潮と、その後の沈滞化に関わりがあるかと、僕は現の状況を知らないながら推測する。

 彼女は「あとがき」で、「そして、あっ、と気がついたとき、最初、一本の藁でしかなかった短歌は、いつのまにか私の心の命綱にかわっていました。」と述べている。

 気になる歌が多いのだけれども、以下に7首を引く。

時ながく没り陽は照りてをさな子の乳の香そみし袷をほどく

上げ底の底剥ぐ如き同性の眼もて車中の女を眺む

関西弁聞くは心の安らぐと訛失せたる夫にしていふ

高速度撮影のごとゆつくりとパイプ引きぬき襲ひ来しとぞ

山津波に似たる時代を生きしかば筋の通りしことは信ぜず

種あかし知りたる手品みるおもひ齢(よはひ)かたぶき異性にむかふ

毎日のくらしのつけは必ずやわが身に来ると知りたり今に

2013年9月29日 (日)

等々力亞紀子「透明に」

Cimg7247 「コスモス」の先達、等々力亞紀子さんの第2歌集、「透明に」(1978年、白玉書房・刊、コスモス叢書第116篇)を読みおえる。

 結婚してわずかで夫と死別し、一人息子は遠く働き、自分も一人働いて暮らした。心苦しい生活で、短歌が生きる力の1つになったであろう。

 出版にあたり、宮師がすべての作品(538首)に目を通し、題を選び、題簽を書いた、と「あとがき」にある。

 彼女は健康で、働く意欲もあり、また「コスモス」大会に参加するなど、頑張り屋で羨ましい。

 写真は、箱の表である。

 以下に7首を引く。

疾風(はやち)吹く夕べの街に買ひもてりグラジオラスとダリヤの球根

わがひとり働く事に變らねど子に會ひてより何かがちがふ

疲れては椅子にゐねむりしています構へなき顔みて了ひたり

歳晩の勤めをさめて乘りたれば疲れねむりき終着驛まで

四十日添ひたりしのみの夫にして把へがたなくわが裡に生く

耳さとく齒の勁きことたのみとしあきらめ惡く老にし向ふ

夜の刻に除籍謄本いだし見つ父も母もまた夫も亡ければ

2013年9月28日 (土)

干刈あがた「黄色い髪」

Cimg7245 久しぶりの小説という形で、干刈あがたの「黄色い髪」(朝日文庫、1989年・刊)を読みおえる。

 干刈あがた(ひかり・あがた)は、1943年・生、1992年に胃癌のため逝去、享年49.

 「樹下の家族」でデビューし、10年間ほどの作家活動で、多くの作品を遺した(ウィキペディアを参照した)。

 「黄色い髪」は、中学2年生の夏美が、苛め、登校拒否、非行(体制側の呼び方とされる)を経験する物語だ。僕は痛ましい思いで読むだけだ。

 ただしご都合主義的な点もあって、苛めっ子が自ら転校するとか、非行(?)グループに加わらず、丸刈り頭にしてもらって、登校するようになる、などの筋がある。

 彼女の小説を、もっと読みたいと思う。

2013年9月27日 (金)

野中洋子「絵本の山猫」

Cimg7240_2 野中洋子さんの、「緑の歴史」に続く第2歌集、「絵本の山猫」を読みおえる。

 2008年、砂子屋書房・刊。帯。412首。

 山田富士郎「解説」7ページ、自身の「あとがき」を付す。

 当時、彼女は「未来」の山田富士郎・選歌欄に参加していた。

 優しい心で生活を詠んで、新しさや強さは少ない。引用ではそれらを多く引いた。

 僕がそれらを強く求める訳ではないが、やや類型的な作品になってしまいかねない。

 なお歌集名から示唆される、メルヘン調の作品は、ないようだ。

 以下に7首を引く。

摘みて来し木の芽草の芽よろこびて食ひたる息子を見送りにけり

台風よ来るならこいと片寄せてスクラム組ます花の鉢百に

残飯を食ひにあつまる狸らをライトアップに見せる湯の宿

海鞘(ほや)といふ怪異なものに刃を入れて松のとれたる食卓にのす

さくら咲き紫木蓮咲き娘らとすごす二日のはやく過ぎたり

太刀に似てすらりとながき太刀魚の箔落ちやすし俎板の上

あへぎつつのぼりきたれば東屋のベンチゆづりてくだりゆく猫

2013年9月26日 (木)

八木絵馬「月暈」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第7巻(1981年・刊)より、9番めの句集、八木絵馬(やぎ・えま)の「月暈(つきがさ)」を読みおえる。

 原著は、1949年、七洋社・刊。

 同巻では、先の9月7日の記事(←リンクしてある)、「定本亜浪句集」に継ぐ句集である。

 1936年~1945年の約100句を四季別に、1946年~1948年の約200句を制作年順に収めて、敗戦を区切りにした所は潔い。

 彼は臼田亜浪・門で、俳誌「石楠」で評論面でも活躍した、と解説は述べる。字余りの句が多い事が、僕は気になる。

 以下に5句を引く。

橡咲けり人等疲れて笑ひやすく

春潮のたぎち寄せ来て鵜を翔たす

葉洩れ日の石階とぎれてはつゞく

囀りの湾に入り来て航をはる

叱咤せんとして咳き入りてしまひしか

Photo「フリー素材タウン」より、黄花コスモスの写真を1枚。

2013年9月25日 (水)

「コスモス」10月号

 結社誌「コスモス」2013年10月号を読みおえる。初めより「その一集」特選欄までと、「COMOS集」、「新・扇状地」、他である。

 僕が付箋を貼ったのは、次の1首である。「月集シリウス」22ページ上段。岐阜県、W久代さん。

吾子三人畦に這はせて育て来し今に思へば胸が痛みぬ

 僕の両親は専業農家で、藁で編んだ籠に僕を入れて畦に置き、田仕事をしたとエピソードを交えて、話してくれたものだった。僕はその事を恨みにも何にも思っていない。

 そうしなければ生活できなかったのだし、両親も必死に働き、少年となった兄弟も手伝って、ようやく生活できた。他の家族と比べる余裕もなかった。今となっては、良い思い出ばかりだ。

B「フリー素材タウン」より、コスモスの写真を1枚。

2013年9月24日 (火)

鈴江幸太郎「雪後集」「『雪後集』以後」

 初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、15番めの「雪後集」と、それより亡くなるまでの作品を全歌集に載せた、「『雪後集」』以後」を読みおえる。

 先の9月11日の記事(←リンクしてある)にアップした、「石蓴集」に続く、最後の作品群である。

 「雪後集」の原著は、1981年、初音書房・刊。328首。

 年譜の1980年5月、6月の項に、喉頭・声帯障害のためコバルト照射を受く、とあって癌だったようだ。

 1981年7月、「雪後集」」刊行。11月4日、逝去。12月30日、15歌集に「『雪後集」』以後」35首を加え、解説、年譜、後記を付して、全歌集・刊行。

 「雪後集」より6首、「『雪後集」』以後」より1首を引く。

暖かきみ冬の園をよろこびてまづ池の上の白梅(しらうめ)の花

五十年前のある夜の櫻ばな君も夫人も世盛りにして

夏ごとのかかる集ひも幾十年嗄れたる聲もすでに嘆かず

相鬪ひ若く死にしをあはれみて巌流島の名をとどめたり

老次(おいなみ)の我は登らず草靡け嶺を極むる友ら見てゐる

コバルトに日々に喉(のみど)を灼きて臥す今更にして命惜しめば

聲戚(しじ)む老といへども新妻のわが孫の聲にしばし救はる

A「フリー素材タウン」より、コスモスの花の1枚。

2013年9月23日 (月)

彼岸花とコスモス

Imgp0353

Imgp0354

 秋彼岸の中日なので、彼岸花が咲いているかなあと窓から見ると、赤い群落が見える。
 コンパクト・デジカメを持って、家を出る。近所の小川沿いの道の路肩に、幾つかの彼岸花の群落がある。今年はとりわけ大きい群落が目についた(去年もあったのかなあ?)ので、それを撮る。

 近くの不耕作田に、コスモスがこぼれ種からだろう、今年も咲いているので、写真を撮る。

 去年の彼岸花とコスモスの記事(←リンクしてある)は、10月2日付けである。

 家に帰って来ると、よい匂いがして、金木犀が咲き始めていた。

2013年9月22日 (日)

「日本出土の中国陶磁」

Cimg7235 写真集「平凡社版 中国の陶磁12 日本出土の中国陶磁」を見おえる。

 1995年、平凡社・刊。

 出土品であって、伝来品ではないから、良品は少ない。

 写真も、破片や修復品が多い。

 中には、完品や修復されて姿の整った品もある。

 青磁、白磁、他、気品がある。この本では、国宝1点、重文10点程も、載せられている。

 出土破片も、交易史や国内波及の、研究資料となるのだろう。

 この「中国陶磁」の目録を見ると、三彩、青磁、白磁、天目などの篇があって、興味が湧くが高価そうだ。

2013年9月21日 (土)

奥本守「泥身」

Cimg7228 奥本守(おくもと・まもる)さんの第2歌集、「泥身」を読みおえる。

 まひる野叢書第156篇、百日紅叢書47篇。

 1997年、ながらみ書房・刊。512首。

 彼は、原発銀座(半径55キロ以内に原子炉15基がある)と呼ばれる若狭に住み、農業の傍ら、労務者として原発・他の現場で働いている。

 原発・事故の危険性を第1歌集「紫つゆくさ」(僕は未読)でも詠い、原発現場を解雇された。現在の福島原発事故を、どう詠んでいるのか、とても気になる。

 また挽歌、とくに著者43歳で得た息子が21歳で交通事故死した、嘆きの1連もある。

 以下に7首を引く。

絶対にないと言われし細管のギロチン破断す美浜二号機

田植え終え勤務(つとめ)先なる原発に来しわれ解雇を告げられて立つ

壁厚く窓なき大き室(へや)を掃く個体廃棄物ここに積まれん

人間の焼かるる音を近く聞く骨(こつ)となるべきすさまじき音

幻覚にあらず地震に倒壊の街に火の海広がりてゆく

ナトリウム漏洩は設計ミスなるか隠さず正しく原因を言え

ようやくに二十一歳勤めして十ヵ月目に子は逝く早し

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